第4話 希死念慮(きしねんりょ)とは?

 さて、4話目にしてようやくタイトルの「希死念慮きしねんりょ」が出てきました。


 希死念慮きしねんりょ、なる難しそうな4文字熟語(特に「念慮」が難しそう)が出てきましたが、これはつまりは「死」ぬことを「希」望して「あれこれ考えること=『念慮』」というわけです。

 まぁ一言で分かりやすく言えば「死にたい」と思うようになることです。


 ネットの海を漂流していると「物心ついた時には、それこそ幼稚園児のころから既に死にたいと思ってた」という事例もありますが、それは極めて稀な事例でしょう。

 日本には1億人以上人がいるので100万人に1人(率にして0.0001%)しかいない超レアケースでも100人もいますからね。10万人に1人なら1000人もいます。




 この「死にたい」は治るのか? と言われれば「人と治療による」としか言いようがありません。なぜならメンタルの病というのは風邪やインフルエンザと違って「個人差」や「治療法や先生との相性」が大きく出るからです。

 この「個人差」というのがとてつもなく厄介で、風邪やインフルエンザの治療には個人差はほぼないのですが、メンタルの治療においては個人差は非常に大きく出ます。

 またお医者さんの治療の仕方で「合う合わない」という「医者との相性」もとても強く出ます。これも風邪やインフルエンザには存在しない特有のものです。


 さらに言えば、風邪やインフルエンザなら誰でも罹ったことがあるのでどういうものなのか理解できるのですが、

 うつを始めとしたメンタルの病と言うのは「お医者さんは基本かかったことが無い」ので、どういう物なのかわからないんです。

 治療を行うプロのお医者さんと言えどあくまで「訓練された一般人」であって「メンタルをこじらせた体験」は無いのです。

(もしかしたらうつを経験した心療内科医もいるかもしれませんが)


 これが分からない、知られていないから「何年も医者に通ってるのに何で治らないんだ?」などと言われたり、

 治療を受ける本人も「何年も通ってるのに全然よくならない」と焦りや不安に押しつぶされることも多々あります。

 人によっては1度紙を折ったら折り目を無くすことはできないように、場合によってはメンタルが折れたら折れる前に復活することは不可能な事例さえありますし、

 もちろん折り目が無い状態に復活できる人もたくさんいます。これこそが個人差です。




 ちなみにメンタルの病と言うのは「脳の異常」が原因と考えられています。脳の復旧は身体のすり傷や切り傷みたいにすぐ治るという物ではなく、

 早くても数か月、遅いと数年はかかる、あるいは一生かかっても完治はできない。というケースもごく当たり前のように出ます。


 なので風邪やインフルエンザと違って薬を飲めば数日で良くなる、といったことにはなりません。数か月、あるいは数年といったもっと長いスパンで経過観察する以外に無いでしょう。

 例を挙げるとうつでは完治するのに10年、あるいはそれ以上かかると言う事例はごく当たり前のように出てきます。それくらい時間がかかるものなのです。


 特に周りの人には「治らない」ことを責めるのは「絶対に」辞めてください。当の本人はあなたが気にしているよりも100倍以上は治らないことを気にしています。

 下手に声かけすると「これだけやっても治らないなら死ぬしかない」と思って自殺してしまうことも十分考えられます。




 繰り返しますが、メンタルの治療と言うのは数か月、あるいは数年と言う非常に長期的なスパンで行われます。すり傷や切り傷みたいに消毒して包帯を巻けば数日で治るというものではありません。

「いつになったら治るんだ」といらだつこともあるかと思いますが、どうかそこは見守っていただけたらなと思います。

 あなたが思っているよりも100倍以上は本人は気にしているし、焦ってもいます。

 そこを責めても誰も得はしません。2度言いますが、「治らないこと」を責めても「誰も得する」ことはありません。




「生きることに罪悪感を抱える人達」- 鶏さんのブログ -

https://aduckling-amongswans.net/%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AB%E7%BD%AA%E6%82%AA%E6%84%9F%E3%82%92%E6%8A%B1%E3%81%88%E3%82%8B%E4%BA%BA%E9%81%94/

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生きることに「漠然とした罪悪感」がある理由 - 鶏さんのブログ -

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(別サイトに飛びます)


 この2つの記事を読んで「何でこの人はここまでオレの心の中を言い当てることが出来るんだ!?」ってビックリしましたよ。


 このブログを読んで一気に気づいたんですが「常に周りにとって、社会にとって、日本にとって、地球にとって(主語がでかいなー)プラスになることを身体や心が壊れてでも奉仕し続けなくてはいけない」

 っていう一種の「追い立てられている」感情があるんですよね。




 勝手な憶測ですが多分うつ患者やメンヘラの多くは「自分には価値が0などころかマイナスで、周りの人間に身体や精神が壊れるギリギリまで奉仕し続けて、ようやく生きる資格がかろうじて与えられる」あるいは

「自分は本来生きていてはいけない人間なのだけれど、周囲の人々の温情により生かされている」って思ってるのではないのでしょうか?

 とりあえずこれを読んでるあなたの周りにメンヘラがいるのならその行動原理が1発で分かるサイトだし、

 うつ患者やメンヘラの人も「なぜか分からないけど自己否定しなくてはいけない」っていう現象に納得のいく説明がされていると思う。病んでる人も病んでない人も一読をお勧めします。


 うつ患者やメンヘラって大体「暴虐的なまでの自己否定」が根っこの部分にあって

「それを何とかしようとナニモノかとの果てることのない殺すか殺されるかの戦い」をしているんだと思うんですが、その正体は多分これなのかなとは思います。

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