第14話 10グラムの重りで、コップに一滴水が入るだけで、人は死ぬ

「10グラムの重りで人は死ぬ」

 タイトルにもあるこの言葉を聞いて「そんなバカな話があるわけないだろ」と思うかもしれません。ですが、これはお本当の話です。


 メンタルに何かしらのトラブルが起きると日常の本当にささいな、本人以外は誰も気にも留めないような内容、例えば「あいさつしたのに返事がなかった」とか

「同僚がなんとなく嫌そうな顔でこっちを見てる気がする」といった内容でも重荷になります。

 具体的に仕事で失敗した内容があるとより大きな重荷になるでしょう。




 例えそれが1日10グラム足される重りだったとしても1年経てば3.65キログラム、3年経てば約10キロ、10年経てばおよそ36キログラムにまで重しは増えます。

 そして重くて重くて仕方なくて限界を超えてしまったら、もう死ぬ以外に道がなくなってしまうんです。


 しかもメンタルをこじらせてしまうと重りを追加する機会が1日に3回や5回に増えたり、1回につき30グラムや50グラム追加されるといったことになります。




 普通なら死ぬというのは生きることよりもはるかにハードルが高くて思いつきもしないものだと言われています。

 しかしメンタルをやられると「生きる事が死ぬ事よりもしんどくて苦しい」となってしまって、最終的に死を選ぶ、というか『選ばざるを得なくなる』のだと思います。

「死にたい」のではなく「生きることが苦しすぎて苦しすぎて死ぬよりもきついから生きるよりも楽な死を『選ばざるを得ない』」というのが本音だと思います。


 この『選ばざるを得ない』というのが結構重要で、本当の事を言えば誰だって死にたくは無いのです。重度のうつ病でベッドから動けずに「その場で漏らしてしまう」人ですら、です。

 ですが「生きることが死ぬことよりもきつい」くらいに追い詰められてしまうと、死を『選ばざるを得ない』と考えるようになってしまいます。

 本音を言えば死にたくはない。でもその『選びたくない死』を『選ばざるを得ない』ほど追い詰められている人がいるというのをどうか忘れないでください。




 勤め先の会社のストレスで死んでしまう人というのは典型的なこのケースに当てはまるもので、

「積み重なった重荷があまりにも重すぎて手放すには死ぬしかない」と思って自殺を実行してしまう、というのがあるでしょう。


 本当は自殺しなくても解決する方法はいくらでもあるのですが「勤勉で真面目な正しい日本人像」から外れると

「死ぬよりも苦しい、生きている事こそ地獄と思える目に遭うのでは?」とか「1度逃げるともう2度と這い上がれなくなるのでは?」

 という恐怖で会社を辞めることが出来ずに、代わりに人生を辞めてしまうのでしょう。

 会社を辞めるよりも人生を辞めるのを選んだ方が幸せになれるのだと思ってしまうほど認知が歪んでいるのです。




 特に日本は同調圧力が高くて、他人と比べて劣ることも優れていることも許されないので「正しい日本人像」から外れる位なら死んだほうが良い。と思う人も多いでしょう。

 これは声を大にして言いたいのですが、会社を辞めても次はあります。実際私は2度会社をクビになり1度バックレました(そこはブラック企業でしたが)が、それでも現在別の仕事で普通に働いています。

 なので死ぬくらいなら会社辞めましょう。


 会社を辞めても次はあります。ですが「死んだら次はもうない」のです。「死んだらやり直しは効かない」んです。「死んだけどまた生き返ればいいや」は絶対にないのですから。

 詳しい話は後で述べますが「死んだらやり直しは効かない」んです。「死んじゃったけどまた生き返ればいいや」だけは現在の医療技術ではどうしてもできないんです。




 別の事例として「コップの中の水をストレスに置き換える話」もあります。


 まともな人はコップの中の水=ストレスが通常はコップの半分くらい入っていてそこに失恋、会社の倒産、自己破産、みたいな水が「急激に」「大量に」注がれて、結果あふれて自殺する。と思うんでしょう。

 それはある程度は真実ですし、会社の社長さんが自殺するのもそれが理由だと思います。

 ですが、それが当てはまらない人もいます。




 うつなどで毎日毎日、それこそ盆も正月も休みなく常に常に死にたい死にたいと思い続けている人は、コップの中の水=ストレスがあと1滴でも入ったらあふれ出てしまうくらいまでのギリギリ状態で、

 それこそ「3回連続で赤信号で止まった」とか「晩ごはんが出来合い物の手抜きだった」とか「挨拶をしたのに返事してくれなかった」とか「エアコンをつけっぱなしで仕事に出かけてしまった」

 っていうものでも自殺に至る「最後のひと押し」になってしまうんですよ。ギリギリまで追いつめられるとわずか1滴のストレスで人は死ぬんです。


 なので「なんで自殺したのか理由がわからない」っていうのはこの「最後の1滴」が「あまりにもささいな事過ぎて」当事者以外にはさっぱりわからない、

 かつ当事者はすでに自殺してしまったのでその理由が永遠にわからない。っていう事もあり得ます。




 若者の自殺は「理由が不明」が3割にもなるそうですが、それは……まぁ個人的な勝手すぎる「推測」と呼べるほど上物ではありませんが、

 ストレスが積み重なりすぎてコップの中の水=ストレスが表面張力ギリギリまで行ってしまい、その時に「最後の1滴」であふれたのだと思います。

 だからその「最後の1滴」を探しても「あまりにもささいな事過ぎて」見つからずに途方に暮れる。というのが現状でしょう。



 

 コップの水の話だと今にもあふれ出そうな人っていうのは「慢性的」と言って良く、一方で水が「急激に」「大量に」注がれて自殺するケースは「急性的」と言って良く、それぞれ対処方法は全く違うものと言っていいでしょう。


「自殺するくらいなら誰かに相談すればよかったのに」って遺族はよく言いますけど、

 追いつめられている当事者からすれば「他人に頼ることが「死ぬよりも苦しい」事で「絶対的な敗北」であり死ぬまで生き恥をさらすはめになる。そんなことするくらいならそれこそ死んだほうがましだ」

 と思っているから絶対に他人に頼らない、と決めているんですよね。誰かを頼る=最大級、それこそ「死んで償わなくてはいけないほどの超絶級な大迷惑」だと思い込んでるから。




 だから「他人の手を借りる」ことは「悪や犯罪行為や、ましてや侮辱や屈辱ではない」というメッセージを強く発信しないと助かる命も助からないと思います。

 追いつめられると「他人に頼るのは『絶対的な迷惑』であり、これ以上他人に迷惑を掛けたらそれこそ死ぬしかない」という間違った思考になるので

「誰かを頼ってもいい」「一人で問題を解決しようとしなくてもいい」「他人を頼るのは悪でもなければ恥でもないし、ましてや犯罪行為でもない」というメッセージが必要なのかと思います。

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