第14話 絶品、牛脂のステーキ

(……というより、こいついつまで俺にくっついてるんだろう)


 いつかは成仏していくのだろうが、それが突然なのか前兆があるのか。店にかかる金がどうこうというより、それが気になる俺だった。


「にく」


 俺の気も知らず、ひだるの注意はもう肉にうつっている。肉の表面が焼け、じゅうっと音があがると、彼女は微動だにしなくなった。


「あんまり見るなよ。作業しにくいだろ」

「ぐるる」


 ダメだ、半分獣になっている。俺は彼女に手出しするのを諦め、前菜の残りを片付けた。


「はい、どうぞ」


 ちょうど皿が空になったタイミングで、焼けた肉が運ばれてきた。


「おお、来た来た」

「至福の極み……」

「まだ食ってもいないのに」


 珍しく、一口も食べないうちから、ひだるの魂が抜けてしまった。低めの天井にくっついている人魂がやや気の毒である。


(しかし、それも分かるな。美味そうだ)


 白い大皿に、中心が赤いままの牛肉がいる。大ぶりにカットされ、周囲をこんがり焼かれた肉は、遠くから見ても識別できるほど華やかだ。


 それに彩りを添えるのが、香菜とワサビの緑、そして下にしかれた白いマッシュポテト。最後にとどめとばかり、茶色のステーキソースが散っている。


 ひだるには悪いが、俺は抜け駆けする事にした。


「いただきます」


 大きめに切った肉にワサビとソースをまとわせ、口の中に放り込む。噛むと、肉の中から汁がにじみ出てきた。それとソースが混じりあうと、牛肉がさらに美味くなる。


 外のかりっとした焼き上がりと、中の柔らかさの対比も絶妙だ。きめが細かい肉は油が少なくとろけるとまではいかないが、決して噛みきりにくくはない。過剰にサシが入った肉より、俺はこちらの方が好みだった。


「これは、ランプか」

「はい、腰からお尻にかけての赤身ですね」

「じゃあ隣がカイノミか。やっぱりサシが多くなるな」

「若いお嬢さんなら、こちらの方が好みかも知れませんね。冷めないうちにどうぞ」


 カイノミは背中に近い部位のバラ肉で、巨大な牛の中でも、左右一ブロックずつしか取れない貴重な部位である。冷たくしてしまっては、あまりにも勿体ない。


『おーおーおー』


 吠え、歓喜の舞を踊りながら、カウンターの周囲を巡っているひだるの魂。ちょっとどいてほしいな。そう思った俺は、霊体をつかんでよけていた。


(……いつの間にかこんなことができるように)


 自問してみたが、答えは出ない。とりあえず、つかんだ白い物体を無理矢理ひだるに戻した。


「はっ」


 ようやく覚醒したひだるが、すごい勢いで飯に食らいつく。


「とろけるううう」

「やめろ。体を崩壊させるのは、本当にやめろ」


 元のドス黒い個体に戻ろうとしているひだるを、俺は必死に止めた。幸い、店長は他の客と話をしている。


「これ、何の肉?」

「伊賀牛です。三重だと松阪牛が有名ですが、実はこっちの方が古いんですよ」


 ひだるは徐々に、人の輪郭に戻った。彼女に取られないように自分の肉を守りながら、俺は食事を進める。


「うま。ワサビもうまっ」


 ひだるはカイノミばかりを口に運んでいる。そしてランプにさしかかり、ようやく味が変わったことに気付いた様子だ。


「あ、さっぱり」

「部位が変わったからな」


 ひだるはうなずき、肉にマッシュポテトを大量に絡めて食べ始めた。どこまでもこってりを追求するつもりだ。


「この肉を白飯で食いたいなあ」


 暁久はつぶやいた。パスタはあるが、メニューに白米はない。何故かごくまれに炒飯が混じっているが。


「はは、考えときます」


 店主は笑っていなす。飲み客が多いため、あまり白米を要求されないのだろう。


「ごちそうさま」


 ようやく肉を食べ終わったひだるが、深々と頭を下げる。今回の礼は、ことのほか長かった。


(牛肉が珍しいのか?)


 確かに、昔の日本にはあまり根付いていない食材だ。ひだるは、口にするのも初めてかもしれない。


(そんなに気に入ったんなら、また連れてきてやるか)


 口には出さねど、俺はこっそりそう思った。


 会計をして、店を出る。すると何故か、真っ青な顔をした博正が通りをうろついていた。


博正ひろまさ?」


 彼に声をかけるが、全く反応がない。そのまま、街の喧騒の中にのしのしと突進してしまった。


「なんだ、あれ……」


 ひだると少しわかり合えたと思ったら、今度は旧友のすることが理解できなくなってしまった。


☆☆☆



「博正さん? いや、別にどこも悪くないですよ」


 道場仲間の一人、児玉浩一こだま こういちは個人クリニックを営む医師だ。気心が知れているため、俺はいつもそこで検査を受けている。


 話ついでに、博正について聞いてみた。しかし心当たりがないようで、浩一は首をかしげる。


「個人情報だから、詳しくは言えませんけどね。今すぐ治療しないと命にかかわるような案件は何もないです」


 本職が言うなら間違いないだろう。俺は少しほっとした。


「いや、ずいぶん具合悪そうな顔で歩いてたから」

「うーん、それなら娘さんのことじゃないですか?」

「娘?」

「聞いてませんか。すみれちゃん、最近帰りが遅いって」


 博正が結婚したのは、不惑の年である。仲間内でもかなり遅く、やっとできた娘の菫を猫かわいがりしているのはみんなが知っていた。その娘が不穏な動きをしていれば、顔色も悪くなるだろう。


「でも、もうあの子も大学生だろ? サークルにコンパに、ちょっとくらい忙しくなったって仕方ないじゃないか」

「いや、それが……」


 なにか事情があるらしい。浩一は口を濁した。


「わかった。無理には聞かないが、博正には気をつけとくよ」

「助かります。私は診察もあって、自由に動けないので」


 浩一はほっとした顔になった。


 児玉クリニックは、彼の父親の代からよく治ると評判が高い。跡継ぎの浩一の人当たりのよさが加わって、最近ますます患者が増えていた。この状態で、博正だけにかまっているわけにはいかないのは容易に想像がつく。


(高収入でも、医者って大変だな……)


 俺はそう思いながら、診察室を出た。待合では浩一とは逆に、暇を持て余した妖が漫画を読んでいる。

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