第2話 「死にたい」の意味。「死にたいけど死にたくない」は矛盾しない

 メンタルに異常がある人は「死にたい」とつぶやきますが、これは健常者で言う「死にたい」ややこしい定義になりますが「今すぐ自分の生命活動を終わらせたい」という意味で言ってるわけではありません。

 今回はこの「死にたい」を健常者でもわかるように「翻訳ほんやく」したいと思います。


「翻訳」と言うと奇妙な感じもするでしょう。「死にたい」は「死にたい」であって「死にたい」以外に何があるのか? 細かい言い方をすれば「自分の生命活動を即座に停止させたい」という意味以外の何の意味があるのか? と。

 断言しますがそれは違います。なぜか? それは今から話します。読めばこの話のタイトルにある『「死にたいけど死にたくない」は矛盾しない』も分かると思います。


 世間一般では「死にたい」っていう人間に限って死ぬ気はない。なんていいますが、少なくとも死にたいと一切言わない人間よりも死にたいと言ってる人間の方がケタ外れに未遂みすい完遂かんすい(要は本当に死んでしまったという事)問わず自殺率は高いです。

 これはさまざまな学術的研究によって証明されており、科学的観点からみても根拠はあります。


 かといって「死にたい」が100%純粋に「今すぐ自分の生命活動を停止させたい」という意味で使われているわけでもないのです。

 これにはきちんとした訳があります。分かりやすく例えていうなら、『赤ちゃんが泣くのと同じ』理由だと思います。




 赤ちゃんはまだ言葉がわからないから「お腹すいた」も「構ってほしい」も「眠いけど上手く眠れないよ」も

 全部「オギャーオギャー」の泣き声で表現します。


 これと同じで

 ・会社行くのつらい

 ・サザエさんがつらくて見れない

 ・親の介護どうするんだ

 ・貯金が少ない

 ・嫁が冷たくなった

 ・子供の泣き声で眠れない

 ・明日への希望が持てない


 ……などなどのネガティブな感情がたまりにたまって限界を超えた時に吐き出される言葉が「死にたい」なのです。


 なので「死にたい」とは「仕事に疲れた」とか「何もかも放りだして寝たい」とか「明日への希望が見えない」とか「自分が情けない」とかいう訴えであり、もっと言えば「楽しくない」とか「つまらない」とか「眠い」とか「お腹空いた」とか「ポテチが食べたい」という原始的な欲求でもあります。


 もちろんこの「死にたい」の中には「今すぐ自分の生命活動を終わらせたい」という意味も入っています。

 入ってはいるのですが、あくまで「ごく一部分にすぎない」のです。

 逆に言えば「ごく一部分ではあるものの本当に自殺したい……つまりは『自らの生命活動を停止させたい』という意図は入っている」とも言えます。


 これがこじれてくると前述したネガティブだらけな問題がすべて解決するのに、自分のやることと言えば「ただ死ぬだけ」でいい。と思うようになります。

 こうなると即座に入院レベルの極めて危険な状態と言えるでしょう。


 なので「死にたいと言ってるやつは死なない」というのはとんでもない大間違いであり、また「死にたい」が「今すぐ自分の生命活動を終了させたい」という意味100%というわけでも無いのです。

 あくまで「グレーゾーン」なのです。




 ここまで見て「大人なら何がつらいか自分で解かるじゃないか? なんで死にたいなんて言葉を使うんだ?」とお思いかもしれません。

 これにもきちんとした理由があります。というのも、「精神がやられるとまず語彙ごい力や思考力がなくなる」からです。

 そんな中で「死にたい」という言葉はある意味「万能薬」のようなもので「ありとあらゆるネガティブな感情を疲れることなく一言で表現できる」から「死にたい」が出るんです。


 他にも複数の問題がもつれた糸のようにこんがらがって自分でもどう言えば伝わるのか、どう表現していいのかがわからなくなるからです。

 また、視野も狭くなって死にたい、死ねば全部解決するという極論が飛び交うようになってしまいます。

 それも影響して「死にたい」という言葉を「健常者が言う死にたい」=「自分の生命活動を終わらせたい」という意味以外でも使うようになるのだと思います。


 私の場合、うつに波があって比較的荒れていない時はこうして語彙力もありますし、書こうと思えばもっと小難しい言い方もできます。(やっても人気出ないからやらないけどね)

 ただ荒れてくると野良猫を見ても「死にたい」し、登校中の小中学生を見ても「死にたい」し、食事の感想が「死にたい」になるし、時計を見ても「死にたい」し、気分転換に頭の中で歌でも歌おうとすると歌詞が全部「死にたい」になる。と、もうどうしようもなくなります。

 なので「死にたい」という言葉は100%「今すぐ自分の生命維持活動を終わらせたい」という意味ではありませんので「まだ間に合う」のですが「楽観視は絶対にできない」と思っていいでしょう。


 他にも「これがつらいと言ってはいけない、思ってはいけない」という忌避きひもあるでしょう。(例えば、家族を路頭に迷わせないためにも自分が仕事を頑張らねば、など)

 でもそう思ってもつらくて苦しいのはそのままなのです。なのでその別の表現として「死にたい」が出てくるというのもあるでしょう。




 まとめると「死にたい」と言ってるやつに限って死なない。というのは翻訳すると

「死にたい(=明日への希望が持てない、親の介護どうするんだ、貯金が少ない……などのネガティブな感情が積み重った結果漏れた一言)けど死にたくない(=今すぐ自分の生命活動を終わらせたくはない)」

 となるでしょう。




【次回予告】


救命医は倒れている人を見たら「まず第一」に「大声で助けを呼び」ます。

救命治療を開始するのは「二の次三の次」です。なぜか?


第3話 「相談を「する」側も「される」側も、一人で抱え込まないで」

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