イタリアン店主の秘密の牛ステーキ
第11話 祟り神の仕置き
「家賃収入があれば、遊んでいてもお金が入るんですよ」
「楽なもんだ。うらやましいね」
嘘だ、と俺は思う。建物の補修や厄介な店子への対応など、不動産経営は細々した仕事が多い。決して楽な商売ではないののだ。いいことばかり言って人を釣ろうとする連中に、ろくなのがいないのは世の常である。
「いやあ、もう年寄りですから金は結構。死んだらあの世には持って行けませんからな」
「お子さんにも残して……」
「うちの子は死にましたよ、事故で」
「うーん……」
勇に売る気がないのははっきりしていた。スーツの男が腕を組み、宙を見つめる。そのかわり、チンピラが鞄から何かを取り出した。
「りんご?」
「何それ」
「果物だ。食べられる」
食用のりんごが入ってきたのは明治になってからである。時代が中世で止まっているひだるは知らない。
「ほー」
「おっと、失礼」
飛び散った果肉と汁を見ながら、男たちがにやついている。チンピラは、ぐしゃぐしゃになったりんごを床に捨てた。
「すんませんなあ、つい力が入ってしまったわ」
「ご心配なく。ちゃんと時間をかけて掃除させますから」
呆れた。俺に逆らうと怖いぞ、ただでは帰らないからなという脅しだが、手が安すぎる。それにしてもこいつ、常時りんごを持ち歩いているのだろうか。
(いざとなったら、やってやるか)
この程度の相手なら、いなせる自信がある。俺は背筋を伸ばそうとして、固まった。
背後にすさまじい殺気を感じる。ぞわぞわ、と足元から黒い煙が這い上がってきた。その煙の中から、人型のひだるが現れる。
「許さない」
煙が地を滑る。あっという間に業者二人の全身にからみつき、体内に入っていった。すると、さっきまで元気だった男たちの目から光が消え……倒れる。
「一体、何をやったんだ」
「女の子だぞ!?」
チンピラ共があっという間に地に伏した。勇たちが、目をしばたく。
(あのバカ、姿まで見せやがって!)
俺の困惑をよそに、ひだるの怒りは止まらない。
「よくも、あんな無神経なことを」
心なしか、彼女の長い髪が逆立っているように感じる。夏だというのに、俺の背中に冷たいものが走った。
「あ、ああ……助けてくれ」
「立てねえ……腹減った……」
チンピラがうめく。傍から見てもわかるくらい、はっきりと彼らの頬がこけ始めていた。しかしひだるは、鼻で笑うだけだった。
(こりゃ、演技じゃねえ。俺がかかったのと同じだ)
どういう仕組みかは分からないが、ひだるは本気で男たちをとり殺すつもりだ。わざわざ姿を見せたのは、屈辱を与えるためだろう。
(まずい。人死にがあった道場なんて、誰も寄りつかないぞ)
そうなると、俺の貴重な収入が減ってしまう。男たちに全く同情はしないが、最悪の事態は避けたかった。
「おい、ひだるっ」
鋭く言ったが、呪いをつぶやいている彼女には届かない。
(こうなったら実力行使だ)
俺は腹をくくった。彼女の弱点といえば──ひとつしか思いつかない。そっと道場を抜け出し、台所へ回る。
(育ちざかりの生徒がいるから、何かあるだろ……)
その予測は当たった。ちょうど炊飯器のアラームが鳴っている。
俺は素早く塩むすびを作り、気配を殺して道場に戻る。板の間はさっきよりさらに、重苦しい雰囲気だった。
「うう……助けて……」
「だめ。許さない。あんたたちが踏みにじったものがどれだけ貴重か、身をもって分からせてやる」
「ひだる。ちょっと落ち着け」
俺は手を後ろに回しつつ、ひだるの後ろから声をかけた。すると彼女は怒りをこめた声とともに、振り向く。
「邪魔しないでっ!」
「ほい」
怒鳴ったら、相手の口が開いている状態だ。俺は、そこへ塩むすびをねじこんだ。
「ふがっ」
ひだるは目を白黒させる。ちょっと苦しそうだが、相手は人外だ。死にはしまい。
「むぐむぐ」
次第にひだるが、口の方に意識を移していく。逆立っていた髪がすっと収まり、顔つきが柔和になってきた。
「あれ……立てる」
「どうなってんだ?」
チンピラたちも元の状態に戻ってきた。俺はすかさず、釘を刺しておく。
「とっとと帰れ。今日みたいな目にあいたくなかったら、二度と来るんじゃねえぞ」
「言われなくても」
「そうしますぅ-!!」
最初の勢いはどこへやら、チンピラは一度も振り向かずに駆け抜けていった。
「あー、消えろ消えろ」
まだ塩の残っている手をはたきながら、俺はぼやく。
「……なんで邪魔したの」
ようやく飯を完食したひだるが、こっちをにらんでいる。
「今の時代、殺しがあると面倒なんだ。警察っていうお兄さんたちがいてな」
治安維持の仕組みをざっと話してやる。全部理解はできなかったようだが、大まかな意味は伝わった。
「ふーん」
ひだるはとりあえずうなずいたが、すかさず左手を出した。
「じゃあ食い足りない分、明日追加でちょうだい。イタリアンで好きな物食べる」
さすが妖、遠慮がない。
「お前は今回、騒ぎを大きくしただけのような気がするがな」
「じゃあ聞く。
「う……」
俺は言葉に詰まった。剣の腕があっても、何を持っているか分からないチンピラとやり合うのは厄介だ。最悪こっちの誰かが死んでいたかもしれない。
「わかったよ。何でも好きなものをおごらせていただきますよ」
俺は捨て鉢に言ったが、問題があった。俺は食に関して臆病で、気に入った店があればずっとそこに通う。手持ちの店は、そう多くない。そしてイタリアンは、その中にない。素直に伝えると、ひだるがむくれた。
「古い」
室町戦国からいる妖に言われたくない。
「んなこと言ったって、まずいところは嫌だろう」
「腹を下さなければどうということもない」
「基準が低い……」
俺は悩んだ。無限の寿命を持つ妖怪とは違って、自分はすでに六十代である。若い頃のようには諦められず、残り少ない食事で外れをひきたくない。
「……お前ら、この状況でよく飯の話になるよなあ」
ようやく復活してきた勇が、口を開く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます