終わりに 一生死にぞこないでいてください

 当事者にとって希死念慮きしねんりょはあまりにもリアルで「私は絶対100%必ず一切の間違いなく死にたいと思っている」と何の疑いもなく信じ込めるのですが、それは『幻覚や幻聴』です。


 何度でも言います。何度でも言います。それは『幻覚であり幻聴』であって、あなたの本心ではありません。


 だからいくら「私の存在自体がすべての人間に、父にも母にも弟にも妹にも、兄にも姉にも迷惑な存在なんだ」と鮮明に思っても、それは『病が見せている幻覚ないし幻聴』です。

 なので少なくとも家族がいる間は「死ぬのは100%間違った選択肢」だと思ってください。


 こう書くと「死ぬことすら許されないのか」と絶望するかもしれません。ですが「死にぞこない」でいいと思います。

「死にぞこない」大いに結構じゃないですが。天寿を全うするまで「死にぞこない」でいたらいいんです。


「今日もまた死にぞこなった」

「今日もまた死にぞこなった」


 日記をつけているのなら1日の終わりにそれを繰り返しをしてください。そして天寿を全うするまで「死にぞこない」でいてください。




 もちろん「死にぞこないの自分が嫌で本当に死なないと迷惑をかける」という方もいるでしょう。

 それでも「死にぞこない」でいてください。何せ本当に死んでしまうと、死にぞこないのまま生きるよりもはるかに周りに負担がかかりますから。


 人が死ぬって科学技術の発展した現代でも大変な事なんですよ。いやむしろ少子化で人が減っていく中では「死自体」が重くなっているでしょう。ただでさえ死が重いのに若いうちの死は特に重いです。


 80代や90代の爺さん婆さんが死んでも「まぁこんだけ生きりゃ十分だろ」と思うでしょうから参列者の負担が軽いんですよね。

 これが20代や30代となるとズシンと来るんですよ。「何でこんなに若いのに逝ってしまったのか」ってね。



 それでもその死因が例えば交通事故だったりガンだったりしたら「不幸中の幸い」で参列者の負担はまだ軽いです。車にかれて死んだのなら、あるいはガンで死んだのなら「運が悪かったんだな」と多少はあきらめはつきます。


 ですがその死因が「自殺」となると本当に最悪で、遺された人たちは「何で死んでしまったんだろう?」「死を選ぶほどの苦しみとはいったい何だったんだろう?」という自責の念に死ぬまでからめとられます。


 なので「毎日毎日死にぞこなって生きる」という選択肢もありでしょう。十分アリです。というか、できればそうしてください。




 これを読んでいることは少なくとも今日1日は「死にぞこなった」のでしょう。

 では明日も「死にぞこなって」ください。

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