第13話 前菜盛り合わせの暗号

「はは、皆さんいつも心配してくださいますね」


 やり取りを聞いていた店長が、笑い声をあげる。


「でも、これくらいなら一人の方が動きやすいんですよ」


 店も狭いが、カウンターの中はもっと狭い。確かに下働きがいたら、しょっちゅう体のどこかがぶつかっているだろう。


「まあ、注文が重なるとお待たせしちゃうのだけは申し訳ないですけど」


 それは俺もよく分かっている。だからこそ、開店直後で客が少ないときに来ているのだ。


「ちゃんと最初に時間がかかるって言うだろ? それで納得できなきゃ、帰るさ」

「そうですねえ。どうしても合う方と合わない方がいますから」


 店には独特のリズムというものがある。無理にチェーンのようにするのでなく、あえて打ち出していく店主に俺は好感を持った。


「で、今日は何にします?」

「生ハムメロン」


 この前のやり取りを経たひだるが、勢いよく手を上げた。


「あー、今メロンはないんですよねえ」

「くっ」


 ひだるが「騙したな」という目で俺をにらむ。


「仕方無いだろ。都合ってもんがあるさ。生ハムだけなら大丈夫か?」


 生気を吸われないよう、俺は慌てて店主に聞いた。


「はい、それならありますよ。生と普通ので四種盛り合わせにします?」


 ここは生ハムに加え、鴨・鶏・豚と三種がそろっている。


「どう違うの」

「鶏がさっぱりしてる。豚が脂がのってて、鴨が中間。俺は鴨が一番好きだが」


 脂に他にないうま味があって、酒に合うのだ。


「別にハムじゃなくてもいいぞ。ここは品数があるから」


 ワイン推しの店なので、それに合う前菜は豊富に用意してある。


「ぱて、ど、かんぱーにゅ。かるぱっっちょ。自家製ぴくるす……」


 ひだるは途中でメニューを読み上げるのをやめ、救いを求める目で俺を見つめた。ひらがなとカタカナには適応し始めているのだが、情報過多のようだ。


「分かんなかったか」

「目が滑る」


 確かに、俺もはじめは戸惑った。妖が困っても仕方あるまい。


「それじゃ、全部頼むか」

「いいの? お金ないのに」


 常々口にしていることだが、他人に言われると刺さる。


「ここは、いいやつがあるんだよ」


 俺は、壁に貼られた品書きの中央を指さす。


「あ、前菜全部のせ」

「フフン」


 自分で考えたわけでもないのに、俺は誇らしい気持ちになった。


「一番人気ですねえ。それにします?」

「ああ……あと、牛肉はあるか」

「今日は、イチボとカイノミとランプがそろってます」

「豪華だな」


 この店は、地元以外でほとんど流通していない『伊賀牛』を扱っている。入荷日は限られている上、他で食べられないので注文する客も多い。そのため、せっかく来てもストックがないこともあるのだ。


「じゃあ、ランプとカイノミをもらおうか……二百グラムずつで」


 その二つなら、味の違いがはっきり分かる。俺は意図を持って選んだ。


「ほへー」


 全く分かっていないひだるは、横で勝手に頼んだジュースをがぶ飲みしている。


「おいしい」

「クランベリーか。確かに、これも余所じゃおいてないな」


 鮮やかな赤色に反して、さっぱりした飲み口が快い。俺はたまにしか飲まないが、なかなかいける味だ。


「気持ちは分かるが、飲み過ぎるな。食い物が入らなくなるぞ」

「うぃ」


 すでにカウンターの中では、店長が手際よく前菜を盛り付けている。大体のものは作り置きしてあって、混んでいる時でも一番に出せるようになっているのだ。


「はい、お待たせしました」

「わぁっ」


 店長が差し出した皿を見て、ひだるが声をあげた。赤い丸皿の上に、色とりどりの前菜がびっしり並んでいる。


「ちょっと早口になりますけど、説明させていただきますね」


 店長はそう言って、皿の右手を指さした。


「これが豚肉のパテ。すりつぶした肉を固めたものです」

「本当はパイ皮で包むんだったか?」

「今はそうしないところも多いですね。……で、こっちが明石ダコのマリネ、かぼちゃのロースト、ニンジンのラペ」

「らぺ」

「サラダって言えば分かるか? 野菜も食えよ」


 ひだるが舶来語にてこずっている間も、店長の説明は続く。


「本日のカルパッチョ、自家製野菜のピクルス」

「魚の油和えと漬け物だ」


 全部ひだるに分かるように言い換えてやると、彼女の目が光った。


「覚えた」


 胸を張って宣言するひだるに向かって、店長は白い歯を見せた。


「あと、鶏レバーをすってムースにしたのをクラッカーにのせてます。こっちの二つが豚ハムと生ハム、その隣が茄子のアラビアータ」


 ひだるが不審そうな目で、赤く染まった茄子を見つめる。


「唐辛子が入ってるぞ。辛いの、大丈夫か」

「泥の味がしなければなんてことはない」

「……?」

「いやいい、店長。説明を進めてくれ」


 斜め上の回答に店長が凍り付いたので、俺はあわてて先を促す。


「えっと……その上がきのこのマリネ、最後にうち自慢のポテトサラダです」

「よく分かった。ありがとう」


 早口でもけっこうな分量のある解説だ。これを全部の客に言うのだから、恐れ入る。


「よし、食うか」


 おかずを全部持っていこうとするひだるをたしなめつつ、俺は茸に手を伸ばした。


「うん、うまい」


 酸っぱすぎず、しっかり漬け汁にコクがある。味付けはやや濃いめで、酒によく合った。


 次はレバーのペースト。きちんとダマがなくなるまで練られており、ざっくりしたクラッカーにしっかり絡みつく。


 俺はこの二品が特に気に入っているが、他も全てうまい。ひだるも、ようやく生ハムにありつけて満足している様子だ。


「やわらかーい」

「噛むほど味が出るぞ」


 いいハムは、塩気だけでなく肉のうまみもちゃんとある。それで口の中が満足したら、野菜がまた食べたくなるのだ。


「……これ、何?」


 ひだるがポテトサラダを目の前にして、手を止めた。


「芋を潰して、マヨネーズと塩で味付けしたもんだ」

「まよ?」


 しまった、そこからか。


「卵の調味料だよ。こってりした味になる」

「うちはあんまり使いませんけどね。入れすぎると、前菜としては重くなっちゃうんで」

「確かに、ここのはさっぱりしてる」


 俺はマヨネーズが苦手なので、ポテトサラダもほとんど食べない。しかし、この店のはちゃんと芋の味が残っていて、うまいと感じるのだ。


「これ好き。中に入ってる、辛いのは?」

「マヨネーズが少ない分、胡椒で味にメリハリをつけてます。あと、具としてベーコンと蓮根の刻みが入ってます」

「具は、その時々で変わるんだよな」

「はい、季節によって色々」

「暁久、また来よう」


 早くも次をせっつかれてしまった。俺は「まあな」とはぐらかす。

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