第17話 菫の秘密
ファミレスの一角だけが、異様な雰囲気に満ちていた。
「黙ってちゃ分からないだろう」
「あなた」
ごつくて声の低い博正が言うと、想像以上の迫力がある。菫の肩が、小さく跳ねた。
「菫……」
「はい、そこまでそこまで。俺たちも混ぜてな」
絶妙のタイミングで、
「菫ちゃん、プリマヴェティのことなんだけど」
よかった。舌を噛まずに言えた。菫もはっとした顔になって、俺を見る。
「衣装? メイク? どっちが好きなの」
「……衣装。でも、ドールも好き」
「遅かったのはそのせい?」
「……年末のコミケ、受かったから。初日に間に合わせたかったの」
「そうか。お披露目の場か。そりゃ、張り切るよな」
「手縫いが多くて、どうしても時間かかっちゃう。……授業も、何回か忘れてた」
「そりゃいいや。サボったわけじゃなくて、忘れたのか。俺も経験ある」
あまりにも楽しいとか、もう少しで何かがつかめそうだとか──そういう『山』になると、他のことは全部どうでもよくなってしまう。実際には、おろそかにしていいものではないのだが。
俺は剣道。菫は装飾。ジャンルは違えど、似たような経験をした身にはよくわかる話だった。……毎回授業ノートを貸してくれた同級生は、今も元気だろうか。
「しかしな、取り返しがつかなくなるのはよくないぞ。選択肢は多い方がいいからな」
「必修はサボってないよ」
「よし、その意気だ。あとは金を稼げ。周りは実績をあげれば、意外と何も言わん」
「うす」
菫はようやく笑顔をみせる。その横で博正と千代子が、口をぽかんとあけて固まっていた。
「思ったより傷は浅いぞ。よかったな」
「い、いったいなんなんだ……そのプリなんとかは」
「人形ですよ。今はかなり大きく精巧になってまして、愛好者も多いんです」
「これを菫が? 子供の持ち物じゃないのか」
「……そういうこと言うから、私は話したくなかったの。頭からバカにされるってわかってて、面白くない目をしに行けって?」
博正は、ばつが悪そうに口をつぐんだ。その間に、勇が手を上げる。
「なんだ、菫ちゃんが抱えてたのってこれかよお……俺はてっきり人間かと……」
「お前も勘違いがキツいな。意識を失った人間ってのは重いんだよ。鍛えてない奴が抱いて走るのはかなり難しいし、動きが不自然になるはずだ」
だから俺は、菫が抱えていたのは人形だろうと当たりをつけたのだ。その手の趣味の世界は狭いので、どこかにつながりさえすれば情報を集められる。
謎は解けたが、博正の発言による重苦しい雰囲気は消えないままだ。俺はどういなそうか、と菫の気の強そうな横顔を見つめる。
しかし、意外なところから助け船がきた。
「ふふっ」
「ち、千代子?」
千代子が笑い出した。小馬鹿にした──わけではなく、本当におかしくてたまらないといった様子だ。
「血は争えないわねえ。菫、お父さんもそういう手芸が大好きだったのよ」
「は? このゴツいオッサンが?」
えらい言われようだが、確かに似合わない。
「
「お、おい」
「だからお父さんは反対するのよ。自分が嫌な思いをしたところだし、学校をおろそかにしていると思えばなおさらね」
「……そう。理由はわかった」
「後はどうするの?」
「学校はもうサボらないけど……それ以外は譲らない。もう決めたの。お父さんと私は、違う」
菫はきっぱり言った。親離れの始まりだ。博正は悲しそうな顔になったが、何度もその台詞を噛み締めている様子だった。
「ひとつ聞きたいんだが、
「……イベント」
菫ははじめ、ドール専門でない普通のクリエイターイベントに出店した。そこで認知度を高め、弾みをつけるはずだったのだが……
「あんまりお客さん来なかったの」
「ショックだったか?」
「それも確かにそうだけど……時々聞こえるように言われるの。『何あれ、気持ち悪い』って」
博正がそれを聞き、顔を真っ赤にした。
「買うのを強制したわけでもなく、ただ私は自分の好きなものを並べてただけなのに。なんでそこまで言われなきゃならないんだろうって思うと、悲しかった」
自分がどんなに好きでも、世間での認知度は大したことがない──どころか、奇異の目で見られる趣味もある。菫ははじめて、そのことを思い知った。
「今はお父さんに偉そうなこと言ったけど、その時はやめちゃおうかな、と思った。ここで頑張っても無駄なんだろうなって」
そんな折、声をかけてきたのが文奈だった。
「終わりごろに来てね。人形を見て、綺麗ね、大事にしてるのね、この子幸せねって。なんだろう、それで糸が切れちゃった」
周りに人がいるにも関わらず、菫は泣いた。文奈は何を言うでもなく、じっとそれを聞いていたという。
「近くの会社にいるからって、名刺くれた。それで、文奈さんのお昼休みの時間に時々会うことになったの」
菫の授業が重なっていることもあったが、必修でない限り文奈との約束を優先させた。誰にも話せない思いを吐き出す場所は、そこしかなかったのだ。
文奈はそれをおとなしく聞くばかり。特に金銭を要求することもなく、一定時間が経つと帰っていくという。
「怪しいと思わなかったのか」
「ちょっとは思ったけどさ……ほんとになにもなかったんだもの。私も甘えすぎだったけどね。会社もちゃんとしたとこだし」
菫はそう言って、大事そうに文奈の名刺を差し出す。確かに俺でも聞いたことがある、有名企業の名前だった。
「確認はしましたか?」
「え?」
「悲しい話ですが、こういうものはいくらでも偽造できますよ。一度、会社に問い合わせて在籍を確認してみないと」
浩一に言われて、菫は唇をかんだ。完全に文奈を信頼しきっていたのだろう。
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