第19話 検索かけてもこのザマだ

「何が何でも死にたい」「どかーんと死にたい」「猛烈に死にたい」「激烈に死にたい」「爆裂に死にたい」「どうしても死ぬしかない」「死なざるを得ない」

「死にたすぎる」「もう死なせてくれ」「とにかく死にたい」「死にた死にたい」「死に死にたい」「死死にたい」

「もう無理だ」「死なせてくれ」「どうやって死ぬか」「超級怒烈に死にたい」




 文字通り死ぬ思いをしながら上記の言葉で検索しても、出て来るのは「いのちの電話への電話番号」だったり

「自殺と向き合う 生き心地のいい社会のために - NHK」とか「死にたい時は俺に電話しろ」とか言う「いのっち」なる人物のページだったり、厚生労働省のページだったりと、

 とにかく「死=絶対悪」「死にたい=絶対に言ってはいけない事だし考えるのだけでも犯罪行為になる」っていうゴミクズのカスみたいな汚ねえイメージでしか語れない連中の、多い事多い事。

 俺が嫌いな人トップ5には間違いなくランクインしている連中と言ってもいいでしょう。


 今回は上記の言葉で検索しても、うわべだけのキレイゴトしか言わないサイトにしかたどり着けない事に絶望したメンヘラたちに贈る話です。




 個人的には今回のお話は普通の人には「理解されなくても仕方ない」と思いますし「コイツ何が言いたいのかさっぱりわからない」と言われて当然だと思っていますが「正しさ」だけでは救えない命もあるんですよ。

 メンヘラは一般人にとってはそれこそ「万引き(要は「窃盗罪」)をすることで命が救われる」あるいは

「イベルメクチンを飲めばコロナにはかからない!」っていうレベルに「間違っている」と言える存在なので

「正しい」説得やアドバイスでは救えないんですよ。ガチで救えない。




「死んではいけません」とか「あなたはかけがえのないただ一つの存在」なんていう、いかにも模範的で健康的で優等生っぽいお題目を言われたところで何の救いにもならないし、

 逆にその言葉が刃物となって全身に突き刺さって失血死しそうになったり、あるいは鈍器になって殴られ続けて内臓破裂起こしてるんですよ。メンヘラじゃない「普通の人」にはまず分かんないでしょうけど。


 そもそもの話「普通の人」にとっては「正しい事」に「傷つく」っていうのが全くもって理解できないと思います。なんで「正しい事」に「傷つく」の? って思うはず。

 誰だって「死んでもいいよ」って言って本当に死なれたら「自殺ほう助」の罪で捕まるから、そこまでのリスクは背負えない、として「正しい」ことしか言えないってのも分かってるけどね。

 他にも「人間は自分の体験からでしか語れない」という人間の限界があるのだろうが……。




 メンヘラを相手にすると「健康的で模範的で優等生的な「だけ」の『正しいだけ』の情報」では救えないんですよ。

 その「健康的で模範的で優等生っぽい『正しいだけの』情報」しかないという地獄に踏みつぶされて死を選ぶメンヘラ、かなり多いと思います。

 言っておきますが「死にたい→死んではいけません→分かった死なない」とは絶対に、そう『絶対に』なりません。そこだけ覚えてくれればいいです。


 普通の人にとっては

「そうですか。あなたは今この瞬間、死にたいと思ってるんですね。私はあなたがどこ出身でどんな悩みを持っているのかは分かりませんが、とにかく死にたいと思っているのだけは分かりました」

 という「ほんの少しだけ」でも良いから気の利いた一言をかけるのでさえ困難なのでしょう。




 死にたいと思った奴が本当に求めているのは、ただひたすらに闇に沈みたい。永遠にグチグチとネガティブな事を言いあってひたすら底の底まで沈みたい。

 死にたいよー死にたいよーって言いあってお互いにワンワン泣きたい。これなんだよ本当に求めているのは。なのに世間はそれを許してくれない。

「そんなことして本当に死んだらどう責任取るつもりなんだ!?」って思うでしょうが、経験上ひたすら沈み続けると「底」とでも言うべき壁にぶち当たって、そこを蹴れば浮上出来るんですよ。

 だから余程の事では死なないともいます。




 この「落ち込むことは悪いことだ。ネガティブな考えをしてはいけないことだ」と

「落ち込んでいる人の首根っこをつかんでムリヤリ上方向に引き上げようとする言葉の暴力」に何度打ちのめされたか、自分でもわからないくらいだ。

 最低限「何百回」という「3ケタ」の数に届くほど打ちのめされたし、最悪「4ケタ」に届くかもしれない。

 インフルエンザに罹ってる人に「身体を鍛えれば病気なんて失せていく! さぁ腕立てだ!」ってムリヤリ運動させるような事をやらされてるんですよメンヘラは。

 いつも、いつもそうだ。




 文豪として知られる太宰治氏の「綿でケガをするんです」っていうのはメンヘラには非常によく効く。

 メンヘラには「目の前の幸せ」が「さらなる不幸の入り口」というのを学んでしまった悲しい人種なので、そういうこじれた人には非常に刺さる言葉だ。


 ……それにしても「綿でケガする」って言っても健常者、具体的に言えば「少なくとも2週間以上「死にたい」と思い続けたことがなかった人」

 には理解できる範囲を超えているだろうなぁ。まずわかんないよこんなの。




 これらをひっくるめて「言葉そのものよりもむしろ、そういう前向きな態度以外は封じるというか、それ以外の気持ちを抱くことは間違っている、みたいなメッセージを感じとってしまうから、つらいのかもしれないですね」

 と述べてくださった僧侶、いわゆる「坊主」の藤田一照さんがおっしゃっていましたがまさにそれ。

「落ち込むことは悪いことだ」も「ネガティブな考えをしてはいけないことだ」も「メンヘラの魂の全否定」とでも言うべき「圧倒的な」そう「圧倒的な」全否定であり言葉の暴力そのものなんだ。




 だからこそ「落ち込んでいる人の首根っこをつかんでムリヤリ上方向に引き上げようとする言葉の暴力」や

「落ち込むことは悪いことだ。ネガティブな考えをしてはいけないことだ」と諭すメンヘラのことを何一つ理解していない、

 残虐非道極まる発言をして平然とヘラヘラしてるサイトばかり作って「オレは世のため人のために貢献しているのだ」と自己満足に浸ってる人間が生まれるんだ。

 大嫌いだよ、そんな奴なんて。

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