第12話 変わる時代と、残される魂

「助かったけどな。あいつらしつこいし、逮捕されないギリギリのとこを分かってるからたちが悪いんだ」

「だろうな」


 悪さにだけ頭が回る人間というのは、いつの時代にもいる。


「この前の美女もありがとう。で、どういう関係?」

「近所の子だ。名前は……」

「ひだる」


 誤魔化す前に本人がかましやがった。


「ん? 妖怪と同じ名前なのか?」

「お父さんが民俗学者なんだ」

「へえ。こんな美女に、縁起の悪い名前つけなくてもなあ」

「……とにかく、たまにボランティアで来てくれてるんだ。変な関係じゃないから安心してくれ」


 実はこれが困ったひだる神で、という説明をする気はなかった。


「なんだ、心配して損した。……で、さっきのアレはなんだ」

「彼女は気功マスターで、触れなくても人を倒せる」

「すげえ」


 全くの嘘なのだが、ひとの良いいさむはすぐ信じた。


「強いんだ。俺も困ってる。彼女の機嫌を損ねたくない」

「その気持ちはわかるぜ」

「ならお前、いいイタリアン知らないか」

「残念ながら手持ちはねえ。だが方法は知ってる」

「ほう」

「いつもの店で、『どこか良い店はないか』って聞くんだ」

「はあ?」


 それを聞いた俺は、顔をしかめる。個人的に親しくても、商売となれば互いにライバル同士だ。いくら気の良い主人でも、内心は苦々しく思うのではないだろうか。


 俺がそう言うと、勇は大笑いした。


「大丈夫だって。そりゃ、寿司屋で『他に美味い寿司屋はないか』って聞いたら喧嘩売ってると思われるだろう。でも、和食と洋食、中華とイタリアン……みたいにジャンルが違えば両立できるもんだ」

「そうかな」

「考えてみろよ。今日中華に行ったら、次は違うものが食いたくなるだろ?」

「うん」


 確かに、毎回同じような系統というのは厳しい。


「お互い様ってやつだよ。ぐるぐるエリアを回って食事して、そのうち何回か自分の店に寄ってくれれば売り上げになる。総取りしようなんて欲深は商売に向いてないさ。フードコートなんか店がいっぱいあるけど、みんなそれなりにやってるだろ」


 暁久はうなずいた。かつて飲食関係の仕事をしていた勇の言葉は、自分にはない視点だ。


「そうするか。ありがとう」

「良いのが見つかったら、俺にも教えてくれよ」


 話がまとまりそうな気配を察して、ひだるが俺の横に滑り込んでくる。


「フードコートって、何」


 彼女の興味は尽きない様子だ。教えてやったら、またそこにも行きたいと言い出すだろう。俺は口を濁した。



☆☆☆



暁久あきひさ、狭い店好きだよね」


 ひだるにそう言われて、俺は反論できなかった。


「いつも、一人だったからなあ」


 どうしてもカウンターがあって、こぢんまりした店を選びがちになる。そうでなければ、席を占有している罪悪感があるからだ。


「誰かと来たりしないの?」

「いやあ……」

「嫁は?」


 その単語を聞くと同時に、俺の顔がぐっと引き締まる。ひだるは素早くそれを察した。


「ごめん」

「いや、死んだとか別れたとかじゃないんだ」

「ん?」

「完全に渡り鳥なんだよ」


 俺の妻は宝石のバイヤーで、結婚前から海外へ行くことは珍しくなかった。息子が大きくなるまではある程度控えていたが、彼の大学進学が決まるやいなや吹っ切れる。今や世界を股にかけまくり、どこの国籍なのか怪しいくらいだ。──死んだという報はないから、この星のどこかにはいるのだろう。


「というわけで、嫁については俺も詳しく知らない」

「そう」

 

 ひだるはしんみりしている。そう思えば彼女にも、人間だった時代があるはずだ。母のことを思い出しているのだろうか……と俺が思っていると、彼女はいきなり両手で頬をたたいた。


「ど、どうした」

「余計な記憶が蘇った」

「……そうか」


 思い出とは、いいものばかりではない。それが分かっている俺は、口をつぐむしかなかった。


「暁久」

「ん?」

「子供はたくさんいる?」

「いや、うちは一人だけだ。男の子」


 別に絶対ひとりがいい、という信念があったわけではない。しかし俺も妻の貴久子きくこも仕事や武道を優先させてしまうため、なし崩しでこうなったのだ。


「それがいい」


 ひだるは妙に神妙な顔でうなずいている。


「……大事にしないと、祟る」

「おお、怖い怖い。心配しなくてもちゃんと自立していったよ」


 俺はそれから、しばらく息子のことを語った。


 勇敢に生きてほしいということで勇生ゆうきと名付けたこと。俺より背が高くなったこと。運動会で一等をとったこと。しかしそれでも、「親父やお袋みたいにはならないよ」と宣言して、さっさと公務員になってしまったこと。


 それを聞いたひだるは、何も食べていないのに固まっていた。


「いいの? 長男なのに、そんな勝手なことして」

「もちろん」


 そりゃ、よっぽどの名家や大企業のおぼっちゃんなら別だろうが──庶民の子供たちは、好きなように動いていく。


 道は別れ、離れたように見えても、時間がたてば彼らは手に入れたものを持って戻ってくる。それが自分の期待したものと違っていても、親は健闘を称えるのみだ。


「長男だろうが、他の子だろうが、生きる道は自分で探すしかないのさ」


 その自由が鬱陶しいと思う者もいるだろう。しかし、そうなってしまったのだ。これが時代の流れである。


 ひだるは両手で、水の入ったグラスを抱える。


「……そう。良かったね」


 そしてさらに、こう付け加える。


「この時代に生まれたかったなあ」

「お前の家は?」

「長男は、いた。家を守る存在、一番大事にされる」


 昔は今より数倍、数十倍厳しかったろう。俺は無言でうなずく。


「その長男に病気をうつさないように、私は隔離されて……死んだのかな。最後の方の記憶がないからよくわかんないけど」


 ひだるは訥々と語る。俺はこの時、今まで彼女を化け物扱いしてきたことを恥じた。誰だって死ぬ前に、自分の物語を持っている。彼女ももちろんそうで──きっと、妖なんかにはなりたくなかったはずだ。


 俺は改めて、ひだるの目を見て言った。


「生まれることはできなかったけど」

「うん」

「楽しめよ」


 彼女が目を丸くする。


「俺に迷惑をかけずにな」

「……ははは」


 ようやく、ひだるが笑った。俺は好機とみて、話題を変える。


「店自体はどうだ? 気に入ったか」

「うん」


 白い壁に木張りの床、というのは居酒屋と同じだ。ただしこちらのほうがコントラストがはっきりしているため、よりおしゃれに見える。


 カウンターの上には赤・白・黄・緑の皿が重ねられている。インテリアではなく、店長が実際にそれを使うのだ。


「店なのに、一人だけ?」


 カウンターの中で忙しく働く店長を見て、ひだるが眉間に皺を寄せた。


「ここはいつもそうだぞ」

「びん……ふぐっ」


 失礼なことを口走りそうなひだるを、俺は制止した。

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