第15話 死ぬ以外に生きる道が無い

心の青年への手紙・第18通 自殺と安楽死について

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/tegami/tegami18.html


『死ぬ以外に「自分」の生きる道はない。そういう状況に追いつめられたとき、人は生きるために死への扉を開くのです』

 なんと正論を突いた言葉だろうか。お寺の住職は良い事を言う。無駄に頭を剃ってるわけじゃない。




 そうなのだ。自殺する人は本当はどこまでも生きぬきたい。生きて、生きて、生きて、生きて、生き抜きたい。そう強く、強く、思っているもの。

 それこそ「死にたいだなんて1度も思ったことが無い」人よりも桁外れに強く、それこそ「狂おしい程」生に執着していると言っても構わないでしょう。

 それでも、あるいは『そうだからこそ』『生きるためには死ななくては』いけない。自らの幸福を実現するには死なざるを得ない。というのも死因の一つにあるはずだと思います。




 昔、どこかで見たかは忘れたけど「自殺したいんじゃない。ただ自殺したくなる部分を殺したいだけなんだ」っていうメッセージを残して自殺した人がいたそう。

 誰だって死にたくない。出来る事なら生きていたい。でも「死ぬ以外に生きる手段がなくなる」から(普通の人には絶対分からないと思うけどこれは矛盾ではない)死にたくなるのであって、

『死なざるを得ない』のだ。どうしても「死ぬ」以外の結論が思い浮かばないためにそれを選ばざるを得ない、というのはあります。




 歌舞伎俳優の市川猿之助の家族が「死んで生まれ変わろう」って言って一家心中したこともそうだろう。

 彼らの心境は当事者ではないので永遠に闇の中ですが、彼らも『死ぬ以外に「自分」の生きる道はない』と思ってしまって『生きるために死への扉を開いた』のでしょう。


 テキストノベルゲームで「ゲーム中に隠された謎が全部解けちゃって、個人的にはこうしたいけどゲーム上の選択肢はこれしかないので選ばざるを得ないもどかしさ」と言えば少しは分かっていただけるだろうか。

 自殺まで行ってしまう人というのは「本当はこうしたいけど選択肢が『死ぬ』以外出てこないので、それを選ばないとゲームが進行しない」ような状態なのだ。




 コレの解決方法は難しいのですが、

 メンヘラが抱いてる「相手は私をこう思っているに違いない」というのは「狭い世界で反射しまくっているコダマ」にしか過ぎないという事例もあり、

 その相手と会話すれば大したことは無かったというのはあると思います。もちろん相手が本気であなたの死を願う場合も100%絶対にないとは言い切れませんが無視してもいい位の極めてレアなケースでしょう。


 まぁ基本的にメンヘラを治すには暴露療法で(自分にとっての)世の中に対する信頼を積み上げる以外に根本的な治療は出来ないので「死なない程度に」頑張れ。としか言えない。

 私は仕事が出来る位には酷くはないが「汝(なんじ、と読む。詳しくはググれ)はメンヘラか否か?」と聞かれたら「まぁメンヘラでしょう」と言えるくらいには病んでいるので間違ってはいないはず。

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