第22話 マズ飯嫁は眠るに限る

「ああ。当初思ってたより、ましな結末になって何よりだ」

文奈ふみなって娘さんの品、ちゃんと下取りに出した?」

「百万ちょっとは戻ってきたみたいだ。新品じゃないから、大幅に値は下がったと言ってたが」

「あらそう。あんまり使ってないのに、日本人は潔癖ね。支配人に口ききましょうか?」


 これに関しては俺もそう思う。せめて半分くらいは取り戻せると計算していたのだが。


「……まあ、あんまりいじめてやるな。彼女の会社はいいところだし、堅実な性格の人だからすぐにたまるだろう。なんだかんだ仕送りさせられてたのもなくなったみたいだしな」

「口出しだけじゃなく、仕送りまでさせてたの。しょうもない親がいるのねえ。あ、そう言えば……」


 俺たちがしばらく益体のない会話をしていると、横からひだるが俺の袖を引く。


「電話、貴久子きくこ?」

「そうだよ。だから邪魔しないでくれ」

「じゃあ、オムライス作ってって頼んでよ」


 馬鹿野郎。みんなが止めたのを聞いていなかったのか。俺は表情にそう浮かべたが、ひだるは意に介していなかった。


暁久あきひさは料理、下手。下手がダメって言う相手なら上手なんじゃない?」

「お前、そんなひねくれた考え方してると地雷源でタップダンス踊る羽目になるぞ。本気で生命の危機だぞ」

「あら、誰かいるの?」


 もめているうちに、地獄耳の貴久子に気付かれてしまった。


「ひだるでーす」

「……学生ボランティアさんだ。独居老人の慰問に来てる」

「その割には妻にオムライスを要求するの?」

「美味しいものはいつでも食べたい。これ人間共通の願い」

「……変わった娘ねえ」


 怒るかな、と思ったが、意外にも貴久子は笑い出した。


「でも、欲しいものをはっきり言う根性は好きよ。勇生ゆうきたちも呼んで、久しぶりに作りましょうか?」


 絹を割くような悲鳴が出た。流れるような動きで電話を切る。


「……いきなりどうしたの」

「貴久子が約束を覚えてたら、お前が全部食えよ。俺は責任を持って止めたからな!!」

「大の男が涙目で言わなくても」


 ことの重大さを全然わかっていないあやかしが、首をかしげる。俺は貴久子が忙しくなりますように、と百万回天に祈った。



 ☆☆☆



 ひだるはいつも暇を持て余している。もっと建設的な活動をしたらどうだ。


 失礼な暁久あきひさは、いつも私にそう言う。食べることこそが、私にとって最も楽しく、最も興味深い研究だというのに。


「そんな偉そうに言うことか」


 暁久は呆れるばかりだが、考えてもみてほしい。私たちの生きていた時代、日常的に使えるのはほぼ塩のみ。坊主たちは醤油とか味噌とか美味しそうなものを食べていたらしいけど。ケッ。


 そのような状態から、はーぶ・すぱいす・そーすなど、爆発的に増えた調味料。さらにそれがまぶされる食材も、甘い・辛い、硬い・柔らかいなど、多種多様に変化する。これが面白くなくてなんだというのか。


「ぐるめりぽーたーになろうかな……」


 食に関して真面目に検討しているのに、暁久に鼻で笑われた。


「お前はいつもカロリーのことしか言わないだろ。霊体たちの方が表現が細かいぞ」


 そうだったかな。いつも食べ初めは、意識が飛んでしまっているからわからない。暁久だけでは頼りにならないので、勇にも聞いてみた。


「ひだるちゃんは、いつも美味しそうに食うからいいねえ。小難しい理屈述べる奴より、一緒に食ってて楽しいよ」


 ……理論的にこめんとできていないのは、事実らしい。不覚。


 どうしたら暁久をぎゃふんと言わせられるか、霊体も含めて会議を開いた。


「ということで、忌憚きたんない意見を聞きたい」

『そうですなあ……我々は、たまたま死んだところが都市として発達いたしまして』


 恨みをのんで死んだ魂は、たいてい自分の暮らしていた地域にとどまる。ああだったら良かったのに、こうだったら良かったのにという思いが強すぎて、余所へ行くどころではないのだ。私も数百年そうだった。


『なにせすることもないので、人々の暮らしを観察し……次第に語彙も増えていっていったという感じです』

『私は学校の近くで暮らしました』

『俺は……なんか、くらぶとかいううるさいのができて困った』

『というわけで、学習したわけではないのですよ。もっと教えるのが上手い霊体がいればいいのですが……』

「うーん」


 私は首をひねった。今いる霊体たちは、苦労して集めたわけではない。気付いたら、通り道にいた面子が吸い寄せられてきただけだ。食材に詳しい逸材は、いったいどこにいるのだろう。


「おい、ひだる」

「ん?」

「今日、木曜だぞ。飯、食いに行かないのか?」

「愚問を」


 これを逃したら、何のために暁久にくっついているかわからない。私は人間らしく見えるよう外見を整え、足早に歩いた。


「今日はどこ?」

「駅の北側だ。全く、インド料理なんて俺には縁のないもの頼みやがって」

「だって、普通じゃないかれーがあるって、浩一こういちが言ってた」

「余計なことを」


 すぱいすなるものがたっぷり効いた、独特な風味。それを耳にしてから食べたくてたまらず、暁久にねだり続けた甲斐があった。


 暁久の友達もまた、食べることが好きだ。無知を嘆くばかりの暁久にかわり、彼らが連絡をとりあい、いい店を発見してくれたらしい。ありがたいことである。


 駅に足を踏み入れる。ちょうど電車が来たところで、どっと乗客が吐き出されてきた。昼間は若い男女は働く時間らしく、老人か子連れの女ばかりだ。


『みんな……どこへ行く……私はここだ……』


 ざわめきに混じって、やけにはっきりと聞こえる声がある。霊体の声だ。私はそちらへ顔を向けた。


「あれ?」


 そこには階段があるばかり。念のためしばらく観察してみたが、霊の姿はどこにもなかった。しかし、声と気配は確かに感じる。


(近いと思ったんだけどな……)


 これだけはっきりした反応があって、放っておくことはできない。どこへ行く、という暁久を振り切って、階段へ向かった。


「あなたに気付いた。姿を見せて」


 小声でつぶやきながら歩いていたが、霊の姿は見えない。結局階段を上りきり、通路に出てしまった。


『おお、もしやそこのお嬢さん。私の声が、聞こえるのかね』


 真横──通路の外から声がした。そこには電車を渡す連絡橋しかないので、注意を払っていなかったのだ。


 しかし、いた。老人の霊が、鋼板の隙間からにゅっと顔を出している。


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