第31話 喉が喜ぶうどん
とっくりに入った出汁を豪快にぶちまけ、まずねぎと生姜、ごまを投入する。こういう料理に遠慮は無用だ。
割り箸を麺につっこませる。一本が長く、ずるずるとついてくるので振り切るのが大変だ。心を決めて、ひと思いにすすった。
しっかり主張する麺が、喉を通りぬけていく。その感覚が心地良いが、どこかで噛みきらなければならない。
「うむ」
歯を入れて、思わず唸った。弾力ある麺が、切られまいと押し返してくる。少し力を強めると、今度はうまくいった。
口の中にわずかに残った麺を噛む。中心まで火が通っているのに、しっかり小麦の味がした。使っている粉がいいのだろう。
彩りを加えるネギとごまも素晴らしい。特にごまのぷちぷちした食感が、引っかかりのない麺と好対照だ。
一息ついて熱い茶を飲んでいると、隣からばりばりっと景気のいい音がした。ひだるが鶏天に食らいついたまま、固まっている。
『鶏を愛せよ』
『鶏と卵を食す人の子ら 鶏に感謝せよ』
『赤い卵 白い卵』
『卵を褒めよ 称えよ鶏を』
霊体がうるさい。よく聞いてみれば、これは有名な歌唱曲を替え歌にしたものだとわかった。ちゃんとソプラノとアルトがいて、芸が細かい。
「どうだ、気に入ったか」
「天からの贈り物だと思う」
ひだるのざるは、天ぷらがのっている分俺よりさらに華やかだった。左手にざるに乗ったうどんと出汁壺、右手にきつね色の鶏天と天だし。気になった俺は、ひだるに聞いてみた。
「しっかり味ついてそうな色なのに、天だしなのか。ひだる、鶏天一つくれよ」
扇風機になりそうなほど、首を振られた。
「……鶏天三つ入り、追加でください」
結局俺が折れればいいのだ。世の中、そういう理不尽なものである。揚がるまでの間、俺はうどんに大根おろしを山のようにかけて飲み下した。
「はい、どうぞ」
ようやく待ちわびた鶏天がやってきた。近くで見ると、思っていたより大きく、赤子の拳ほどもある。下の紙に透明な油が少しこぼれていて、揚がりきったところなのがわかった。まずはそのまま、一口かじる。
「熱っ……うん?」
中から油が出てくるのは想定済みだったが、思ったより味付けがさっぱりしている。衣の色がけっこう濃いから、見事にだまされた。今度は天だしにつけてみると、旨みが重なって味がはっきりした。
「これは出汁がいいなあ」
塩だけでは、この複雑な旨みは出せない。うまい出汁を多用している店だからこそのメニューだろう。
「
ひだるがのたまう。俺は無視して、ひと口だけ残してあったうどんをすすった。
「いやー、うまかったなあ」
俺たちが大人げない攻防を繰り広げている横で、
「連れてきてくれて助かったよ。ありがとう」
「……いや、ありがとうはこっちやわ」
頭を下げる俺に向かって、四郎は大きく手を振る。
「最初はくさくさしとったけどな、気にするのも阿呆らしくなってきたわ。俺はやっぱり、うまいもんを食ってそれをみんなに知ってもらいたい。たまたまダボに当たられたぐらいで、諦めるなんて勿体ないわ」
「そうか。ちゃんと読者がついてるんだし、楽しみにされてると思うぞ。ここにもファンが二人いるしな」
俺がひだるを指さすと、魂たちが数に入れろと騒いできた。……残念ながら、君たちを入れるとややこしくなるので論外。
「はは、そやったそやった。今日の報告をさっそくあげたいけど……全部食べてしもたからな。店の前で、写真だけとろか」
四郎は上気した顔で、ひだるから取り返したスマホをいじっている。
「ほい、これでコメント欄も復活! 明日から通常営業や。変な信者にも負けへんで」
「……もう大丈夫だよ」
「ははは、そうそう。完全復活!」
四郎は単なる励ましだと思ったようだが、俺は確かに見た。必殺仕事人のような顔をした亡霊が、ひだるの中に戻っていくのを。
「ひだる。何した?」
問われたひだるは、意味ありげに口元をつり上げただけだった。
☆☆☆
「その後、どうだ? ブログ」
「ああ、お前には言うとこうと思っとったんや」
後日。稽古が終わって汗を拭いている四郎に、俺は聞いてみた。四郎は眉を八の字にして答える。
「これ、どう思う?」
再開された四郎のブログ。そのコメント欄は、異様な雰囲気に満ちていた。
『変な音がずっと聞こえてくる。仕事にならない』
『頭が割れそう』
『何を食べても味がしなくなりました』
『お願いします。許してください』
『この人たち、アンチですよね。そろってどうしたんでしょう? 私はなんともないですけど』
『僕もなんともないですね。主さんに言ってもしょーがないでしょ』
『名の有る呪術師とお知り合いですか? その方のお名前を教えてください』
奇妙な症状を訴える書き込みが、全体の半分以上を占めている。まともなユーザーはそれを見て不思議がり、たまにオカルトマニアが異常な食いつきを見せていた。
「アクセスと順位は上がったんやけどなあ……また、コメント閉じるか?」
「いいよ。すぐ静かになるから」
「へ?」
原因がわかっていれば、対処するのは難しくない。それだけのことだ。
(さて、何でひだるの機嫌をとるかな……)
俺は心の中でつぶやいた。
☆☆☆
めったにクジなどやらない俺だが、商店街の福引きは参加する。引き替え券をくれるので、財布がぱんぱんになってしまった。それを少なくしたくて、回しただけだったのだが……
「おめでとうございまーす!! 二等です!!」
その結果、水族館の入場券が当たってしまった。しかも、二枚。俺はチケットを手にしたまま、固まった。改修されたばかりで、おしゃれだと有名なところだ。
(こんなの、俺が行くとこじゃねえなあ……
俺は、滅多に訪ねてこない孫の顔を思い浮かべた。
小学生くらいまではそれなりに交流もあったのだが、彼ももう中二。小遣い目当てでしか現れない、生意気な年代になった。
(そろそろ来る頃だしな)
偶数月の十五日──その付近に直己はやってくる。年金の支給があるからだ。
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