第24話 スパイスはインドの魂

 酒でないものは一通り飲ませてもらったが、それでも見慣れない単語があった。


「らっしー? ちゃい? これ、何?」


 暁久あきひさに聞いてみると、強張った顔のままスマホを叩き始めた。わからないと言えば済む話なのに、負けず嫌いにも程がある。


「……ラッシーは、ヨーグルトと牛乳がメインの飲み物だな。蜂蜜で甘みをつける場合もある」

『乳製品の合体ですか。なかなか濃厚そうだ』

「割合は店や家庭によって違うみたいだから、さらっとしてるやつもあればドロドロもあるってよ。どうだ、頼むか」


 私は首を横に振った。何度か飲ませてもらったが、どうも牛の乳というのは生臭くて好きになれない。骨にいいらしいが、この体になったら関係のない話だ。


「チャイは、紅茶にミルクと砂糖、香辛料……シナモン、クローブ、カルダモンを入れて煮たもの、か。もともとは質の良くなかった茶葉を飲むために作られたもので、甘みと独特の香りが特徴」


 しなもん、くろーぶ、かるだもん。何かの呪文のようだ。さらに「それ何?」と聞くこともできるが、さすがに可哀想なのでやめておく。能書きは色々ついているが、母体が茶なら飲めそうだ。


「私、それにする」

「じゃあ、俺もつけよう。すいませーん、ランチセット二つ」

「はい。カレーにはナンかライスどちらにされますか?」

「俺はナン。ひだるは飯の方がいいか?」

「ナンって何?」

「インドのパンみたいなもんだ。釜で焼くから、もちっとしたところと焦げ目が両方食えてうまいぞ」

「その説明を聞いたら、ナンが食べたい」

「……だな」


 苦笑いしながら、暁久が注文を終える。すると茅野かやのが、さっそく座席から消える。


『いいところがありました』


 店の奥──厨房と接している一角が、硝子張りになっている。中で動いている浅黒い肌のコックが、ちらりと見えた。茅野はかぶりつきでそこに張り付き、いちいち動きを観察していた。


「見てたって、早く出てくるわけじゃないよー」

「お前と一緒にするな。あの男、料理人だったんじゃないのか?」


 そう言われてみれば、料理そのものより店構えや裏方に興味を示していた。死してなお仕事とは、熱心な霊もいたものだ。


「シェフの中にも、結構年がいった人がいるからな。いくつになっても、料理は楽しいものだし上達するのかもしれん」

「暁久はちっとも上手くならないね」

「……適性というものがある」

「そういうことにしといてあげる」


 暁久の才能は、剣道に全て注ぎ込まれている。あれだけ精密に竹刀を触れるのに、包丁になった瞬間さっぱりなのが悲しい。


「お待たせしました。コースのトマトスープです」


 最初の料理が運ばれてきた。マグカップの中に、赤い液体が入っている。ちょろりと上に垂れている白いソースが、彩りとして良い。


「いただきます」

「いただきまーす」


 二人、ほぼ同時に口をつける。意識が飛んだ。この時間だけは、取りこんでいる霊体たちを制御できなくなる。あまりにも、彼らの反応が強すぎるのだ。


「はっ」


 意識が戻った。スープのカップに触ってみると、まだ温かい。気絶する時間が、はじめと比べると大分短くなっていた。


 改めて味わう。最初は、濃厚な野菜の甘み。続いて、ぴりっとした刺激がきた。


「すごいな。こんなところにもスパイスか」

「普通のには入ってないの?」

「ああ。フレンチかイタリアンに見えるけど……しっかりインドだな」


 甘さの中に辛みがある。本来なら浮いてしまうはずなのに、絶妙に絡み合ってもう一度体験したくなる。それがインド、だと貴久子がよく言うのだそうだ。


「霊、出てた?」

「うん。なんてコメントしていいか分からなさそうだったけどな。象の物まねが上手かったぞ」

「……そう。ごちそうさま」


 そんなに量はない。かえって呼び水になるくらいの量で、腹がぐうと鳴った。次は何が来るだろう、と奥の厨房を覗く。茅野の間から、串に肉が刺さっているのがちらりと見えた。


「……なあ。あいつ、どうする気だ」


 小声で暁久が聞いてきた。


「うーん。他の霊と違ってとりこめないから、本人の好きにさせるしかない」

「そんな無責任な」

「いいじゃん。私と違って飲み食いもしないよ?」

「いや、そういう問題じゃなく」


 揉めている間に、次のメニューが来た……と思ったら、小皿だけである。赤いどろっとしたものと、緑色のもの。どちらも半固形で、ソースのようだ。


「赤がケチャップで、緑がチャトニーです」

「茶と煮?」


 けちゃっぷが出てきたのも意外だが、もう一つはどういう字をあてたらいいのかも分からない。


「豆と香辛料で作る、インドの調味料です。少し辛いですよ」

「へえー」

「次にくるチキンやマトン、サモサにつけてお召し上がり下さい」


 まじまじとソースを見る。緑色の中に、ところどころ黒いぷつぷつが浮かんでいた。これが香辛料なのだろうか。少しなめてみると、痺れる感じがある。唐辛子より、山椒に近い辛みだ。


「お待たせしました。前菜盛り合わせです」


 本丸もやってきた。葉野菜のサラダの横に、焼いた鶏肉。その横に竹輪のような形に整えられた、黄色と赤色の挽き肉。最後に、三角形の物体。きつね色をしているから、焼くか揚げるかしているのだろうが、正体がわからなかった。


「左から、鶏もも肉の串焼き。ヨーグルトソースで味がついてます。中央のシシカバブ……ミンチ焼きは二種類。黄色いのが鶏で、赤いのが羊です」

「へえ」


 宗教上、牛や豚が食べられない人がいると暁久から聞いたことがある。不自由だろうなと思っていたが、人間はどうにかして食べられるものを見つけ出すらしい。……羊って、美味しいのかしら。


「最後に、一番右がサモサ。中身は野菜がメインの、インド揚げ餃子です。ケチャップでもチャトニーでも合いますよ」

『ほう。中を拝見したい』


 茅野が戻ってきて、暁久の料理に覆い被さっていた。そこ、嫌な顔しない。


「熱いうちが美味しいので、お早めにどうぞ」

「はーい」


 また飛んだ。気がついたときには、暁久が茅野に絡まれている。


『さあ、割ってください。中央からぐいっと』

「ひと口でかじりたいんだけどな……」

『割ってください』


 暁久、結局押し負けた。剣道は強いくせに、霊体相手には弱いなあ。

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