第26話 グルメ談義

『美味いと一口に言っても、色々ございます。甘いですか、辛いですか、酸っぱいですか、苦いですか?』

「うーん、甘い、かな」


 辛味もあるが、そこまで強く主張してこない。野菜と肉の甘味が勝っている感じだ。


『まずはそこから表現してみましょう。第一にぐっときたものは、他の人も魅力的に思う強力な引力になりえます。ここは単純な方が、後々への布石になります』

「甘い! お肉と野菜の味が優しい!」

『そうそう、その調子』


 茅野かやのはうなずきながら、さらに続ける。


『後は、少し食べるペースを落としてみましょう。一口では分からなかった点を、おいおい補足していくのです。ここで蘊蓄を語れると、グルメな方だと思われるかもしれません』

「それは無理かな」

『でしたら、分かってきた味について話してみましょう。美味い、というのは単純に油や砂糖で得られるものもありますが、掛け合わせによっても生じます。こんな味がする……と言ってみたら、詳しい人が勝手に解説し出します。そうなったら放っておきなさい』

「楽な方法だなあ」

『いいんですよ、解説役は喋りたくて仕方ないんですから。その人の話を聞きながら、気になる単語があったら自分で調べてごらんなさい。そうやって勉強していくと、いつの間にか蘊蓄博士になっているものです』


 茅野の説明はとてもわかりやすかった。素直にうなずき、自分なりに考えてみる。


「後からちょっとだけ辛味がくる……でもすぐ口の中から消えるね。いつものやつより、早くなくなる。全体的にさらさらした感じ」

「語彙が多くなったな。さらさらってところに目を付けたのは、いいぞ」

『ね、こうなるでしょう』


 暁久あきひさがにやっと笑った。茅野と自分の誘い水に、わざと乗ってくれたようだ。


「もともとのインドカレーはこういうサラっとしたものなんだが、イギリスに伝わる過程で小麦粉を加えてとろみを出すようになった。それを輸入した日本も、同じように作ったってわけだ」

「ふーん」

「船の上なんかだとこぼれるから、船員があえてドロドロにする。それでいっそう粘度が上がったって説もあるな」

「ほうほう」


 確かに、賢くなった気がする。ひだる、れべるが上がりました。そのいい気分のまま、カレーとナンを胃袋に詰め込んだ。


「あ、そういえば……ちゃいが来ないね」


 一番最初に頼んだはずなのに、全然姿を見せない。そんなに時間のかかる代物だろうか。


『この店では、最後に出るようですよ。他の方々も、デザートの後に召し上がっていました』

「そうか。時間ももったいないし、一緒に持ってきてもらうよう頼むか?」

「うむ」


 皿を下げてもらうときに要望を伝えると、すぐに飲み物とデザートが運ばれてきた。


「チャイと、本日は苺のアイスをお作りしました。お茶に砂糖は入れてませんので、お好みでどうぞ」

「わーい」


 あいすが甘いということは分かっているが、砂糖壺を見ていると気分が盛り上がる。山盛りですくった自分を見て、暁久が眉間に皺を寄せていた。


「甘っ」


 やり過ぎたかな、と思ったところで意識が飛んだ。こういう時は便利である。


「アイスから食えばいいのに。溶けるぞ」


 暁久の言う通りだった。目の前の個体、その輪郭が崩れかかっている。あわてて口の中に含むと、冷たさと甘味が押し寄せてきた。ゆっくり味わいたいのに、すでに柔らかくなっていたあいすはさらりと去っていった。


「うう」


 もともと赤子の手くらいの大きさしかないので、あっという間に終わってしまう。店主にはこの件、再検討をお願いしたい。


 そう思いつつ、ちゃいに口をつけた。こちらはちゃんと甘味が残っていて、脳天に快感を伝えてくる。スパイスが特徴、と聞いていたが、牛乳と砂糖で押し流されてそこまでのインパクトはない。あいすの借りを返すように、ゆっくりゆっくり飲んだ。


「全体的に上品だな、ここの味付けは」

「うん、美味しかった。ごちそうさま」


 一品一品が山盛りというわけではないが、コースを全て食べ終わるとかなりの満足感だ。異国料理にあまり慣れていない私でもいけたのだから、よく考えられている。


「満足した? 全然味はわからないだろうけど」


 茅野に聞いてみる。彼は満面の笑みを浮かべた。


『ええ、とても。……この上さらに厚かましく、ひとつお願いをしたいなとは思っていますが』

「いいよ」


 茅野は知らないが、彼は私が欲しがっていたものを与えてくれた。その分の礼をする義理がある。


「また何か頼むの?」

『いいえ。駅まで戻っていただかないと、できないことです』

「じゃ、出るか」


 暁久が立ち上がる。支払いをする彼の横で、手持ち無沙汰になった。私はその時、カウンターの上にある銀壺に気付く。開けてみると、細長い種のような物体が大量に入っていた。


「これ、何?」

「フェンネルです。ハーブの一種で、インド人は食後に匂い消しとして使うんです」

「食べ物なの」

「はい、そのまま口に入れてかじってください。独特な苦味がありますので、もし初めてなら色つきのものを多めにしてください。それは砂糖でコーティングしてありますから」


 確かに、壺の中には白・緑・桃と、自然界にはありえない色をしたものがある。これが砂糖つきだろう。お言葉通りそこを重点的につまみ、口に入れた。


「案外おいしい……んっ」


 最初は砂糖があって食べやすいのだが、次第に中からえぐみが出てくる。いんど人、本当にこれをうまいと思って食べているのか。吐き出しそうになるのを根性でこらえ、私は店を出た。



 ☆☆☆



「で、何をすればいいの」


 茅野に連れられ、駅の隅までやってきた。コインロッカーが立ち並ぶだけで、人影はない。切れかかった電球がちかちかしていて、侘しさを一層強めていた。


『お前たち、出てきなさい』


 茅野がロッカーに向かって声をかける。すると扉の向こうから、坊主頭の子供がぬうっと抜け出てきた。霊体だ。


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