第5話
「──大丈夫ですか、和泉さん」
松本さんが気遣わしげに言った。そしてハンカチを差し出す。
「え……」
それで初めて、私は自分が泣いていることに気づいたのだった。
「あれ……なんで……」
かすれた声が出た。松本さんが無言で見つめているのが感じられる。
「怖かった、でしょう……」
松本さんは、静かにそう言った。
(あ、そうか……怖かったのか……)
言われるまで、それすらわからなかった。さっき立っていられなくなったのも、つまりは腰が抜けたような状態だったらしい。恥ずかしいし情けない。けれどとてもそんなことを気にしていられる余裕はなかった。
悠一とはそれなりの年月付き合っていたけれど、手を上げられたことは一度もなかった。そういうことをする人ではないと思っていた。けれど本当は違ったのだろうか。
それとも、私があんな態度をとったせいで逆上したのだろうか。
「──ちょっと失礼します」
そう断って、松本さんがどこかに電話をかけ始めた。会話の内容から、今日行く予定だったお店にキャンセルの連絡を入れているのだとわかる。食事会を中止するという判断はとてもありがたかった。けれどそれ以上に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
松本さんが電話を切ったところで、私は「すみません」と頼りない声で口にした。
「とんでもないです。とてもそんな気分じゃないでしょう」
松本さんは驚いたように言った。そして少し考え込む。
「……どうしましょうか。このままご自宅まで乗っていっていただいてもかまいませんし、帰るのが不安ならどこかビジネスホテルでも探しますが……」
思わずびっくりしてしまった。でも言われてみれば、私はこの後のことを一切考えていないのだった。
時間的に、悠一が私の家に先回りしているとは考えにくい。けれどそのあとは? 合鍵を渡してはいないけれど、「話をする」ために扉の前まで来ることはできる。
悠一は、私の家までやってくるだろうか。そういうタイプだっただろうか。
(わかんない……もう悠一がどんなやつだったのか……)
私は両手でこめかみを押さえてうつむいた。考えるのが苦痛だった。
それでも、自分の家に一人でいるのを想像すると、心臓のあたりがひやりと不快な冷え方をする。
(ああ、なにか返事しなきゃ……)
のろのろとしか動かない頭でそう思ったのと、松本さんが再び口を開いたのが同時だった。
「それか……来ますか?──うちに」
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