第10話 痛みこそ生きている証

 突然ですが「リストカット」というのはご存じでしょうか。

 私はやったことはありませんが、やると「スッと心が軽くなる」らしいです。(あくまで聞いた話ですが)

 これを見ている人の中にはもしかしたら今現在進行形で「している」人もいるかもしれません。


 あれは理解したくてもできない、自分の中でも整理整頓して客観的に表現することもできない、ましてや他人にも共感することなんて夢のまた夢。

 という精神的な「痛み」(モヤモヤ)を「自分はもちろん、他人からも誰からでも理解できる」肉体的な「痛み」にすり替えることで何とかこの世にしがみついて生きている、という事になります。


 決して軽い気持ちで切ってるわけじゃあないんです。「肉体的苦痛」というのは人類にとって誰もが避けたいものなのに、

 その避けたい肉体的苦痛ですら「まだまし」と言えるほどで「切らざるを得ない」「そうせざるを得ない」ほどまでに追い詰められていることが多いです。




 良くリストカットは「構ってほしい」とか言われますがそれはごく少数派で、多くの人には当てはまることはないでしょう。

 リストカットを良く知らない人たちに言わせてもらいますが、彼らあるいは彼女らは「死ぬ」ためとか「構ってほしい」ために切っているわけでは無いんですよ。

 むしろ「生きたい」、それも「強烈なまで」に「狂おしいまで」に「生きたい」んです。


 でも心の痛みが生きていくにはあまりに痛すぎてつらすぎるから、「精神的な痛み」よりも「まだまし」な「肉体の痛み」に切り替えることで何とか生をつなごうとしているんですよ。

 目に見えない精神的な痛みよりも目に見える外傷の方がまだましと言える位に追い詰められているんです。人生がつらくて今すぐ手放したくても、それでも生きろ、死ぬな、と本能が叫んでいるから切るわけです。

 他にも「抜毛症ばつもうしょう」と言って自分の髪の毛をわざと抜くのも「毛を無理やり抜いた痛み」を感じるためにやっていると思われます。


 詳しいことはこのサイトに載っているので参考までにご覧ください。



【自傷・自殺がわかる本】なぜ、助けを求めてくれなかったのだろう。

http://news.kodansha.co.jp/5751



 リストカットをする、というのは「精神的な痛み」を「肉体的な痛み」にすり替えることで誤魔化し、だましだましに人生を生きていくしかない。というのがあるかもしれません。


 幸い私はそのモヤモヤを言語化して外に出す能力を備えているので自傷しなくても持っているのですが、もしこれが無かったら100%切ったりなんてしない。とは言い切れません。

 ただ、私の場合は精神的に自分の事を自分で徹底的に追い詰めて、その苦痛をもって「生きている」と実感しているのかもしれません。

 あるいは机を思いっきり拳でたたいたり、大声で叫んでのどを傷めたりと、その痛みで生きているのを実感しているのかもしれません。


 普通の人なら間違いなく忌避きひするであろう「肉体的な痛み」の方が「まだまし」とさえいえるほどに追い詰められている人がいる。

 というのはいくら強調してもしすぎることは無いと言えます。それほどまでに彼ら、あるいは彼女らは追い詰められているんです。




【次回予告】


「死ぬ気になればなんだってできるじゃないか! なんで死ぬんだ!?」という声も飛んできますがこういう人たちは全く分かっていません。

追い詰められると「死ぬことが一番簡単な事」になるんです。


第11話 「死ぬ気になれば何でもできるの嘘」

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