幽霊も楽しむ本場インドカレー

第23話 もう一体憑いてきた

「聞こえる。そこから出てきたら? 一緒に行けるかもよ」


 私が促すと、いびつな穴からハゲ頭が出てきた。続いて、細長い胴体が出てくる。


 暁久あきひさより年がいった感じがするが、それにしても痩せすぎだ。しかし浮かべた笑みは柔和で、良い生き方をしてきたのだろうと感じる。質の悪い茶渋の着物が、似合っていなくて気の毒だ。


『話が出来るだけでも、なんと幸運なことか。一緒に行くとは、どういう意味ですか?』

「いや、こう、ひゅっと。私の中にね」


 雑な説明をしつつ、霊体に近づく。普段ならこれだけで、魂を吸い込むことができるのだが……老人の霊体はぴくりとも動かなかった。私の動きに応じてついてくることはできても、一向に中には入っていかない。


「あれ? あれ?」


 戸惑う私を見て、すでに取りこんだ魂たちも出てくる。


『おかしいな。弾いてしまいまする』

『すさまじく霊格が高い、というわけでもないのに』

『……となると、原因はひとつ。この者、飢えて死んだわけではないのでござろう』


 そういうことか。理由が分かって、すっきりした気分になった。


「ごめんね。私はひだる神だから、飢え死んだ魂しか取りこめないの」


 説明すると、老人はうなずく。


『いや、神と一緒になるというのも面白いでしょうが……私には荷が重い。ひだる様は、何をしておいでなのですか』

「食べ歩き。今日は、インド料理店に行くの」


 料理と聞いた途端、老人の眼光が鋭くなった。前屈みになっていたのに、しゃんと背筋が伸びる。


『御身の影響か、少し動けるようになりました。茅野友宏、老体ながらご一緒させていただきたく』

「いいの? 味とかわかんないよ」

『料理を見るだけで……願わくば厨房を覗くだけで、魂に活力が戻りますッ』


 ここまで言うなら本気だろう。その意気やよし、と霊体たちも感心していた。


「おい、ひだる。急にどうした」


 しびれを切らした暁久が追いついてきた。霊体が見える彼は、新手が加わったことに気付いて顔をしかめる。


「……誰だ、そいつ」

「連れて行く。いいでしょ? 普通の人には見えないし」

「飼えないものを拾ってくるんじゃありません」

茅野友宏かやの ともひろ、猫扱いは心外であります』


 喧嘩が始まりそうだったので、私は仲裁のため柏手をうつ。


「とにかく。このまま、店に向かう。暁久、呪われたくなかったら言う通りにして」


 この一言を出すと、暁久も矛を収める。まったく妖は、と呟きつつも、駅の中へ戻った。


 そのまま駅を北へ抜ける。左右に走る大きな通りに添って歩いていった。最初は風俗店や焼き肉、飲み屋が連なっていて、あまり異国料理の香りはしない。


 しかし駅から遠ざかるように進んでいくと、次第に人混みも緩和し落ち着いた雰囲気になっていく。


「あんたはどのくらいの時代の生まれだ」

『先の戦争で死にまして』

「ってことは第二次世界大戦か。けっこう近いな。街に見覚えあるか?」

『この辺りには……神社がございませんでしたか。ほら、石の鳥居の』

「今は朱塗りになったが、あるぞ。参拝客も多くてな、三が日なんてごった返しだ」

『人力車もまだございますか?』

「歩ける距離だし、人が多すぎる。さすがになくなったよ」

『それは残念……』

「今もあるといえば、百貨店くらいかな。戦前からあったんだろ?」

『おお、懐かしい。あのビルは記憶に残っております』


 いつの間にか、地元の話で盛り上がっている。全然入れない私は、早く着いてくれないかなあと思いながら足元の石を蹴った。


「ひだる、ここだ」


 我慢の後、ようやく目的地に到達した。道の上に、車つきの小さな看板が出ている。緑と橙の色が目に鮮やかな看板だが、私には全く読めなかった。


「アーカーシュ、って読むらしい。『空』って意味だそうだ」

「入ろう」

「何か反応を示せ。せっかくの豆知識を」


 小難しい話は、腹が膨れてからにしてほしい。私は勢いよく、ビルの角を曲がった。しかしそこには、店の扉どころか窓もない。


「え?」

「豆知識も聞かない子には、難しかったか」


 暁久がさっさと、建物の奥へ歩いて行く。曲がった通路の先に、見たことのある機械があった。


「えれべーたー」

「正解。三階の店なんでな、こっちの方が早いだろ」


 全員で乗り込む。制限人数、九人。軽く数十はいる霊体はどうかな、と思ったがそのままするする登っていった。


「わ、狭い」


 降りた直後、思わずそう口にしていた。目前にすぐ壁が迫っており、さっきの看板と同じ文字が貼り付けてある。ただしこちらは金文字だ。その下には、なにやら小さな紙片が貼り付けてあった。


「雑誌の紹介記事だ。有名な店らしいな」


 わざわざ貼るほどでもない。現世の人間は見栄っ張りが多いな、と思った。ふと右手を見ると、白いカーテンがかかっている。


『備品置き場になっているようですな。なかなか、よく手入れされています』


 茅野がさっそく行動していた。店の前に来てから、別人のように元気である。


「入るぞ」


 左手の扉を押して入る。入ってすぐのところに円卓が二つ、奥には四角い卓が並ぶ。席は半分以上埋まっていた。籐編みの椅子と紺色の卓、茶色い壁と床。ごちゃごちゃした感じのない、上品な店内だ。


「うわ」


 ……と思ったら、足元に変な動物がいた。銀の椅子で、「象」の顔をしているそうだ。全然可愛くも格好良くもないが、縁起物だろうか。


「いらっしゃいませ。何名?」

「二人です」

「こちらどうぞ」


 空席があるからか、広い四人がけの卓に通される。ちゃっかり茅野が、空いた席に陣取った。


「すっきりした店だなあ。インド料理店って、もっと派手でごちゃごちゃしてるだろ。異国風っていうのか」

「それ、味に関係ある?」

「ないけど、気分が盛り上がるだろ」


 気分がそんなに大事だろうか。それを知るために、今度はそのごちゃごちゃした方の店に連れて行ってもらおう。


「メニューは悩む必要ないな。昼はコースだけみたいだから」

『一種類しかないのですか。よほど自信があるのですね』

「いや、今日は特別営業みたいだ。普段はもうちょっと選べるって話だったが」


 暁久が言う。確かに、料理の写真は一つしかなかった。選べるのは飲み物しかなさそうだ。


「お酒はダメだっけ……じゅーす、こーら、こーひー辺りはいいんだよね。……うん?」

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