第39話 見えてる?
「……みんなにも、同じ思いをしてほしかった」
「みんな?」
「私と……一緒の人」
ひだるは口を濁す。俺は心中を察することができた。ワガママ娘も、
「自分だけ美味い物を食べて、悪いと思ったのか」
俺が聞くと、ひだるは無言でうなずいた。
「中の人がかなり上に行ったから、ちょうどいいかと思って」
そう言えば、この前そんな話をしていた。
「もちろん、木曜日までには帰るつもりだったけど……多すぎた。全部は連れて行けないから、選ばなきゃいけなくて」
「それで遅くなったんだな」
「うん。
「お前を退治した、という生臭坊主が来てな。俺に金を要求した」
それを聞くなり、ひだるが低くうなり始めた。俺はすかさず彼女の頭に手をおく。
「払っちゃいないから安心しろ。そういや、結局あいつはどうやって俺たちのことを知ったんだ」
俺は改めて席に座り、皆に話しかける。堅い職業で警察とも付き合いがある
「やっぱり病院でしたよ。遺体を回収しに行った時らしい」
「考えてみれば、あそこじゃしょっちゅう人が死んでるもんな」
話を小耳に挟んだ瞬間、
「ざっくりした情報から、暁久の家まで割り出した執念は立派だけどな」
「その力を他で使えば良かったんだよ」
「剣道八段の夫と銃の達人の妻、まで調べなかったのは手落ちだけどな」
結局、その中途半端さが彼の命取りになった。ばれているはずがないと思っていたところに集中攻撃をくらい、心が折れてしまったのである。
「ま、これで全てすっきりだ。犯人も捕まったし、ひだるちゃんも戻ってきた」
良かった良かった、と場に笑いが満ちる。しかし俺だけは、苦虫を噛み潰していた。
「ひだる」
「……戻ってきてごめんなさい」
「んなこた言ってない。どっかに行くときは一言おいてけ。そうじゃないと、みんな心配するだろ」
「あ」
ひだるは一同を見つめた。そして大きくうなずく。
同じ騒動は、もう起きない。俺は確信した。
「よし、飯にしよう。辛気くさい話はここまでだ」
店を占領した一行が手をたたく。何がいいかと、議論が始まった。
「また春巻き?」
前に食べたからだろう、ひだるがそう言う。しかしこの店は、土佐や近場の新鮮な魚貝が一番の売りだ。実は先日の鰹丼店の店主、ここのオーナーである。
「お造りは何があるかな」
「今日だと、イカとハマチがきれいでしたよ」
「じゃあ、それを入れて五種で……人数分」
「はいよっ」
店主がてきぱきと冷蔵庫から食材を出す。早くもひだるの中から魂が抜け出し、カウンターにへばりついた。
相変わらず、死んでるのに元気だなあ。そう思って見ていたら、奥のカーテンがふっと動いた。
『おお、良い動き。狭い中で最大限の効率』
何故か
『いやあ、この周辺の店を巡っていると時間があっという間に過ぎますな。伊藤さんの匂いが残っている店はどれも勉強になります』
あの世に行く気があるのか、と俺は茅野をにらみつける。年季の入った古狸は、軽やかにそれを無視した。
「…………」
そんな死者の魂たちを、
「き、気分でも悪いのか?」
「最高よ」
貴久子はそう言うものの、視線が常に魂たちに固定されている。
怖い。見えているのか、いないのか。
「はい、お造り用の醤油です」
人数分の小皿が出てくる。三つに分かれており、醤油以外に塩と土佐ぬたがセットされていた。
「五種のお皿、置きますね。今日はタコとイカ、ハマチ、鰹、平目です」
一口サイズに切られた刺身が、黒い皿の中で光を放っている。後ろにちょこんと乗った紫蘇の緑と、大根の白も美しい。
「あー、いいわねえ。何の切り身かはっきりしてる魚って」
妻の物騒なコメントは聞き流し、俺はイカを醤油につけた。
口に運ぶ。噛みきるときの弾力が、歯に快い。するする抵抗なく入るのは、新鮮さの証だ。
「あ、ひだるちゃんが固まってる」
「ほんとだ」
イカを口内に含んだまま、魂を飛ばしているひだる。男たちはそれを肴に日本酒を飲んでいた。
『はは、みんな元気でよろしい』
今回の魂は、なにやら変わったダンスをしている。全員光る棒を手に持ち、それをすごい勢いで振っていた。旅行中に身につけたのだろうか。この前茅野が助けた子供も、みんなと同じペースで踊っていた。
(なんていったかなあ、テレビで見たんだよなあ)
「オタ芸」
俺の考えにシンクロするように、貴久子がつぶやいた。
(嫁、見えてる。絶対見えてる)
答えが分かった喜びは一瞬で消え、俺は恐怖した。相手がどう出るか想像がつかない。
「あの……」
「無粋なことはあとよ。ここは食事をするとこ」
話すきっかけを失って迷う俺をよそに、カウンターの中の店主は着々と天ぷらを完成させている。
「春巻き?」
ようやく復活したひだるが、俺の袖を引く。
「揚げてるけど違うな」
素材そのものに衣をつけているのだ、と説明した。
「はい、まずはじめは鰯です」
ここの天ぷらは、コースのように一品ずつ出てくる。五種のはじめは、さっぱりしたものからだ。
「塩がおすすめですね。変わった味がよければ、ゆかり塩でもいけますよ」
店主は小さな塩びんが詰まった箱を出してくる。
「これ、カビ?」
『違いますよ』
緑色の塩を指さしながら、ひだるがつぶやいた。不名誉を受けては敵わないと、茅野が素早く否定する。俺も首を横に振った。
「抹茶が入ってるんだ」
同じく黄色いのにはカレーが、紫色にはふりかけの「ゆかり」が混じっている。さっき店主が言っていた「ゆかり塩」とはこのことだ。ほのかに紫蘇の香りがして、いいアクセントになる。
「はじめは普通の塩にしとけ。いい魚は、塩で食べるのが一番だ」
ひだるは素直にうなずき、鰯に塩をちょんとつけて食す。
『油がー! 油が口の中に-!!』
『こぼさぬ。一滴もこぼさぬ』
また芸達者な魂たちが出てきて踊った。
(それにしても増えたな……人数)
総勢百名はいるのではないだろうか。老若男女入り交じり、ダイナミックになったオタ芸。それ横目で見ながら、俺は天ぷらにかじりつく。
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