第30話 中からじゅわっと出汁が出る
「ただ、平日昼間は行列やから。行くんやったら早めの方がええで」
「そうか……」
並ぶのが嫌だと口にすると、
「俺は並んでる店の方がええな。なんか人気店な感じせえへん?」
「いや、待ち時間の先が見えなくて辛い。お前、面倒なことは嫌だっていつも言ってるじゃないか」
「その先にお楽しみが待っとると思えば、楽しい。楽しいことは大好きや」
四郎は人気だと分かれば、一度は覗いてみると言った。この前は若い女の子に混じって、イタリアンの行列に並んだという。
「パスタ目当てで行ったんやけど、ピザが美味そうやったで」
「ひざ?」
「ピザや。ボケがうまいな、ひだるちゃん」
本人は呆けたつもりはないと思うが、会話が成立してしまった。
「ほら、これ。並んでた子にお願いして、写真だけ撮ったやつ」
ピザの画像を見せられたひだるは、瞳孔をガン開きにしてじっと見ていた。間違いなくねだられる。これは間違いなく、俺も女子に混じって並ぶ展開になる。俺は四郎をにらんだが、彼はもうおでんの前まで移動していた。
「さて、どれにしよう」
湯気をたてているおでんと再び対面した。機械の下に皿が置いてあるので、手に取る。掌より少し大きいくらいの皿なので、載せられるのは二~三個くらいだろう。
「俺、もう決めたから先にとるわ」
四郎は常連らしく、卵と大根と焼き豆腐をさっさと選んで去っていった。
「何があるの?」
「卵、大根、こんにゃく、白滝、がんもどき、牛すじ……くらいかな」
「卵と牛を入れて」
「大根も食べなさい」
ひだるは渋々俺の意見を聞き入れ、卵・牛すじ二本・大根を持って去って行った。最後に残された俺は、出汁の中を覗きこむ。
「何はなくとも、がんもだろう……」
みんながんもどきに注目していないのが悲しい。出汁をがっつり吸ってまん丸に膨らんだ様子がいかにも美味そうなのに。俺は一番丸くなったがんもと、定番の牛すじ。そしてこんにゃくを選んで席に戻った。
「えーとな、お姉さん……三人で合計、おでん十個や」
「ありがとうございますー」
無事伝票に書き込まれるのを見てから、俺は箸を割った。
「いただきます」
がんも……といきたいが、熱いうちに食べるとしみ出してきた出汁で怪我をする。俺はまずこんにゃくを口にした。
うん、こんにゃく。うっすらだしをまとってはいるが、これは食感を楽しむものだ。くにくにした塊を噛み、胃に送り込むと空腹が少し落ち着く。ふっと横を見ると、ひだるから出た魂たちが棒立ちになって歌っていた。
『母なる卵の懐に』
『我ら人の子の喜びはある』
哲学的な喜び方である。彼らは音程がめちゃくちゃな歌を歌いながら、ひだるのところへ戻った。
「
「そうだろうそうだろう」
すでに卵と牛すじを平らげたひだるが、最後の大根にとりかかっていた。
「柔らかくなるのは知ってたけど、こんなにおいしい汁はじめて」
「そうだろうなあ」
出汁の取り方も材料も違うはずだ。方法を工夫してさえやれば、ひだるも野菜を好んで食べるかもしれない。
「でも、暁久は大根ないね」
「俺は普段から食べてる。外食は羽目を外す場だ」
良い具合にがんもどきが冷めてきたので、がぶりと大きな口をあけて噛みつく。柔らかい膨らみの中から、汁が溢れてきた。それを外かりかり、中ふっくらの具とともに咀嚼すると、幸せだなあとつぶやきたくなる。
続いて牛すじ。コンビニおでんだと「皮だけでは?」と言いたくなるような代物もあるが、ここはちゃんと茶色い肉がついている。皮と肉の境目の濃厚なところが、一番うまい。
「いっとくか、おい」
「できるなあ、友よ」
いつの間にか、四郎が熱燗を注文していた。遠慮無くご相伴にあずかる。熱くなってこくの出たアルコールが口の中の出汁とまざり、一層うまい。
「……暁久、うどんは?」
「あそこで煮てるよ」
おでんを食べてしまったひだるが、いじましそうに前方を見つめる。俺は猪口をかたてになだめにかかった。
ガスにかかった大釜の中でぐらぐらと湯が煮えており、時折勢いよく吹きこぼれている。その中にうどん入りの網が無造作につっこまれていた。
「煮えるのに十五分くらいかかるって書いてあるぞ」
同じようなことを聞く客がいるのか、「お時間いただきます」というカードがあちこちに立ててある。
「うどんは小麦やろ? よーく加熱したら糊みたいになって、ようやくコシが出るんや。消化も良くなるしな」
「へえ」
「うまいもん食いたかったら待っとき」
「うん」
ひだるは四郎の言うことを素直に聞く。
「根拠を示してくれるとわかりやすい」
「へいへい、俺は学がありませんよ」
「おでんが食べたい」
言うことは聞かないが要求はされる。結局うどんが来るまでに、おかわりの牛すじと卵、がんもを追加させられた。
「はい、どうぞー」
カウンター越しに、次々とうどんが手渡される。
まずは四郎の生醤油と牛うどん。ゆであげられたうどんの上に、茶色に染まった牛肉がでんとのっている。かなり多い。あれだけで、醤油なしでも麺が食べられそうだ。
「醤油かけすぎると辛くなりますから、気をつけてくださいね」
「ほいほい」
四郎はうなずきながら、満面の笑みを浮かべる。
「この牛がうまいんや。飯にかけることもできるで」
「うどん屋で牛丼?」
「通な食べ方やろ。一口いるか?」
流石心の友。ひだるからは決して聞くことができない台詞だ。せっかくなので、俺はありがたく申し出にのる。
「ん、これはうまい」
しっかり甘辛の味がついているが、辛すぎない。確かにこれを飯に乗せたら、最後まで止まらなくなるだろう。俺はゆっくり、最後まで噛みしめた。
「いや、びっくりした」
「せやろ。ほら、暁久のも来たで」
四郎の言う通り、カウンター越しに盆が渡される。俺は自分の品に、しみじみと見入った。
つややかなうどんだ。蛍光灯の反射で光っている。ただ器に入って海苔がかかっているだけなのに、どうしてこんなにわくわくするのだろう。その横には緑のねぎとかぼす、大根おろし、生姜にごまといった薬味が並んでいた。
「いただきます」
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