つるつるしこしこ讃岐うどん
第28話 絡まれ炎上
身を乗り出していたひだるが、顔をしかめた。
「人口十万人当たり、どれくらいラーメンの店があるかって統計があってな。うちはワースト、ツゥーや」
「下から二番目ってことか」
「そうそう。今は関東や東北に多くなっとるからな。チェーンを除いてそこそこ美味い店、てなるとあんまり選択肢ないで」
まさかそんなことになっているとは思わなかった。横でひだるが、テーブルに突っ伏して絶望している。俺はコーヒーをすすりながら、続きを促す。
「なんでそんなことになってるんだ?」
「一説やけど、関西や九州はうどんが強いからちゃうか。お前も、うどんはちょくちょく食いに行くやろ。そうしたら次ラーメン行こか、とはなかなかならへんわな」
「俺も実は、最初はラーメン一本でやるつもりやったんや。けど、店が少なすぎて諦めた。他の麺も書いて、ようやく定期更新できる感じやな」
「そういう事情だったのか」
「ということで、俺に聞いてもほとんど知らん。最近、ちょっと事件があってブログも触ってないしな」
確かに、ブログの最終更新日は一ヶ月以上前になっていた。なにがあったのか、と俺は聞いてみる。
「大物ブロガーと揉めたんや。うどんのことでな」
四郎は鬼気迫る表情で、フォークを握り締める。口元に飛び散ったたらこが血片のようで、非常に怖かった。
「うどんは分かる。柔らかいやつ」
「そうやなそうやな。それかて立派なうどんやで」
コシを非常に重視する
「別に俺も、讃岐を否定するわけやない。両方うまい、両方ほめる。それでみんな喜んでくれとった。それなのに讃岐のあいつが……コシがないうどんなんて情けない、俺だったら食わずに捨ててると言いだしやがって」
「ああ……」
ご当地同士、絶対に譲れない食の矜持というものはある。その場で片方をバカにするような真似をしたら、戦争勃発は避けられない。
「ころそう」
ひだるは全然違う理由で、臨戦態勢になっているが。
「でも、この場合……ボロクソに言い出したのは向こうだろ? 四郎が更新をやめる理由がないじゃないか」
「相手は有名人や。テレビやラジオの仕事もやっとる。その知名度のおこぼれにあずかりたくて、周りをウロウロしとるダボが山ほどおるんや」
「そいつらが四郎を攻撃したのか?」
「そういうこっちゃ。雑魚を叩いたところで親玉にはなんの影響もないし、俺のブログは一方的に荒らされる。戦うのもアホらしいから、コメント機能を閉じてしばらく離れたんや。くそ、あいつの名前見るだけで腹が立つ」
理不尽な話だ。しかし、ネット上で名前が見えない奴から身を守るには、そうするしかなかったのだろう。時々「炎上」とやらをしている直己の後始末をした俺には、よく分かる。
「そのこめんと……言ってる役人を、捕まえる。現場を押さえれば、簡単」
室町時代で思考が止まっているひだるが、おかしなことを言う。食には貪欲なくせに、世の常識には異様に鈍い。
「ブロガーは役人じゃないし、コメントは個人の落書きみたいなもんだ。それにお前の時代と違って、直接口で伝えてるわけじゃない。文字だ、文字」
ひだるが生きていた時代の識字率は決して高くない。まず支配者が決まりを作り、それを小役人や武士が村を回る。村の地主レベルになると字が読めるため、彼らが記録し村人には読み聞かせる。それでようやく、下々まで理解が及ぶのだ。
「つまり、何の権力も無いガヤが騒いでいると」
「そういうことだ。お前の時代だって、村八分はあったろう? それをネットの中でやってるだけだ」
「なら、潰しても問題ない」
「できるもんならやってみろ」
ひだるの体から、いくつか亡霊たちが抜け出していった。元気はいいが、文字だけで本人を特定できるはずがない。だから俺も、あえて止めなかった。
「なんの話や」
目の前で四郎がいぶかしがっている。俺はごまかすように話題を変えた。
「そんな状態なら、しばらくパソコンは見ない方がいいな。向こうも、そう長くは覚えてないだろう」
「都合ええ考え方やな」
「相手の方が立場が上なら、ねちねちやっても旨みがないからな。やりすぎると、弱いものいじめじゃないかと思われるだけだ」
「……お前は昔から、妙に冷静やなあ」
「慌てたら負けだ」
剣道の試合では、「勝とう」と思ったらすでに相手の思うツボだ。自分らしい動き、いつもの足運び。悪いくせがついているなら直さなければならないが、そうでなければ焦れば焦るほど理想から遠ざかっていく。
今回の件では、聞く限り四郎に全く非はない。それなら、ほとぼりが冷めるまで知らん顔をしていた方がいいだろう。
「ラーメンがダメなら、他のうまいものでもどうだ。おごるぞ」
「おお、珍し。明日は槍が降るんちゃうか」
四郎はおどけているが、好きだったブログをやめるくらいだから内心は相当傷ついているだろう。いつも明るい人間は、辛い顔をしたら周りが失望すると思ってなかなか本音を言わない。
近くで稽古しながら、葛藤に気付かなかった。一回飯をおごるくらいで罪滅ぼしとはいかないだろうが、味方がいることには気付いてもらえるのでは。俺は、そう思ったのだ。
「……ははは、じゃあお言葉に甘えよか」
四郎が目元に皺を刻む。お互い言葉にはしないが、真意は伝わったと感じられた。
「ラーメンはダメなら、他だな。何がいい?」
「それやったら、うどんにしよか。駅近に、うまい讃岐の店があるんや」
「讃岐か……」
大阪うどんと違って、うまい店で食べる讃岐はしっかりしたコシがある。なかなかかみ切れない麺をつかまえて噛む快感を思い浮かべると、ぐうっと腹が鳴った。
「というわけでひだる。ラーメンはあきらめろ。今日は、うどんだ」
「ええー。かろりーがとれない」
「お前が知ってるうどんとは違うんだよ。肉だって揚げだってあるさ。好きなのを選べ」
「にく」
現金なもので、肉と聞いたとたん眼が輝きだした。
『肉だ』
『肉が出るぞ』
霊体たちも騒ぎ出している。……これで素うどんだけの店だったら、ただでは済まない。
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