第9話 木曜日のひだる神、誕生
「……人間はわからない」
「とりあえず全部お前が悪い!」
俺はひだる神に向かって地団駄を踏んだ。
「私のせい?」
「他人に見えるようになってるだろうが。それで不用意に──」
「だって、
意外な回答だった。俺はしばらく、無言で立ちつくす。
「お前、そんなことのために」
「ソンナコト?」
ひだる神のアウトラインが崩れて、化け物の姿がかいま見える。よっぽどカンに障ったようだ。
(食い物の恨みは恐ろしい)
慌てて取り繕いつつ、俺は正座した。
「ただ、ずっとこの状態ではいられない」
人の形を保ち、なおかつ認知される状態というのは、彼女にとって体力を消耗する状態らしい。
「だから、外で食べる時だけにする」
平時はエネルギー消費を控え、外食時にその貯金を使うつもりだという。
(これは……もう適当な言い逃れはできないな)
ひだる神の本気を見てしまった俺は、腕組みをした。怒らせるな、と言っていた僧の顔が脳裏にちらつく。
「じゃあ、木曜になったら声をかける」
「もくよう?」
金・土・日は人が多いし、月・火は定休日にしている店が多い。水曜は道場の稽古をみるので忙しない──ということで、俺は木曜を外食の日と決めていた。そういう感覚がないのだろう、ひだる神はぽかんとしている。
「とにかく。木曜になったら連れてってやるから、それまで勝手なことをするな。できたからって調子に乗って俺の私室に入るな」
「くっ」
「あと、外では普通の人間として扱うからな、ひだる。無駄な騒ぎを起こしたくない」
「ううー」
ひだると呼ばれた妖は不快そうだったが、頭を縦に振った。
「……じゃあ、一旦帰る」
「おう」
「暁久」
「……あ?」
「そろそろ服着なよ」
☆☆☆
そして約束の木曜が来た。やる気満々のひだるを連れて、俺は街を歩く。
家を出てひたすら北に向かうこと、十分弱。狭い路地の雑居ビルに入り、エレベーターで最上階に向かった。
「…………」
「エレベーター乗るの、初めてか?」
「うえ」
ひだるは少々気分を悪くしていたが、紺色の暖簾を見るとすぐに復活した。しかし、難しい顔をして考え始める。
「……?」
書かれている文字が読めないのだ、と俺が気付くまでしばらくかかった。
「
坂本竜馬が大好きな土佐っ子がオーナーの居酒屋だ。暁久の行きつけである。
「二人、いけるか?」
暁久は扉をくぐり、女店長に声をかけた。
「ああ、大丈夫ですよ。端から座ってもらえます?」
十人も入ればいっぱいになる狭い店内。窓があかないのをいいことに、所狭しと日本酒や焼酎の案内書きが貼ってある。コの字型のカウンターには、十七時台だというのにできあがっている客が数名いた。
「何にします」
席を確保したところで、気心の知れた女店長が声をかけてくる。
「
「たまには
「酒の甘口は苦手なんだ」
俺が苦笑いすると、店主はあっさり引き下がった。この店の売りは日本酒の豊富さなのだが、俺は決まったものしか飲まない。店長はそれを知っていて、わざとからかうのだ。ここ数年繰り返している、挨拶のようなやり取りである。
「お嬢さんはウーロン茶でいいですか?」
「もっと栄養のあるものを」
「えっと……」
斜め上の要求をしたひだるに対して、店長が口ごもる。暁久はため息をついた。
「栄養なら食事で取ればいいだろ。大人しくしてろ」
「わかった」
ひだるはそう言うなり、メニューに目を走らせる。もう飲み物のことは、完全に忘れているようだ。
「彼女はウーロン茶で」
「はいよ」
俺はかわりに注文してやる。すぐに冷えたウーロン茶が、連れの目の前に置かれた。
「しかし伊藤さん、こんな可愛いお孫さんいたんですねえ。うらやましいな」
「いや、近所の子でな」
今日のひだるは確かに可憐な少女だ。期待のため瞳も大きくなっているし、頬が桜色に染まっているため生気のなさをカバーできている。連れがいなければ、声をかけてくる男もいるだろう。
(かわいく見えても、人間ですらないけどな)
俺は心の中でつぶやく。その時、隣のひだるが大きく手を上げた。
「はい」
「小学生か、お前は」
「春巻き食べたい」
「何にしましょ」
この店は何故か、春巻きのラインナップが異常に多い。定番からふざけているのかと思うものまで、中身も味も様々だ。たまにどかっと多くなって、その後リストラされていく。
「生ハム桃アボカドで」
ひだるは黒板の中から、一番微妙そうなのを選び出した。
「暁久にも同じのを」
「あっ、こら。人を巻き込むな」
「美味しいに違いないから、いいのだ」
「お前は何でも美味いって言うんだろうな……大将、餅チーズキムチも二つ」
傷を浅くするために手堅いところも注文して、揚がるのを待つ。
俺たちの斜め前に、店のフライヤーが置いてある。店主がレンジで解凍した具を皮で包み、次々その中に投入していった。
火が通るにつれて、からからと春巻きが歌い出す。ひだるが前のめりになるのを、暁久は押しとどめた。
「はい、お待たせ」
皿がやってきた。真ん中から両断された春巻きは、中身がよく見える。オレンジと黄色と白が混じるのが、餅チーズキムチ。それに対して、生ハム桃アボカドは全体的に白っぽく、わずかにハムのピンクがのぞく程度だ。
「俺が頼んだ方が美味そうだろ」
俺はひだるをからかってから、自分の分にかぶりついた。
まずは皮のざくっとした食感、続いてキムチの辛さとチーズの塩気が喉を刺激する。その二つの尖りを、柔らかな餅が静かに受け止めてまとめていく。どっしり満足感がある、スタミナ系春巻きの傑作だ。
「どうだ」
俺が得意げに振り返ると、ひだるも同じ方に口をつけた。
二度、三度。咀嚼するうちに、彼女の目が輝いていく。しかしいきなりひだるは呆けたように口を開き、箸を持ったまま固まってしまった。
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