第10話 春巻きの中身は自由だ
(ん、なんだ?)
俺は不審に思ったが──大量の霊魂を見て納得がいった。
「あの……どうされました?」
案の定、店主と他の客がざわつき出す。しかし彼らに霊感があれば、この程度の反応では済まなかったろう。たった今、ひだるから抜けた魂が両手を組み、そこここで涙を流しているのだから。
「すぐ復活するから、大丈夫大丈夫」
あまり暴れるなよ、と暁久は魂たちに視線を送る。彼らが暴れていると、まとめ役のひだるは動けなくなるようだ。
『この絶妙な塩気とうまみ……えもいわれぬ一体感』
魂たちは感動のあまり、涙まで流していた。
『何人殺して金を奪えばこんなものが食べられるのか……』
「殺してない殺してない。さっさと本体に戻れ魂どもが」
俺が小声で言うと、魂たちはようやくひだるの頭頂に飛びこんでいった。
「はっ」
生気が戻ったひだるを見て、ようやく店が元の雰囲気に戻る。
「またやってたぞ。魂たちに自制させろ」
その喧噪にまぎれて、暁久はひだるにささやく。
「だって美味しいんだもの、仕方無いじゃない。一体どこでこんなものを手に入れるの?」
「料理の腕は良いが、食材買ったのは普通の市場だと思うぞ」
「それは普通じゃない。庶民の食べ物は、ほとんど水の粥に土のついた野菜」
「お前、常識が中世で立ち止まってるぞ」
そうは言いつつも、暁久は考えていた。
ちょっと外に出れば、肉も魚も野菜も簡単に手に入る。しかも、とれた時とほぼ変わらない新鮮な形で。
(これが当たり前なのが、歴史的にみておかしいんだよな)
すっかり慣れてしまったが、当たり前だと思ってはいけない。感謝しつつ、腹に収めなければ。
「ほら、これも食え。お前が頼んだやつだぞ」
肝心のアボカドなんたらを、ひだるの前へ押しやる。自分から率先して食べる気にはなれなかった。まず人の感想を聞きたい。
「はぐっ」
ひだるはまた大口で噛みつく。さっき入ったばかりの魂が、また出てきた。
『権力を思うままにし、宮中の全てを手に入れた女王の悦楽』
「お前たちの食レポは分かりにくい」
中世の魂に期待したのが間違いだった。俺は覚悟を決め、未知の春巻きに挑む。
「お」
噛むとまずやってくるのは、クリームのように柔らかくなった野菜の味。
(アボカドって……熱を加えると溶けるのか)
森のバターといわれるのも納得のコクだ。そこに生ハムの塩気が入ると、より美味い。
(マッシュポテトにちょっと似てるが……こっちの方が重くて高級な感じだな)
アボカドと生ハムだけだと腹にずっしりくるだろう。そこで活躍するのがアクセントの桃である。
(この水気と酸味が、最後に口の中をすっきりさせてくれる)
甘みが邪魔にならないかと心配だったが、アボカドの存在が大きいのでそう気にならない。
(うまいなー)
食わず嫌いは良くない、と俺は思い知った。
「どうです?」
店長が笑いながら聞いてきた。
「いけるわ。参った」
「元は、生ハムメロンから思いついたんですよ」
「何だそれ」
「元ネタの方をご存じないと」
聞けば、イタリアンの前菜だという。
「生ハムメロン」
『生ハム』
『メロン』
ひだると魂の記憶にはしっかり刻まれてしまったようだ。これでまた、イタリアンに連れていけと迫られるに違いない。
「……でも、今はもっと春巻き食べたい」
「おうおう、食え。どんどん食え」
俺はやや捨て鉢に言った。
「定番なら、餃子風とカレーとサラミ」
肉系なら、俺も全て食べたことがある。どれをとっても外れがない。
「大福が食べたい」
「お前はそういう奴か」
何故、王道から外れよう外れようとするのだろう。
「二つね」
「はいよ」
そして必ず他人を巻き添えにする。俺は黙って冷酒を舐め始めた。
勘違いしてほしくない。酒の甘いのは勘弁してほしいが、俺は甘味はいける口だ。和菓子だって、決して嫌いではない。
(……だが、揚げるってのはなあ)
俺は心の中でため息をついた。洋菓子に比べてさっぱりしているからいいのに、揚げたら本末転倒ではないか。そのことをひだるに説いても、ひたすら楽しそうにしているだけだった。
「あ、きたっ」
ついにゲテ……いや、立派な料理がやってきた。見た目はきつね色に揚がった、美味しそうな春巻きだ。
「いただきまーす」
ひだるは大口をあけてかぶりつく。そしてまた固まった。せめて感想を言え。
『あまい』
『うまい』
『あまい』
『うまい』
魂どもはアテにならんし。
(さて、俺も……)
来てしまったからには、いただかねばならない。俺は目をつぶって、一口食べた。
香ばしい皮の中から、温かくなった餡が出てくる。熱でとろけた餅と一緒に噛むと、安心感がこみあげてきた。
(あれ、これはどっかで食べたことがあるな)
どこだったろう、と俺は脳をフル回転させる。
(あっ、ごま団子か)
中華の定番おやつ。よく考えてみれば、あれだって餅で包んだ餡を揚げている。そう考えると、何も怖いことはないのだった。
「ぬくい、うまい」
「そうだな」
ひだるははしゃいでいる。ようやく魂が戻ってきたようだ。
「そろそろ、春巻き以外も頼めよ」
俺はおばんざいのメニューを引き寄せながら言った。
☆☆☆
初めての外食は大成功だった。ひだるの機嫌はとてもよくなり、俺を脅すこともなくなった。
俺も腹をくくる。これから連れ歩くのであれば、俺の周囲の状況や人間関係を把握させておかなければならない。そうでなければ、ボロが出るからだ。
「いいか。お前は俺の近所に住んでいる、高校生だ」
「たまに俺の様子を見に来るボランティアをやっている」
「これだけ覚えておけ。詳しいことをつっこまれたら、俺がフォローする」
高校やボランティアの概念を理解させるのにしばらくかかったが、なんとか彼女はそれを飲みこんだ。
後は道場の連中に顔見せしておけば、下準備は完了だ。幸い、ついてこいというと彼女は喜んで出てきた。
「だからですね。こんないい土地、遊ばせるのは勿体ないですよ」
「ん?」
しかし、道場の入り口をくぐった瞬間、聞き慣れない声がして眉をひそめる。
「位の低そうな野武士がいる」
ひだるが無慈悲に切り捨てた。確かに、薄笑いが気持ち悪いスーツ男と、紫ジャケットに黄色のネクタイという明らかなチンピラがいる。ねちねちと道場主の勇に詰め寄り、ここをマンションにしようともくろんでいるようだ。
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