第17話 緊急事態に陥っている

 パワハラで一回「自分が死ぬか相手を殺すか」まで追い詰められたことがあるんですが、あそこまで行くと「正常な判断は『絶対に』できなくなる」ので周りの人が「強制的に」原因と思われるものから隔離しないといけません。


 繰り返しになりますが「正常な判断が『絶対に』できなくなる」くらいの「緊急事態」なので「考えれば考えるほど悪手を打つ」状態で本当に「相手を殺すか自分が死ぬか」まで行ってしまいます。

 そういう考えに「強制的になってしまう」というか「『普通にしていたら』思いつくはずのもっといい解決方法」が一切思い浮かばなくなります。何せ「生きるか死ぬか」の緊急事態に追い込まれていますので。




 そういう経験をしていない人には到底信じられないし理解もできないと思いますがそうなります。

 それと、追体験してほしいとも思いません。あんな苦しい体験はしなくてもいいし「してはいけない」とさえ思います。


 例えば「身内が死んだ悲しみが永遠に続く」ようなものです。そんな状態ではまともな判断下せないでしょ? それと同じ状態になるのがパワハラで追い詰められた人の心理状態です。




「死にたいと思ってる人間を「無責任に」励ますな!」って言うけどそれはざっくり言えば「当たり」で

「『励まされた』ところでどうすればいいんだ?」ってなるし、そもそも「死にたい」って思ってる人は「緊急事態」に陥っているんで「自分の意志で判断してもどんどん正解から遠ざかっていく」んですよね。

 それこそ「本人の意思に関係なく無限にボタンの掛け違えが続く」ようなものですよ。


 映画化もされた「幼女戦記」以上の「ズレ」や「すれ違い」が「永遠に」「どこまでも」「ただひたすらに」続く。といえば少しは理解できるでしょうか。




 実体験として当時は「なんで俺のつらさを分かってくれないんだ!」って親に対してキレそうになったことも何度もあって、今思い返してみたらあの時はもう正常な判断はできませんでした。

 最終的に通勤途中で吐くようになってようやく「ああだめだ」って冷静になって会社辞めたんですけど、もしあそこで吐かなかったら今頃刑務所か死んでいたかのどっちかです。これだけは確信して言えます。

 半歩でも間違えれば自殺するか相手を殺して刑務所に入っていた「はず」です。だろう、なんていう生易しい言葉は使えません。


 当事者にとっては「自分はこれが最適解だ!」って思うことも「全て」「一切の例外なく」「悪手」にしかならなくて、際限なく沼にはまっていってしまいます。

 それこそ「本人の意思に関係なく無限にボタンの掛け違えが続く」ので。




 私自身、パワハラを受けていた時は冷静になる余裕なんて一切なかったので、周りの人間が「ムリヤリ」隔離しないといけなくなります。

 本人の意志の力ではどうしようもなくて、そのままにしているとどんどん問題は悪化する一方なので「意志の強さ」がどうとか「気分転換」とかいう問題ではなくなります。


 まぁこんなこと言っても分からないと思いますし、むしろ「分かる! それ!」って思う人は即座に入院すべきだと思います。

 多分本人は「そこまで酷くは無いと思うんだけどなぁ」って思うでしょうけど気づいてないだけでそれくらい危険な状態ですよ。

 なので「死にたいと言ってる人に限って死なない」って軽く見るんじゃなくて「誰もが最も恐れるはずである『死』に惹かれる」という緊急事態であるのは覚えておいた方がいいと思います。




 これはもう「追いつめられた」人にしかわからないと思うんですが

「追いつめられる」と「自分がしっかりしてないからこんな目に遭うんだ。自分が悪いんだ」と思ってしまって自分の力だけで何とかしようと思っちゃうんですよね。


 実際私は一つ前の職場でパワハラに遭って「とにかく自分で何とかせねば」と思ってメンタルぶっ壊しちゃって最後には逃げるようにその会社を辞めたんですが、

 電通の職員自殺とか、栄養失調による餓死ってこういう感じで起きるんだなと思いましたよ。


 あと1歩でも踏み間違えたら「死んでたはず」です。死んでたと「思います」なんていう生半可な言葉は使えません。

 ガチで死を意識した時は原付運転中に電柱に思わず「吸い込まれそうに」なりましたからね。アレはガチでヤバくて、あと1ヵ月でも対処が遅れてたら本当に死んでたはずです。




 追いつめられると「警報アラームが鳴りっぱなし」になって「24時間365日道路工事現場の隣にい続けるのと同じ状態」になって正常な判断ができなくなるんですよね。

 そんな騒音だらけの場所では「脳が誤作動する」とか「脳がバグる」って言いますけど、まさにそんな状態になってしまって正常な判断ができなくなるんですよね。


 そうなると「他人を『頼ってしまう』と頼ることが前提のもっとダメな人間になってしまう」とか「他人を『頼ってしまう』ことそれ自体がくつがえしようのない敗北であり人生の汚点だ」

 という「間違った」考えを持つようになってしまって「他人を頼らなければ解決しない問題にも1人で何とかしようと思ってしまって結局解決できずに死んでしまう」ということも起こりえます。




 現代日本は、それこそ「捨てるほど」食料が豊富にあるのに餓死者が出る。っていうのはそういうことが原因かと思います。

「誰かに頼ってお互いに迷惑をかけあってしまうくらいなら、1人で死んだほうが誰にも迷惑をかけないだけまだましだ」って思って本当に死んでしまうんですよね。

 だから「誰かを頼ることは恥でもなく、逃げでもなく、ましてや敗北者の焼き印を押される屈辱的な負けでもない」というメッセージを出さないと救える命も救えないと思います。


 本当に救助が必要な人「だからこそ」誰からも頼りたくない、頼ってしまうことはそれこそ許しがたい敗北であり耐えがたい屈辱であり、

 負け犬人生への転落の出発地点なんで、差し伸べられる手が怖くてそれを握ることが堕落への1歩だと思ってしまうんです。それくらい追いつめられるんです。

 実際生活保護が必要な人が、どれだけ生活保護を受けてるか調べたところ「必要な人の2割」にしか届いてないそうです。




 この感情というか感覚は分からなくてもいい。分かったところで辛いだけだから無理して分かろうとしなくてもいい。共感して欲しい、と言うつもりはさらさらないよ。

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