四千年が溶け込んだとろとろ中華粥

第32話 ロマンスのはじまり?

(得になることだけ、しっかり覚えてるんだよな)


 直己なおきは目的のものを手に入れたら、もう用はないとばかりに帰っていく。少し寂しい気もするが、最近は俺も割り切って考えるようになった。


(こっちも特別な話があるわけじゃなし)


 どちらかが気を遣わないと会話が成立しない。そんな関係の相手が長居してもつまらない。高額紙幣一枚でカタがつくなら、それでよかった。育て方を間違えた気もするが、子育てなんて大体そんなものである。


暁久あきひさ

「うわっ」

「どっか連れてって」


 金だけでカタがつかない相手──ひだるを見ていると、いっそうそう思えてくる。


「木曜日でしょ」

「ああ……だが、今日は客が来るかもしれなくてな。それが終わってからだ」

「えー」


 ひだるは子供のように地団駄を踏む。ゴネている様だけなら、かわいらしい。そんな彼女の背後から、そばかすを顔に付けた中学生が顔を出した。


「ジジイ、生きてるかー」


 やりたくないが、仕事だから仕方無い。そんなオーラをまとった学生服の少年が、そこにいる。


(げっ、直己)


 今日は予想より、はるかに早い。普段は散々寄り道してから来るくせに。


「ん」


 ひだるは振り向き、侵入者をにらむ。貴様はどんな奴だ、と品定めをしているのだ。


「…………」


 それを受けた直己は、すっとぼけた顔をしてその場に立ちつくしている。


(やられたか)


 ひだるは人の生気を吸う。飽食の時代に生きる直己の脳天気さが、かんに障ったのかもしれない。


「暁久。こいつ、どうしたの」

「張本人が何を言うか」

「何もしてない」


 俺に対し、ひだるは心外だと言わんばかりに頬を膨らませる。


「……お前じゃ、ないのか」


 ひだるは激しくうなずいた。


「ならこの不肖の孫は、どうして固まってるんだ」


 俺は直己の顔を覗きこむ。彼の顔は、茹で蛸のように真っ赤になっていた。


(ははあ、さてはこいつ……)


 俺は孫を支配している感情の正体に、ようやく気付いた。


「あああの、おじいさま」


 直己がようやく再起動した。気持ち悪いバグがかかってはいるが。


「こここ、この美しい女性はどなたでしょう?」

「近くの学校から来たボランティアさんだ。独居老人訪問ってことで、時々来てくれてる」


 俺はしれっと嘘をついた。何回も話していると、段々本当のように聞こえてくる。


「そうですか! 僕、この人の孫で、直己っていいます」

「へえ」


 心底興味がなさそうに、ひだるは体をよじった。


(ま、当然か)


 彼女が反応を示すのは、おごってくれそうな奴だけだ。ケツの青い若造と恋愛なんてしたくもないのだろう。


「…………」


 達観している俺とは反対に、直己は助けて欲しそうにこっちを見ている。自分とこの美少女の橋渡しをしろ、と言っているのだ。


(やれやれ……見てくれの良さばかり気にしおって)


 ちょっと観察してみれば、ひだるにまとわりつく殺気に気づける。修練が足りん、と俺は思った。


 今時の子……と言ってしまったら失礼か。直己は目立ちたがり屋のくせに努力するのは大嫌いだ。剣道でも基本の足さばき、振り方を小馬鹿にして格好良い技だけをやりたがる。


 そのため俺と大喧嘩になって、結局違う道場に通い出した。そこでも当然芽が出ず、未だに四級のままだ。


(たまには、痛い目みさせてみるか)


 そう思った俺は、ひだるに向き直った。


「腹減ってるんだったな」

「うん」

「直己、メシを一緒に食べたらどうだ」


 直己がこの申し出を断るはずがない。尻尾を振って食いついてきた。


「じゃあ、今からモックでも行きませんか」

「モックって何?」


 ひだるが聞く。俺は、有名なハンバーガーチェーンだと教えてやった。


「はむばっか?」

「若い連中に人気がある食い物だ。一回体験してみてもいいだろ」

「そーね」


 ひだるは行く、と答えた。直己は舞い上がり、幼児のようにはしゃいでいる。


「あー、それでな。ついでにこれも使ってくれ」


 俺はこれ幸いと、直己に水族館のチケットを押しつけた。孫はうやうやしくそれを押し頂く。


「このご恩は一生忘れません、大切なオジイサマ」

「分かったから、とっとと行け」


 どうせ玄関を出て三歩も歩いたら、俺のことなど忘れている。うるさいのを二人、まとめて追い払った。


 邪魔者がいなくなったのを確認した俺は、大きな伸びをする。


「油断大敵」

「うおっ」


 安心した次の瞬間、視界にいさむがいきなり割り込んできた。


「心臓麻痺で死ぬかと思ったわ」

「大げさだなー。その年じゃ、まだお迎えは来ねえよ」

「そもそもなんでいる」

「つれないねえ。時には一緒に飲みに行こうかと思っただけだよ。そしたら、面白いことになっててな?」


 そうだった。この男は昔から、人のもめ事に首をつっこむのが大好きだった。よく出れば世話好き、悪く出れば出歯亀と化す。


「別に面白くない」

「いいじゃねえの、直己くんがついに大人になる瞬間、見たくねえ? 見たいだろ?」

「いや」


 違う意味で大人になるかもしれないが、貞操に関しては全く心配しなくていい組み合わせである。


「なんだよー。行こうぜ行こうぜ」

「うーん……」


 興味はないが、つきまとってくる勇に困った。俺は体を起こす。


「後を追おう」

「お、やっとやる気になってくれたな。そうでなくちゃ」


 かくして、爺二人での水族館行きが決定した。なんでこうなる。



 ☆☆☆



「みんな見てるな」

「おう」


 繁華街に位置する水族館は、勤めやショッピング帰りの社会人や学生がメイン客層だ。そんなところにジジイが行けば悪目立ちすることこの上ない。


「……行こうぜ」


 こうなったら、本来の目的に集中して恥を忘れるしかない。俺と勇は早足で館内を駆けていった。


 この館に大水槽は一つだけで、後は小さい水槽が並ぶ。順路設定はあってないようなもので、客は空いているところを好き勝手に歩いていた。


「さて、どう探す? 学生が結構いるぞ」

「心配ない」


 俺はすでに、ひだるの残した妖気を見つけていた。体に妙な寒気が走る感覚は、間違いようがない。これをたどれば、彼女に辿り着く。


 ぽかんとしている勇を置いて、俺は歩き出した。


「いた」


 直己とひだるは、ペンギンの囲いの前にいた。よちよち歩きで近寄ってきた群れに、飼育員が餌をやっている。


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