第41話 退場は華やかに!
「うまいなあ」
思わず言葉が漏れた。薄い衣をまとったとうもろこしの粒が、舌の上ではじける。甘みが口内に広がり、時々塩の粒と混ざってより深い味になった。
(そのままかじるより、甘く感じるんだよなあ)
俺は大事に天ぷらをいただく。ゆでや焼きもいいが、この方法を知ってから完全にはまってしまった。
「次で最後か?」
「そうだな。でかいの頼むぜ」
俺はちらっと時計を見た。時刻は午後五時、もう少ししたら普通の飲み客もやってくる。
「そろそろ終いにするか」
「そうね。私もこの後、人と会う用事があるし」
「忙しいこって。いんたーなんとかのおかげだな」
「インターナショナルジュエリーコンペティションね」
「よく噛まずに言えるな」
彼女は宣言通り、海外の伝統ある審査会で大賞を受賞した。齢、五十七歳。決断してからわずか六年後のことで、それからデザイン依頼がひっきりなしに来るようになったと聞いている。
「忙しいと困るか?」
「繁盛してないよりましよ」
「確かに」
ずっと家にいろと言われたら、確実に暴れる嫁だ。それに、何かを追いかけている時の貴久子はとてもいい顔をしていると思う……悔しいが。
「お前が外で元気にしてる方が、俺は嬉しいよ」
俺は素直な気持ちを口にする。すると、いきなり
「ふい」
「……無意識でこういうことするのよねえ、こやつは」
「むい」
何が何だかわからないが、怒ってはいなさそうだ。ひだるもなんだかにやついている。
「幸せ者め」
「祟られてしまえ」
「年金が少なくなる呪いをかけてやる」
そのかわり、男性陣からの好感度がだだ下がりである。俺は一人気まずさに耐えた。
「お待たせしました、かき揚げです」
雰囲気を変えようとしてか、店長がやや大声で言う。握り拳ほどもあるかき揚げが、俺の皿にやってきた。
「おおー」
「リクエスト通り、大きいのにしときましたよ。茄子と豚肉のかき揚げです」
「にく」
ひだるがすぐに食いついた。
「塩? これも塩?」
箸を持って待機する彼女の前に、小皿が置かれる。
「塩でももちろん美味しいですが、まずはこれでどうぞ。
味噌といっても調味料ではない。もともと寺で作られた保存食で、米・麦・大豆に様々な野菜を混ぜて熟成させたものだ。酒の肴や、おかずとして食する。
「茄子とこれが抜群に合うんだ」
俺は茄子のところに味噌を塗りつけ、口へ運ぶ。茄子のなかから出た汁と味噌が溶け合い、豚肉にも味をつける。それが三層になったまま、喉の奥へ吸い込まれた。
「美味いなあ。甘辛加減が絶妙だ」
「これは家じゃ作れねえな」
「作り方は?」
「企業秘密……と言いたいとこですが、普通に買ってます」
店長が肩をすくめると、明るい笑いが起こった。
俺はかき揚げの最後の一口をかじる。名残惜しく思いつつも、大胆に噛み砕いた。
「さて、もう一品いくか?」
「そろそろ締めかなあ。昼飯がまだ、中途半端に残ってやがら」
「俺も」
ゆっくり供されるコースは、意外と腹にたまる。俺の腹も、八割方埋まっていた。全員の興味が、シメの炭水化物にうつっていく。
「今日、なにができる?」
メニューにのっているものの他に、材料さえあれば作ってくれる裏物がある。常連の特権ってやつだ。
「そうですねえ……素麺があるので、あったかくして煮麺にもできますし、卵があるのでオムライスもできます」
「すごいな、洋食もできるのか」
「昔はホテルで働いてましたからね。基本は一通りできますよ」
「へえー」
「あとはメニューにのってるお茶漬け、おにぎり、海鮮あんかけ天丼ですね。さ、どれにします?」
魅力的な提案をうけた俺たちは、顔をつきあわせて相談を始めた。
「お茶漬けの具は?」
「梅干しと……鮭が一人分だけありますね。おにぎりにもできますが、どっちにしても先着一名様です」
「いかなごは?」
「それはあります。おにぎりに入れられますよ」
大体の面子が、遠慮して梅茶漬けを注文した。貴久子が鮭が食べたいというので、彼女は鮭茶漬けと決まる。
「俺はいかなごのおにぎりをもらおうかな。ひだるは?」
「海鮮あんかけ天丼」
「期待を裏切らない女だな、お前は」
迷うことなく最大ボリュームのものを選ぶ。それでこそ、食欲の化身。
「大丈夫ですか? 天ぷらとあんで、結構重たいですよ。ご飯少なめにしときます?」
ひだるを普通の女子高生だと思っている店長が、眉をひそめる。しかしひだるは、激しく首を横に振った。
「むしろちょっと盛りを多くしてやってくれるか。食うから、こいつ」
「わかりました。じゃあ、腕によりをかけますね」
「よろしく」
店長と店員が、忙しく働き始めた。真っ先に、お茶漬けが届く。丼の中に、きざみ海苔と各種具材。白いご飯が茶の中に沈んで、ゆらゆらと揺れていた。
