第28話 褒められたくなくなる
メンヘラは普通の人からしたら自分の事を「そこまでしなくても……」と思う位に下の位置に置き、それが当然である、とします。
「自分はゴミクズのカスで放射性廃棄物並みの厄介者で前向きな価値を何一つ生み出せないマイナスの価値しかない醜い生き物」
という自己認識が出発地点になっているためか「褒められたくない」あるいは「褒められるに値しない」と思うようになり、もっと言えば「褒められるのが嫌」になります。
かなり昔の話ですが、とある教会では「
「世界から追い詰められた「キモくてカネの無いオッサン」は教会からの歓迎ムードを受け止めることが出来ず、また受け止めたとしても「そんな希望も、資格も、権利も、俺にはないじゃないか」と心を閉ざしてしまった。
「自分は傷つけられ見捨てられてきた」という状態から「それでも何とかなるかもしれない」というところまで行くには、気が遠くなるような道のりが必要で、その道中では相手から感謝されずに、むしろ恨みや憎悪を買う可能性すらある」
というツイート(はっきりと覚えてないのでどこか間違ってるかもしれませんが)をしていましたが、今思えば「これこそメンヘラではないか!」と言う程にメンヘラのケースにピタリと合います。
メンヘラはメンヘラであるがゆえに世間、もっと広く言えば世界から受け入れられずに孤立し、それらに散々傷つけられているせいで心を閉ざしてしまうものです。
実際、うつになると良いことが100分の1に、悪いことが100倍になります。
どれだけ良くなろうと努力しようが「だから何? それくらい誰でも出来るよ」という声が聞こえてきます。
例えオリンピックで金メダルを取るような偉業を達成しても
「だから何? それって偉いことなの? 俺はそんなの誰でも出来ると思ってるよ」っていう声がして2連覇、3連覇、5連覇、10連覇、20連覇……
感覚的には最終的にオリンピックを「300連覇」つまりは「1200年間常にトップでいつづける」位やってようやく自分を認めることが出来る。それくらい「良いこと」が小さくなってしまいます。
……何言ってるんだお前? とお思いでしょうが、それ位自分をほめるのが苦手になるんです。
そんなメンヘラを褒める人がいたらまず「こいつは何をたくらんでいるのだろう?」とか「こいつは私をどう利用するつもりなんだ?」と疑いの目で見ます。
今まで散々な扱いをされ続けてきたがゆえにそれが当たり前であり、素直に他人を信じるというのが出来なくなっているのです。
たとえ相手が100%純粋の褒めであっても、疑います。前にも言ったように、世界からの歓迎ムードを受け取ることが出来ないのです。「俺には褒められる資格も、権利も、希望すら無いじゃないか」と思ってしまいます。
その分かりやすい例として、いわゆる「DV彼氏に惹かれて離れることが出来ない彼女さん」というのがあるでしょう。
彼女たちの全部とは言いませんが、中にはいわゆるメンヘラ状態で「自分をごみのように扱っている」事が「正当な評価だ」と思っている人もいるでしょう。
なので褒められるのに嫌悪感、そうでなくてもそれを素直に受け止められずに何か身体に違和感があるというのならば一刻も早く病院に行くことを強くお勧めします。
「自分を正当に評価してくれる」人を無視して「自分を不当に評価する」人の意見についていくとろくなことになりません。
あなたの身を守るためにもそういう意見は
そういう人の餌食にならないためにも思い当たる節がある(あるいは身内や周りにそういう人がいる)のなら話し合うなり心療内科に連れていくなりして、必ず何かしらの対策を練る必要があるでしょう。
あと、今現在進行形で「褒められるのが苦手」とかもっと言えば「嫌い」な人にお話ししますが「褒めることで相手(つまりはあなた)を陥れようとしている」とか「騙すために褒めている」いう考えになるかもしれません。
ただそれは芸能人とか政治家とかいう、名声だったり権力なり特別な何かを持ってる人が仕掛けられる事であって、平凡な一般市民がやられることはまずないでしょう。
