第5話 善意の鈍器で殴るような暴力と「頑張るな」という声掛け
医師「平常な精神状態の人は漠然とした不安や絶望を感じないし何も考えずに生きてるんです」
https://togetter.com/li/1085524
「死にたい」と思っている人と「生きたい」と思ってる人がこんなにもすれ違いを起こしているという実例だそうです。にわかには信じられない話ですが。
なので「死にたい」人が「生きたい」人から言われる言葉は、ほぼほぼ100%「善意の鈍器で殴るような暴力」となってしまいます。
「生きたい」と思ってる人にはその自覚は一切ありません。「善意の鈍器で相手を殴り続けた」結果、自殺されても「何で相談しなかったんだろう」と疑問に思います。
……自分が崖っぷちに立っている人の背中を押したという事には一切気づきません。
個人的にはそういうの、分かるんですよね。ある日家の目の前で見知らぬ男、血縁も友人関係もない完全に赤の他人が首を吊って死んでいた。
となったらもう健常者の望む「平穏で何も変わらない日常」なんて2度と送れなくなるんですよ。
それが嫌だから「(少なくとも俺の目の前では)死ぬな(なぜなら俺に迷惑がかかるからだ)」
なんていう無責任なことを言うわけですよ。
実例をあげればこんなところでしょう。
「生きていればそのうちいいとこがあるよ」
……そのうちっていつだよ。明日? 明後日? 1週間後? 1ヶ月後? いつになるの? そんなのも分からずにいい加減で無責任なことを言うな。
「アフリカでは生きたくても生きれない子供たちだっていっぱいいるんだぞ!?」
……知らねえよボケ! そんな恵まれない子供たちがいようがいまいが、俺がつらい事には何の変わりもしないんだ!
「死ぬのは良くない。とにかく生きろ」
……その良くない死にすがらなければならないほど、生きる事で心身ともにボロボロになるまですり切れされて弱ってる私の事は無視ですか?
となります。
「ポジティブな言葉や空気がしんどい」この気持ちをどうすればいい?僧侶・藤田一照さんを訪ねて、すこし救われた話/生湯葉シホ
https://soar-world.com/2021/02/09/isshofujita/
(別サイトに飛びます)
昔の記事から再掲するけど
「言葉そのものよりもむしろ、そういう前向きな態度以外は封じるというか、それ以外の気持ちを抱くことは間違っている、みたいなメッセージを感じとってしまうからつらいのかもしれないですね」
これがメンヘラ相手にはそっくりそのまま当てはまります。
メンヘラな連中も「死にたい」と思うのが「いけない」こと。というのは百も承知なことで、それでも「死にたいと思ってしまう」から苦しいわけなんですよ。
そこで死にたいを否定されたら「やっぱりぼくはわるいにんげんなんだ」ってなって「こんなわるいぼくはこのよにいちゃいけない。しぬしかない」ってなるわけなんですよ。
だからメンヘラを「頑張れ頑張れ死ぬな死ぬな」で殴り続けていざ本当に死んだら「自殺して欲しくなかったのに何で?」っていう悲劇が起きるわけでして。
うつにかかるとありとあらゆることに対して「罪悪感」を抱くようになります。
それこそ「ボールペンを無くしたから死のう」とか「赤信号で車が止まるのはすべて私に原因があって私の責任」となってしまいます。
何もかも自分が悪い。自分さえいなければ。迷惑ばかりかけている。
https://kokoyowa.com/kimoti-43/
(別サイトに飛びます)
だから「死にたい」という言葉に対しては「死んじゃダメ!」っていうよりかは「大丈夫あなたは赦(ゆる)されている」っていう、
健常者(具体的に言えば今年1年間「1度も」死にたいと思わなかった人)からしたら話の前後がメチャクチャな言葉の方がメンヘラにとってはまだ救われると思う。
病気を例にするとインフルエンザに罹って39度の熱が出ている人に「うがいだ手洗いだ」と言って無理やり起こさせてやらせたところで何の効果もなくて、
今必要なのは「インフルエンザを治す」事であって、うがい手洗いは治った後にすることだ。というのは理解できますよね?
うがい手洗いは大事ですがそれ以前に病気にかかってる以上、それを解決するのが先だというのは理解いただけるでしょうか?
