第29話 セルフのよろこび
「ほな、行こか」
「ええ、今? お前、食べたばっかりじゃないか」
「アホ。食べ歩きで鍛えられたブロガーの胃をなめるなよ」
「わーい」
底なしの胃袋を持つひだるが、呑気に喜んでいる。ドリンクだけにしておいてよかった、と俺は胸をなで下ろした。
☆☆☆
冬の日暮れは早い。駅の裏から伸びる通りの中で、コンビニの照明がやけに明るく輝いていた。
「なんだか寂しいところだなあ」
賑やかな大通りを通ってきた後だけに、いっそう落差が際立つ。ぽつぽつと飲食店はあるが、どの店も大入りという感じではなかった。
「間違えてるんじゃない?」
路地が好きなひだるも、眉をひそめる。
「大丈夫だよ」
「寂しすぎる道は、野武士が出るから危険」
出てたまるか。
「ははは、そのボケ百点や」
幸い
「曲がるで」
なんの看板も出ていない、中華料理屋の前で四郎が唐突に曲がる。俺とひだるは、後を追いかけた。
十数歩進むと、光る看板が見えてくる。毛筆風の文字で、「讃岐麺房 えなが」と書いてあった。
「おお、本当にあったぞ」
少し奥に入ったところに、木の引き戸が見える。そこから橙色の、温かい光が漏れていた。ガラス窓には白い覆いがかかっているが、玄関横の看板に「かけ」「ぶっかけ」「生醤油」とそそる文字が並んでいる。
「いたっ」
夢中で駆け出したひだるが、何かに引っかかった。見ると、看板の前に置いてある長いすに足をぶつけた様子だ。
「よく見てろよ……」
「こんなものがあるとは思わなかった」
「ここ、昼は行列ができるからなあ。待つ人用に、椅子があるんや」
「ほう」
それなら味は期待できそうだ。俺は胸を高鳴らせ、扉を横に引いた。
「いらっしゃいませー。三名様ですか?」
「はい」
「お好きな席へどうぞー」
珍しいつくりの店だった。入り口のすぐそば、左右に畳敷きの座敷がある。どちらも大きさは同じくらいで、四名が向かいで座れるようになっている。
そこを過ぎるとレジカウンタ-……の前に、何か湯気をたてている機械があった。
「わあっ」
ひだるがさっそく食いつく。褐色の出汁の中に、ゆらゆらとおでん種が揺れていた。大根にこんにゃく、牛すじ、がんもどき……定番の具が並んでいて、みな出汁を吸ってぷっくりと膨れている。
「これも美味そうやなー」
「ほら、座ってから決めよう」
今にも手を伸ばしそうなひだるを抑えて、奥に向かう。
レジカウンターを過ぎると左手に四人がけのテーブルが三つ。右手には厨房とカウンターが並んでいる。ひだるが厨房を見たがるので、俺たちはカウンターに陣取った。
「すんませんな、大人数で」
「いえいえ」
温かいおしぼりで手を拭きながら、メニューに目を通す。あまり難しい漢字が分からないひだるは、読めとばかりに俺に押しつけてきた。
「まず、うどんの種類を選ばないとな」
「うどんはうどんでしょ?」
「麺は一緒でも、食べ方が違うんだ」
かけ、ぶっかけ、ざる、生醤油。ここのうどんは、大きくこの四種に分けられる。
かけが、最も一般的なだし汁たっぷりのうどんである。丼に入って出てくる、あれだ。メインは昆布やかつお節のことが多い。
「
「なるほど」
横から四郎が補足してくれた。俺はさらに話を進める。
「ぶっかけになると、この出汁が少量になって濃くなる。これを直接、麺にかけて食べる感じだな」
「ほうほう」
「生醤油は、出汁のかわりに出汁醤油をかける」
「出汁がいっぱい出てきてわけが分からない」
ひだるが言うと、四郎が笑った。
「食材を煮込んで出てきたうまみ成分が『出汁』や。それを醤油に混ぜたのが『出汁醤油』やな」
「なんとなくわかった」
「ただの醤油をかけるわけじゃないけど、とにかく一番シンプルだ。うどんが良くないと美味くならない食べ方だな」
「ふーん」
ひだるは鼻をひくつかせながら思案している。
「んで、最後のざるは蕎麦なんかと同じだ。ゆであがったうどんを水で締めて、ぶっかけよりさらに濃い出汁で食べる。締めるから一番コシを強く感じるかもな。……さて、どれにする?」
「最後の」
なんとなくめんどくさくなってきたから、最後に聞いたやつを選びました。ひだるの顔にそう書いてあったが、俺は咎めないことにした。
「俺は生醤油の牛麺にするわ。お前は?」
「うーん、ぶっかけにするかな。食べるの久しぶりだし」
結局、三人とも違うものを食べることに決まった。あとはサイドメニューをどうするかである。
「おでんが食べたいな」
「俺もや。ひだるちゃんはどうする? 天ぷらもあるで」
「油!」
カロリー大好き娘は、すぐに食いついた。四郎もにこにこしながら、メニューを指さす。
「鶏か、豚か……あれ大将、ちくわ天なくなったん?」
「すいませんねえ。ちょっと前に変えたんですよ。ちくわはお昼だけになって」
「んじゃ、しゃあないな。ひだるちゃん、鶏か豚や」
「うむむむ……」
さっきと違い、ひだるは大分悩んだ末に「鶏」と言った。きびきびした店員が、こちらに目線を向けてくる。
「お聞きしましょうか?」
「よし、じゃあお姉さん……ぶっかけの冷や。生醤油の牛麺のあったかいの。鶏天ざるうどん。以上、ひとつずつよろしく」
「はい、かしこまりました」
「おでんも頼めよ」
「すいません、ここセルフなんですよ」
「ん?」
言われた意味が分からなくて、俺は目をしばたいた。
「あそこにおでんの機械とお皿が置いてあるので、ご自分で好きなものを選んでください。その後、こちらに個数を申告してください」
「へえ……」
個数でいいということは一律価格のようだ。俺はうなずきつつ、立ち上がった。四郎とひだるもついてくる。
「今度は昼に来たらええわ。揚げ物がここの棚にバーって並んで、バイキングみたいに取れるで」
何も置いていない金属製の棚を指さして、四郎が言う。
「へえ、壮観だろうな」
「
「お前は学校だろ」
設定を忘れていたらしいひだるが、黙って舌を出す。時々こうやって思い出させておかないと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます