雨のち恋日和
第1話
午前7時54分。私はいつもと同じ車両のいつもと同じ扉から電車に乗りこんだ。ラッシュアワーの真っ只中なので座席は空いていない。とはいえローカル線なので、混み方は知れていた。
私は人の間を縫い、車両の中ほどに移動する。全員が降りるターミナル駅まで乗ったままなのだし、これからどんどん混んでいく扉付近にとどまっている必要がない。それに──…
ちょうどスペースがあるあたりにたどり着いた私は、つり革を持って窓の方を向いて立つ。と、流れていく景色がゆっくりになり、次の停車駅のホームが見えてきた。
(──あっ)
真ん中あたりにいた方が、窓の外は良く見えるのだ。ほら、今日も私の目はしっかりと捉えることができた──そう、ホームに立っている「あの人」の姿を。
何人かの乗客と一緒に、あの人は電車に乗り込んできた。私はさっとそちらに目を走らせる。
今日はグレーのスーツだった。相変わらずよく似合っている。思わずため息が出そうになった。
少し目にかかりそうな、まっすぐで黒い髪。悪目立ちしないブラウンのセルフレーム。そしてその奥から覗く切れ長の目。ニキビひとつないなめらかな白肌。
(こんな人が、いるんだもんね……)
私はその姿を見つめたまま、改めてそんなことを思った。
あまり夢中になって見つめて不審がられても困るので、私は適当なタイミングで視線を戻す。窓の外では、再び景色が動き出していた。
(はあ……やっぱり素敵)
俗に言う、「目の保養」だと思う。毎朝乗る通勤電車で、たった十数分乗り合わせるだけの、どこの誰とも知らない、話したことすらない相手。その姿に、私は毎朝癒されている。
(って、こんなこと思われてたら気持ち悪いだろうけど……)
私はまた、あの人が立っているであろう方向に目を向けた。が、人垣に阻まれてその姿は見えない。私はふっと静かに息をついた。
世に言う「ひとめぼれ」なのだろう。もしかしたら、「完璧」だと思うのは私だけで、一般的に目を引く容姿ではないのかもしれない。周りを見渡してみても、その姿に目を奪われていそうな人はいないのだ。
(でもこんなにも惹かれるビジュアルの人って、今まで会ったことないと思う……)
私は人垣の向こうのあの人に思いをめぐらせる。
と、気づけばターミナル駅に着くところだった。一斉に開いた扉から、乗っていた乗客が一気に吐き出される。
私は乗り込んだのと同じドアに向かい、電車を降りた。さっと目で探すと、1メートルほど先を歩くあの人の後ろ姿が見えた。が、すぐに人込みに紛れて見えなくなる。
今日はこれでおしまいだ。私は地下鉄に乗り換えるべく、左に折れた。
私はあの人がどこに勤めているだとか、どこに住んでいるだとか、そういうことには興味がない。知っても仕方がないと思うし、知る必要もないと思う。
容姿がとっても好みだからといって、私はあの人が好きなわけではないし──好きなのはあくまであのビジュアルなのだ──私は毎朝の通勤中にあの姿を拝めればそれでいい。目の保養、つまりは癒しだから。
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