第20話 隠されたパワー

「さすが暁久あきひさ。いらない知恵まで回る」

「油断しちゃダメだぞひだるちゃん。こいつは実に詐欺師向きな男だからな」


 外野の声は無視することに決めた。下の方から、腹が鳴る音が聞こえてきたからだ。


「食べてないんですか」

「はい。そんな気になれなくて」

「……なら、飯にしましょう。そんなに高いもんじゃないけど、あったかい豚カツはいいもんですよ」


 ひだるに頼まれた時から、行くと決めていた店。木曜日には早いが、そんなことを言うのは野暮だろう。



 ☆☆☆



「意外と駅チカ」

「お前、よくそんな言葉覚えたな」


 カラオケ店や有名チェーンが立ち並び、人も車も忙しなく行き交う大通り。俺たちは縦に並び、その通りを北へ向かっていた。


 歩くこと数分。味のある飾り格子のはまった窓と、電気のついた看板が目に入ったところで足を止める。


 落ち着いたベージュを基調にした煉瓦壁。そこから人を誘い込むように、一段暗くなった入り口ドアが見えた。


「レストラン とびら」


 ひだるが店名を読み上げる。


「名物しゃぶしゃぶ、ステーキ、豚カツをお楽しみください」

「肉ならなんでもお任せ、ってことだな」


 偉そうな口を叩いてしまった。実は俺、ここでは洋食しか頼んだことがない。店は四階まであり、三階と四階が網焼きやしゃぶしゃぶ用の部屋らしいが、一度も足を踏み入れていないのだ。……なんか、高そうだから。


「入ろう。早く」


 そんな俺の躊躇ちゅうちょなど気にもとめず、ひだるがぐいぐい腕を引いてくる。俺は流れに逆らわず、ドアをくぐった。


 ちりんちりん、と呼び鈴が心地いい音をたてる。来客に気づいた店員が、すぐに寄ってきた。


「いらっしゃいませー。何名様ですか」

「えっと……八人」

「テーブル分かれますがよろしいですか?」

「ええ、それはもちろん」


 この店は縦に長い構造になっている。店の背骨のように延びたカウンター席と、それに沿うように縦に伸びた四人がけのテーブル。なので、広い店のようにテーブルをくっつけたりできないのだ。


 戦前から営業しているだけあって、壁や柱に年期が入っている。カウンターの木材もしっとりした茶色に染まり、光をうけて見事な照りを見せていた。


 一人できたときは、カウンターで奥の食器棚をゆっくり見てみるのも楽しい。しかし今回は、ボックス席に歩を進めた。


 俺、ひだる、いさむ浩一こういち

 博正ひろまさ千代子ちよこすみれ文奈ふみな


 ちょうどキリのいい組み合わせで分かれた。博正だけが「俺はこっちでどうしたらいいんだ、女ばっかりだぞ」という目でこちらを見てくるが、受け流す。これも鍛練だ。


 メニューが運ばれてくる。ひだるが独り占めしようとするので、俺は体をひねって防御した。


「お前は豚カツだろ? もう決まってるじゃないか」

「他のも見たい」

「やめとけやめとけ。ここは多いんだ」


 メニューの数もさることながら、一品のボリュームがかなりのものだ。たいていの客はメインとご飯かパン、汁ものを頼めば満腹になってしまう。


「色々食べたいなら、私の頼んだものを少しとりますか? もちろんひだるさんが嫌でなければ」

「俺のもどうだ?」

「またこいつを甘やかす……」


 こんな提案、食いしん坊が断るわけがない。思った通り、ひだるの目がきらきらと輝き始めた。


「ひだるちゃんは豚カツ定食か。なら俺は、オムライスにしようかな」

「私は……季節ですから、牡蠣のバター焼きにします」


 二人とも順調にメニューを決めていく。お前はどうするのだ、とひだるが目で問いかけてきた。


「俺も豚カツ定食」

「裏切り者。裏切り者」

「好きに言え。俺も今日は豚カツの気分なんだ。すみませーん」

「はい、お決まりですか」

「豚カツ定食二つに、オムライス。あと、牡蠣のバター焼き」


 ごねる妖をたしなめつつ、俺は強引に注文を済ませた。


「バター焼きにライスはつけますか?」

「お願いします」


 ここのメニューは独特で、豚カツ以外は定食にできない。単品にライスと味噌汁を追加で頼まなければいけないのだ。価格は当然、高めになる。


 そのかわり、定食はご飯や味噌汁のおかわりができない。細かいところでちゃんと差がついているのだ。


「私、海老フライにするわ。ご飯もつけて」

「お母さんはいつもそれだね。文奈さん、コキールってなに?」

「グラタンみたいなものよ。具材にホワイトソースがかかってる。でも、マカロニはないわ」

「私、チキンのコキールにする。パンも」

「俺は……牛カツ。飯と味噌汁つきで」

「じゃ、私はタンシチューをお願いします。パンを一緒にください」


 あちらのテーブルも順調に注文を終える。


「行ってせしめようとか思うんじゃないぞ。あそこは今日が肝心だからな」

「ちぇー」


 指はくわえつつも、ひだるは了承した。その心がけに免じて、俺も豚カツを分けてやることにしよう。


「七番さま、食事二つにオムライスと牡蠣バター。ライスひとつ」


 厨房にオーダーが伝わる。コック帽に白衣をまとったシェフたちが、きびきびと動き始めた。ここでは豚カツ定食は「食事」と呼ばれているので、注文を間違えているわけではない。


「まだかなまだかなー」


 ひだるは相当かかると思っているらしい。霊体たちも同意見らしく、ゆっくりと体を伸ばして準備運動をしている。


「ひだる、もっと緊張感をもて。すぐ来るぞ」

「ふあ?」

『またまた、ご冗談を』

『我ら肉のためならば、待つ覚悟はできておりまする』


 亡霊込みで本気にされていない。そんな彼女らを嘲笑うかのように、数分後鮮やかなステップで店員がやってきた。


「はい、お付けものと味噌汁です」

「あれ?」

「豚カツとご飯、こちらに置きますね。他のかた、今作ってますのでもう少々お待ちください」

「ありがとうございます」


 ひだるが呆気にとられているうちに、美しい定食が完成した。


 中央に陣取るのは、キャベツとモヤシを従えた濃茶に染まる豚カツ。ここのカツは一枚肉ではなく、ある程度の大きさにカットした肉片に衣をつけているため、断面は見えない。そのかわり、飾り切りのニンジンがワンポイントで美しい。


 その横を固めるのが、平皿に盛られた白米と椀に満たされた赤味噌の味噌汁、お新香。これぞ黄金バランス、正しき日本の洋食セットだ。


「は……速い。速すぎる」

「どうだ。これが人気店の底力」


 唯一定食化するということは、それだけはけるメニューだということ。よってある程度準備するのは当然だ。しかしそれにしても、頼んで数分で出てくるというのはすさまじい。


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