第40話 弱いと言っても侮れぬ

 かりっと揚がった衣が破れると、中から油が飛び出してきた。


(あちっ)


 口の中を火傷しつつも身にかぶりつくと、柔らかな食感としっかりしたうまみが同時に味わえる。


いわしって、こんなに油があるものなのねえ」


 口うるさい貴久子きくこも、賛辞をおくる。


「煮物にしちゃうと、食感が変わりますからね。でも、獲れたてはみずみずしい魚なんですよ」

「紫蘇が合うなら、梅肉とも相性良さそうね」

「ええ、ばっちりですよ」

「へえ、作ってみるわ」


 俺は店主に向かって必死に目くばせした。貴久子、セレブ相手に料理をふるまって、入国禁止の沙汰を受けたのをもう忘れたか。


「ただ、なかなか外国では手に入らないでしょうね」

「そうよね、海辺の街じゃないとひどい目にあうわ。この前なんかね……」


 貴久子が愚痴り出した。俺は額の汗を拭う。ひやひやさせてくれる女だ。


「これでおしまい?」


 自分の分をあっという間に平らげたひだるが、恨めしげに皿を見つめる。


「まだありますよ」

「ほら、次が来るって」

「ビール飲むか?」

「未成年の飲酒はご遠慮くださーい」

「だってさ。分かったかい男共」

「はい」


 悪ふざけをしていたジジイたちが、一気に静かになった。流石の迫力である。


「分かっていただいた皆さんには、海老天のプレゼントでーす」


 店長からご褒美がやってくる。きれいに背が伸びた大きな海老天だ。包丁を入れた身を、二つに開いてある。


 かぶりつくと、ぷりっとした弾力が歯に快い。出汁にひたすと、衣が柔らかくなって一層身との違いが楽しめた。


「王道、王道」

「ありきたりかもしれねーけど、やっぱりこれが一番だわ」

「そういや、ここは他の海老料理がないなあ。なんでだ?」


 天ぷらに舌鼓をうちながら、男たちが質問する。店長が苦笑いを漏らした。


「うちの大将が、海老アレルギーなんですよ。お客様に出す料理は彼がチェックしてるので、混ぜるわけにいかなくて」

「なんだあ」

「じゃあ、早く独り立ちしてくれよ」


 場がわっと沸く。ひだるは「アレルギーってなんだろう」という顔をして海老の尻尾をかじっていた。


「アレルギーは、体が特定の物質に過剰に反応してしまうことですよ」


 浩一こういちが解説しだす。ここは流石に専門職だ。


「おいしすぎて?」

「いえ、味ではなくて免疫なんですよ。本来毒ではないものを敵と認識して、過剰に攻撃してしまう。それで、体にも悪影響が出てしまいます。最悪、亡くなることもあるんですよ」

「へえ、知らなかった」


 仲間内からも声があがる。浩一がわずかに目尻をつり上げた。


「単なる好き嫌いと違って、これは本人にはどうしようもありませんからね。成長すれば治る場合もありますが、大人になっても薬が必要な人もいる。なので、絶対に強要してはいけません。殺人になりますよ」

「ひええ、おっかねえ」

「敏感な人は、入っていた容器に触れるだけでもダメって言いますからねえ」


 流石客商売、店長は知っていた。


「うちも苦手な食材をお聞きしたりするんですが、厨房を分けるまではいかないので……」

「まあ、配慮してりゃいいんじゃねえの。ほんとに重症なら、何が入ってるかわからない外食は避けるさ」

「気の毒ですねえ」

「うん、気の毒」


 完全に自分と無関係だと悟ったひだるは、生返事をしながら海老の尻尾をかじっている。発端になったのはこいつなのに、食に関係ないと分かると非常にあっさりしたものだ。


「はい次。うちの名物、蓮根です」


 話がひと段落したところで、次がきた。大人の握り拳ほどある蓮根が、スライスされて衣をまとっている。それを見た一同の顔がほころんだ。


「今年もこの季節か」

「ええ、もうしばらくするとなくなっちゃいますから」


 その時しかないものを食べるというのは、いつの時代も最高の贅沢である。


 俺は大きな口で蓮根にかぶりついた。熱が入ってもしゃきっとした噛み心地が、タンパク質に慣れた口をリセットしてくれる。


「焼きでもいけますけどね。天ぷらがやはり人気です」

「前はかき揚げにしてもらったな」


 何度も食べている俺は、記憶をたぐる。


「ええ、初めて食べる方もいらっしゃるようなので、今回はそのままで。うちの自慢ですから」


 老人たちはありがたがっているが、ひだるの魂はややおとなしい。踊っているものはおらず、円陣を組んで談笑している。


『なんだ、普通の野菜か』

『しかし身は厚い』

「……かろりーが低めのお味」


 肉や魚より感激度は低いようだ。


(野菜は食ってたから、仕方ないな)


 ビタミンやミネラルをありがたがるのは、基本的に飽食の現代だからこそ。ひだるたちにとっては、量が多くカロリーたっぷりで、今まで食ったことのないものが「いいもの」なのだろう。


「次に期待」


 店長に聞こえないよう、ひだるが低い声で言った。


(残念だが、次も野菜だろうな)


 この店に何度か来ている俺は、そのことを告げようか告げまいか迷う。下準備を見ている茅野も苦笑いしていた。


「ビールおかわり」

「日本酒冷やで」


 大人たちからは酒の注文が乱れ飛ぶ。ひだるはウーロン茶をすすりながら、ひたすら店長の手元を見ていた。


「ジュースか何か、あればいいけどね」


 貴久子がメニューをのぞきながら言う。


「ここは飲み屋だからなあ。甘い酒ならあるけど」

「我慢できる?」


 貴久子の問いに、ひだるはこっくりとうなずいた。逆らってはならない人物だと、一瞬で見抜いたらしい。


「はい、次揚がりましたよ。とうもろこしです」


 十人近くの天ぷらを揚げているので、店長の額には汗がにじんでいる。それでも手際よく、黄金色の天ぷらがよそわれた。


「わ」


 野菜であっても色鮮やかなので、ひだるは素直に喜ぶ。


「この時期、甘くなってますからね。シンプルに塩でどうぞ」

「いただきまーす」


 全員がかぶりつく。今度は少人数ながらも、オタ芸が出てきた。やはりひだるはわかりやすい味覚を好む。


(蓮根の良さが分からぬとは、お主もまだまだよのう)

「変なマウントとってないで食いな」

「ハイ」


 また貴久子に考えを読まれた。嫁がますます化け物じみてくる。


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