なので難しいかもしれませんが褒められた時には素直に受け止める練習を今からでも遅くないのでしましょう。
それが時には周りを救うきっかけ、それが巡り巡ってあなたの命を救うきっかけにもなるかもしれません。
参考資料
「自己肯定感がない人を褒めても受け止めてくれないから褒めた側のHPがどんどん減っていく」という話に意見続々
https://togetter.com/li/1110783
それでも「自分はゴミクズのカスで生きているだけで周りの人間に迷惑をかけているので嫌われて当然だ。優しく接しようとする人間は必ず、絶対に、下心があるはずだ」とどうしても、どう頑張っても思ってしまう方へ言います。
「テメェは人の善意を何だと思ってるんだ!!」と。
あなたにとってはなぜ自分以外の人が自称「ゴミクズのカスで嫌われて当然」な人にこんなにも優しく接してくれるのか不思議でしょうがないかもしれません。
あなたがあなたの言う「ゴミクズのカス」だったとしても周りの人が手を差し伸べる理由、それは「あなたがまともな人間だから」です。
そんなことない? 私はゴミクズのカスで周りに迷惑をかけることしかできないフレンズだって? バカバカしい。そんな考え本当にバカバカしいですよ。
例えばデパートで周りに親らしき人がいない子供が1人で大泣きしてたらどうしますか? おそらくあやしてあげるか、そうでなくてもデパートの店員を呼ぶくらいはしますよね?
子供を助けたところで1円の得にもならないし、話が通じるかわからない子供のために貴重な時間を割いてでも、近年では子供に声をかけただけで通報されるというリスクを背負ってでも、ですよ?
なぜだかわかります? それは人間が本来持っている「善性」なんですよ。
人間は理由もなく、ただ「助けたいという理由から人助け」をするんですよ。とあるゲームのキャラのセリフを借りれば「誰かを助けるのに理由がいるかい?」ってやつです。
間違ってもさっきの事例の子供に「もっと泣け! もっと苦しめ! パパやママがいないことに絶望して泣き叫びわめけ!」って言いますか? 言わないでしょ?
そんなことをやるのは人間の皮をかぶった汚らわしいケダモノで、人間としてカウントしてはいけません。
なのであなたが普段思っている「私はどうしようもないゴミクズのカス」であるあなたに周りの人が手を差し伸べるのは、
打算的でもなければ搾取しようとするわけでもなく、あなたを価値のある人間として扱っているからです。
強引な言い方でひっくるめるのが許されるのならば、あなたに「愛」があるからです。
デパートで泣いてる子供を無条件に助けるのと同様に、特に犯罪行為に手を染めているわけでもないであろう、あなたに手を差し伸べるのは人間の「善性」であり「愛」なのです。
それの否定というのは人間の善性や愛を否定するのとイコールでつながるわけなんですよ。
乱暴な言い方でひっくるめるのが許されるのなら、さっきの事例では子供に「もっと泣け! もっと苦しめ!」と呪いの言葉を吐き出すのと同じ、ケダモノの行為だと思います。
だからたまにはそれに対する感謝の言葉の1つ出してもバチは当たらないと思います。
偽善者はすぐ「メンヘラを助けよう」とするが「弱者に救いの手を差し伸べる僕ちゃんあるいは私ちゃんカッコイイ」という自分自身にうっとりするために手助けするのなら、最初から手助けしないで欲しい。
それこそ「引きずり込まれる」危険性はもちろん「何をしても救えないのでは?」という絶望と隣り合わせであることを覚悟できないのなら助けようとしないで欲しい。
メンヘラにとっても、助ける側にとってもそう。自覚のない偽善者であるお前のために言ってるんだからね。
気持ちよく相手に助けてもらう処世術も必要かと思います。どうせ救われるなら相手に気持ちよく救ってもらう方が後々有利ですよ。
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