それと同様でメンヘラに必要なのは「いきなりメンタルが折れた原因を探って解決する」事ではありません。まず「つらかっただろう」と同情して共感することです。
まずは背負ってる重荷を下ろして負荷を軽くすることが第一です。励ましなんてその後でもいくらでもできます。
最初はとにかく共感して同情してつらさを軽減させること。これが第一です。これができないがために「頑張れ頑張れ死ぬな死ぬな」で殴られ続けて死ぬメンヘラのなんと多い事か。
日本の自殺者は一時期の3万人よりはだいぶ減りましたが、それでもいまだに2万人近い人が自ら死を選ぶのもそういう背景があると思います。
この「同情して欲しいだけなのにしてくれない」という苦しみは私はそれこそ死にたくなるほど経験しており、ネットに助けを求めて何百回も「死にたい」と検索かけても「つらかっただろう」と受け止めてくれる人は「絶無」で、ほぼ全員
「落ち込むのは良くない。ポジティブこそ至高であり人類の共通事項」と言わんばかりに励まそうとする人「しかいない」(「ばかり」なんていう生易しい言葉は使えない)という絶望で割と真剣に死にそうになったこともありました。
昔話題になった「駅に貼られた一人じゃないよポスター」が死にたさを加速させるのと一緒です。
「死にたい」という気持ちを否定し「死にたいと思うのは悪いことだ、もっとポジティブなことを考えようか」などと言う人生の根幹を狂わせるような凄まじく酷い暴言を吐いてくる世の中に何度絶望させられたことか。
何とかして励まして元気づけようとしている気持ちは分かります。わかるのですがそれは「善意の鈍器で殴るような暴力」になってしまいます。
メンタルを病むと頑張ることが出来なくなるんです。元気になろうと思えなくなるんです。生きようとする気力が湧いてこなくなるんです。そこをもっと頑張れだの元気に生きていこうなんて言うと、完全に壊れます。
具体的に言うとメンタルを病むというのは「『やる気』を実際の行動に移す『生命エネルギー』に変換するエンジンがぶっ壊れる」と解釈して良いでしょう。
なのでそこに「もっと頑張れ」などとやる気だけを注入しても余計にエンジンのぶっ壊れ度合いが増すだけです。
まずはエンジンを止めて分解清掃や修理をしないといけないのですが、それは『頑張るな』と声をかけるようなもので、経験のない人からは到底思いつかない事でしょう。
そう、メンタルの病にかかった人にかけるべき言葉は『頑張るな』なのです。『頑張るな』……あなたはこれを思いついたでしょうか?
この「エンジン」のある場所はずばり「脳」でしょう。
脳へのダメージも身体の傷と同じように修復されるものですが、身体の傷と比べれば脳の修復速度はずっと遅くて早くても数か月、遅いと何年もかかるものです。
下手したら一生回復できない、と言う場合すらあります。
なので周りの人たちは最低でも数年間は『頑張るな』と言い続けなくてはいけないのですが、おそらく一般的ではないでしょう。
そのため普通の人がメンタルを病んだ人に普通に接するとほぼ100%必ず「善意の鈍器で殴るような言葉の暴力」を浴びせることになるでしょう。
このエッセイはそれを防ぐために書いていると言っても過言ではないと言えます。
もしこれを読んでるあなたの身の回りにメンタル不調を起こしている人がいたら「決して」そう「絶対に」励ますのは辞めてください! 声をかけるとしたら『頑張るな』と言って下さい。
安易に励ますとその一言が死へのカウントダウンを促進してしまう事にもなりかねません。これは冗談ではありません。確固たる事実であって無責任な励ましで人間は簡単に死にます! いともあっけなく簡単に死にます!
これは脅しでもなんでもなくて真剣な話です! 絶対に励ますのは辞めてください!
個人的に、メンヘラに関わるなら「死にたい」という言葉を絶対に否定してはいけないと思う。死にたいの否定は「死にたいという『悪い事を思ってしまう』自分の存在意義、存在使命を真正面からカケラ一つ残さず全面否定する」のと一緒です。
メンヘラ自身「死にたいと思ってしまう」事に違和感や罪悪感を抱いてるんですよ。
それを真正面から否定されることは「そんなことを思ってしまう自分は『悪』なんだ。じゃあ死ぬしかないな」って思ってしまうきっかけとしては十分すぎるものです。
その覚悟がないなら最初から相手にしなくてもいい。そうした方がポジティブな言葉で絶望されないだけまだましだ。
とりあえず「死にたいメンヘラ」相手には「何も言わずただぎゅっと抱きしめる」だけでいいです。何も言わなくてもいいし言わないだけ余計なことをしてこじれることもありませんから。
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