第3話

 コーヒーもココアもすっかり冷めてしまっただろうという頃になって、ようやく悠一が口を開いた。

「……本気?」

 その一言だけだった。でもその一言に悠一の気持ちがすべて詰まっている気がして、私は重々しく、けれどはっきりとうなずいた。

 と、これでもかというくらいに、不穏な空気を従えた大きなため息が聞こえてきた。はっとして顔を上げる。

「……ほんと勝手だよな。何年も付き合っておいて、他にいい男が見つかったらさっさと捨てるってことだろ?」

 はたから見たら私はきっと、文字通り目が丸くなっていたと思う。

 信じられない──ここまで自分のことを棚に上げて正当化して、自分がやったのと同じことで他人を責めることができるなんて。

「女ってそういうとこあるよな。やっぱり──」

「──いいかげんにしてよ!」

 私は思わず悠一の言葉を遮って言った。意外ときつい口調になった。同じことを感じたようで、悠一はとっさに口をつぐんでいる。

 そういえば、私は口論になっても、基本的に声を荒げることをしてこなかったな、と思う。それはもちろん、さっきみたいに言葉が出てこないから、というのもあるけれど、私が何か反論すればそれが何倍もの強さを持って返ってくるし、まともにやり合っているとあまりに疲弊するからだった。

 でももう、これ以上は耐えられない。

「私が新しく別に男見つけてもともとの彼氏を捨てる? 一体どの口が言ってんのよ! 自分も同じこと──違うね、もっと勝手なことしたのわかってないの? そうやって捨てた女をフラれた時の保険としてキープしておいて、なおかつフラれて、何事もなかったみたいにヘラヘラとより戻させて!」

 一気にまくし立てた私に、悠一は半ばあっけにとられているようだった。その顔を見て、ああ私はこれまで、この人にとっては都合がいい女ですらなく、単に従順な「アクセサリー」なだけだったんだな、と自嘲的な気分になる。

 別に、お姫様扱いしてほしかったわけじゃない。でも、せめて、人格を持った対等な人間として接してほしかった。

 私が、もっと早くに悠一とぶつかることをしていれば、私たちはちゃんとうまくいったのだろうか。少なくとも違った形で今を迎えられたのだろうか。そんな思考に引きずられるように、私はテーブルを見つめていた。と、そこに不自然な影が落ちる。

 それにつられて私が顔を上げるのと、立ち上がった悠一が私の肩を掴むのが同時だった。

 ぱっと目が合う。

(殴られる──!)

 咄嗟にそう思った私は、反射的にぎゅっと目をつぶり身体を硬くした。

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