第33話 坂の先にあるお楽しみ

「かわいー」


 腕をばたつかせるペンギンの姿に、ギャラリーから歓声があがる。それは直己なおきも例外ではなかった。


「わ、こっち向いた。今の見た? ひだるさん」


 普段のつっけんどんな態度が嘘のように、直己がはしゃいでいる。


「……見た」


 それに対して、ひだるはそっけない。


「あれは脈無しだな? まあ仕方ねえ、美人だもんなあ」


 ひだるが冷淡なのは、そんな理由ではない。俺にはとっくに分かっていた。


(あいつ……)


 ひだるが凝視していたのは、飼育員が持っている青魚である。


(そんなもん欲しがるなよ)


 しかし俺の声は届かない。ひだるは魚がペンギンにとられる度に、とても悲しそうな顔をしていた。


「どうしたの? ペンギン、苦手?」

「ううん」


 二人の会話が全く盛り上がらないまま、餌やりタイムが終わった。


(とりあえずボロは出てないな……)


 俺はぼんやりしていたが、直己はなんとかひだるの機嫌をとろうと必死だった。


「……僕といるの、つまんない?」

「うん」


 ひだるが直球で答えた。直己はよろめいたが、なんとか体勢を立て直す。


「ごめん。僕、あんまり女子と話したことなくて」

「そう。はじめては誰にでもある」

「君って優しいなあ!」


 孫よ。変わり身が早すぎるぞ。


「僕、君の喜ぶことなら何でもするよ」

「馬鹿野郎が」


 俺は思わず本音を口走った。


「どうした」

「あっ、あんなところに都築美緒つづき みおが」

「え? どこ? どこ?」


 有名女優の名を出すという古典的な手段で旧友を追いやり、俺はひだるたちに駆け寄った。既に直己は生気を吸われて青い顔になっている。


「きゅう……」

「ほう、これはなかなか。若いと体力がある」


 本人の許可がある分、いつもより情け容赦ない。


「そこで止めろ。さすがに死なせるわけにはいかん」

「えー」

「もうおごらないぞ」

「……わかった」

「うう……」


 俺の必死の形相が良かったのか、直己は意識を取り戻した。ひだるは大人びた仕草で肩をすくめる。


「立てる? 今日はもう帰ったら」

「うん、貧血かな」

「また今度ー」


 直己はよろよろと、出口の方へ歩いて行く。しかし、孫の顔がにやけているのが遠目にもはっきり見えた。


(病が深いなー)


 これは今後も面倒なことになりそうだぞ、と俺はため息をついた。


暁久あきひさあああ」

(おっと)


 もう一つ、面倒の種があったのを忘れていた。


「都築さん、どこにもいなかったぞー」

「取材で奥に引っこんだんじゃないかな。もう出てこないかもしれん」

「お前だけ見たっていうのか。ずるいぞ」


 いさむはまだごねている。暁久は彼の肩をたたいた。


「わかったわかった。飯をおごってやるから、それで勘弁してくれ」

「よおし」

「暁久も少しは分かってきた」

「なんでお前が混ざろうとしてるんだ」


 涼しい顔のひだるに、俺は苦言を呈した。


「はんばっかを食べ損ねた」

「自分のせいだろうが」


 指摘をうけても、ひだるは不敵に笑うだけだ。断られても、テコでもついてくるつもりだろう。


「……じゃ、めぼしいとこに電話するか」

「ごちっす」

「人の金で食う飯はうまいねえ、ひだるちゃん」

「うむうむ」

「今から三人……あ、いいですか。ありがとうございます」


 予約が取れ、店が決まった。たかり組を連れて、俺は街へ繰り出す。



 ☆☆☆



 店の席は確保済みのため、ゆったり歩いて目的地へ向かう。


「坂になるけど、大丈夫かな」


 勇がひだるを気遣う。彼女はふんふんと忙しなくうなずいた。


「そいつは食い意地張りまくってるから大丈夫だよ」

「む」


 ひだるが背中をぶってきた。俺は無言で彼女をにらむ。


(人外だってばらすわけにはいかんだろ。それに、事実じゃないか)


 意図が伝わったかは不明だが、ひだるはとりあえず拳をおさめた。


 駅を出て、大きな通りを北に向かって上がる。ひだるはどこに入るのか、としきりにきょろきょろし始めた。


「この坂が終わるまでは、どこにも入らないぞ」


 俺が釘を刺す。勇がそれを聞いて苦笑した。


「ちょっと、駅から遠いんだよなあ。移転してくれないかね」

「だからこそ、フリで予約が取れることもあるんだろ」


 今から行く店は、決して広いとはいえない。人通りの多いところにあったら、すぐいっぱいになってしまうだろう。


「知る人ぞ知る」

「おう。だからいいんだ」


 味は期待しとけ、と暁久が言うと、ひだるは小走りで坂を登っていった。


「いやー、美人なのにスレてない子だなあ。おまけに強いし。直己くんがふられたんだったら、弟子の誰かにどうかな」


 勇がうきうきした様子でそれを追う。熨斗つけてくれてやるわい、と俺はつぶやいた。


(……それにしてもあの坊主、いつになったら俺の祓いをしてくれるんだろう)


 まさか、完全に忘れられているのでは。そんな疑いが濃くなって来た時、上り坂が終わった。


「どーした、渋い顔して。流石にこたえたか」

「別に」

「強がるなよー」


 俺は勇を無視して、信号を渡った。ここまで来れば、目当ての店はすぐそこだ。大きな通りを離れ、路地に入る。


「おお」


 ひだるが声をあげた。狭いところに飲食店の看板がひしめいているのが、面白いのだろう。


「こんなところに、いっぱい」

「駅から遠い分、実力派が集まってる。ここの飯は、うまいぞ」


 ひだるの期待をあおりつつ、俺は赤い看板に向かって歩いて行った。引き戸を開けると、幅の狭いカウンターと厨房が見える。先客が一人、ピータンをつまみに酒を飲んでいた。


「イラッシャーイ」


 ややなまりのある日本語で、店主が告げる。予約を入れたと伝えると、カウンターに通された。


 一番奥に俺、真ん中にひだる、入口側に勇という並びで座る。


「この前食った、カレーがうまかったんだよな」

「ああ、中華風な」

「ちゅーか」


 ここは中華料理の店だ。洋風のカレーとは違い、さらっとしたルーに大量の玉ねぎが入って、スパイスが利いた一品が出てくる。初老の男が食っても腹にもたれないのがありがたい。


「でもそれ、夜はやってないだろ」

「そうみたいだな」


 セットが出るランチタイムと違い、夜は単品が中心になる。カレーはそれだけで食事として完結してしまうから、経営上まずいのだろうか。


「じゃ、ビール二つとウーロン茶。それと……」


 迷った末に、焼き豚と海老のライスペーパー巻き揚げ、それに中華粥にした。


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