まだ、今じゃない

第５話

　それなのに、別れを切り出した時には「告白したい人がいるから」なんて口から出まかせで言ってしまうし、いちいちやることが中途半端なのだ。目も当てられないとはこのことだと思う。

「僕は過去の交際相手には執着しないたちですし、彼に見限らせるためにどうするのが一番効果的なのかは想像するしかありませんが」

　そう言って、松本さんは少し笑った。その顔があまりにも私の「好み」で、思わず目を奪われてしまう。

　その笑顔を崩さず、松本さんは続けた。

「……この際、既成事実でも作ってみましょうか」

　思わぬ言葉についぽかんとしてしまう。それから急に顔が熱くなった。

「え、ええと、それはつまり『お誘い』、なんでしょうか……？」

　ついしどろもどろにになってしまう。

　一瞬動きを止めたものの、松本さんはすぐに了解した表情になった。

「……ああ。『それ』を意図して言ったわけでは」

　そう言って、いたずらっぽい笑みを浮かべる。

「もちろん、お望みならいつでもお相手させていただきますが」

　完全に墓穴を掘ってしまったらしい。

　ああどうして、自分で掘った「墓穴」は、「穴があったら入りたい」時の穴には使えないのだろう。

「……それはそれとして」

　松本さんが取りなすように言った。

「おそらく、ちょっとした協力者が必要になるでしょう。彼との共通の知り合いに心当たりはありますか？」

　協力者、か。悠一が警戒心を抱かない相手であるかつ、事情を聞知ったらこちらの味方をしてくれそうな人。「共通の知り合い」と言えるかは別として、浮かぶ人がいないわけではない。

「……当たってみます」

　私の言葉に、松本さんはうなずいた。

「それと……」

　何か言いたげな声につられて顔を上げる。と、まともに目が合ってしまった。

「そろそろ敬語、なしにしてみませんか？」

「敬語……」

　そういえば私たちは出会ってからずっと敬語で会話していた。

（いや、まあスタートが敬語だったし……向こうはともかく、私にとっては頼れる大人の男の人って感じもあるし……）

　思わず心の中で言い訳をしてしまう。

　と、まるでそれが聞こえていたかのようなタイミングで、松本さんが笑った。

「ほんとは下の名前で呼び合いたかったりもしますけどね。その辺はまあ、おいおい」

　ああほんとに、もうこの人は「他人じゃないんだな」なんて不思議な感慨に包まれる。

「よろしくね──由佳ちゃん」

（──！！）

　心臓がどきんと大きく跳ねた。

（好きな人に名前を呼ばれるって、こんなにドキドキするものだったっけ？）