「先に食ってくれ」
「言われるまでもなく」
「いただきまーす」
先行組がふうふう丼を吹きながら、中身を胃におさめていく。貴久子も一口一口噛みしめながら、ゆっくり食べていた。
「……世界各地で、それなりに豪華な食材も食べさせてもらったけど。やっぱりご飯に落ち着くのよね」
「長いこと日本人やってるからな。舌が完成されてる」
「ソ連から亡命して、アメリカに行った人に会ったことあるけどね。もうアメリカに馴染んじゃってるんだけど、料理だけはボロクソ言うのよ」
「ははは」
食というのは不思議なものだ。高ければいいというものでもなく、時々どうしても求めてしまう味がある。
「はい、いかなごのおにぎりです」
目の前に、大の男の拳ほどもあるおにぎりが置かれた。海苔を器用に使い、てっぺんだけちらりと白が見えている。店長、俺の分まで頑張ってしまったようだ。
「説明はいりませんよね。他の県の方だと、何か分からないって言われることもあるんですけど」
「こっちじゃ春の風物詩だもんな」
「もうすぐ新物が出ますね。これは去年のですけど」
いかなご。浅い海に生息する小魚で、地方によってコウナゴ、メロウド、カナギなど様々な名で呼ばれる。
二月から三月にかけて稚魚の漁が解禁され、近畿でとられたものは甘辛い煮付けに使われることが多い。最近は不漁らしく年々価格が上がり続けているが、それでも大鍋一杯買い求める愛好者は多い。
俺はできるだけ大きな口で、おにぎりにかぶりついた。ぱりぱりした海苔に混じって、醤油と砂糖で味付けされた甘辛いいかなごの味を感じる。噛み砕いているうちに、わずかに生姜の風味がした。
しっかり味付けされた食材を、最後に白飯が優しく包み込む。これで口の中がリセットされ、自然に次を求めたくなった。瞬く間に、一個平らげる。
「貴久子」
「はい」
「俺も最後は、米だな」
「そうでしょう」
自分の功績のように、貴久子が胸を張る。俺は思わず吹きだした。
『
「まだ?」
「急かすな。お前のが一番、手間がかかるんだから」
厨房では、刻まれた玉ねぎ、海老、三つ葉が手際よくかき揚げにされている。コンロでは、ちょうど出汁に片栗粉が投入されるところだった。これで、あんにとろみがつくのだ。
ひだるの声が聞こえたのだろう、店主が動くスピードを上げる。丼に盛られたご飯の上にかき揚げが載り、その上にきつね色のあんがかかった。霊体たちが、早くも舌なめずりを始める。
「おまちどう。レンゲでどうぞ」
「すまんな、急かして。ひだる、お礼言いなさい」
「ありがとう」
ひだるは丼を受け取り、それをずっと観察している。天ぷらはあんに隠れてしまっていて、見た目はやや地味だ。しかし俺は知っている。その丼は、掘れば掘るほど宝が出てくるようにできているのだ。
「いただきまーす」
ひだるはレンゲを、丼の真ん中に差入れた。そのまま、大きくすくい取って口に入れる。
『絡む、絡みつきます』
『見た目からは予想もできない華やかさ』
『サクサクかつぷりぷり、ついでにとろとろ。三味、一度に楽しめる!』
『
踊りはクライマックスだ。茅野まで誘われて組み込まれてしまった。子供たちには人気のようで、茅野の周りにわちゃわちゃと小さいのが集まっているのが可愛い。
「うむ。うむ。これは美味しい。かき揚げとあんが最高」
「違うように見えて、合うだろう」
「うん。最初に考えた人は、偉い」
「あはは。うちのオーナーに言っときます」
店主が笑う中、ひだるはわしわしと丼を平らげていく。心配するまでもなく、あっという間に丼の底が見えてきた。
「ごちそうさまでした」
「ごちそーさま」
ひだるが丁寧に手を合わせ、店主に向かって礼をした。はじめはがっつくことしか考えていなかったひだるだが、徐々に人間らしくなってきている。なんとなく俺は誇らしく思った。
「……私、そろそろ行くわ」
唐突に、貴久子が別れを告げた。さっきまでかけていた電話が終わったようだ。
「おう。気をつけてな」
「そっちもね」
俺に手を振ってから、貴久子はひだるをじっと見つめる。
「……うう」
ひだるが怖がって唸った。すると貴久子は、意外にも笑みを浮かべる。
「まあ、気が済むまで付き合ってやってちょうだい。こいつらのこと、嫌いじゃないんでしょう」
ひだるはすぐにうなずいた。
「ならいいわ。でも、あんまり馬鹿やり出したら逃げなさいよ。じゃ」
「あ、タクシーお呼びしましょうか?」
店長が気をきかせて声をかける。だが、貴久子は首を横に振った。
「ありがとう、でも大丈夫。もうすぐ迎えが来るから」
「迎え?」
俺が不思議に思っていると、外からプロペラ音が聞こえてきた。
「まさか……」
「それでは皆さん、さよなら。うちの亭主をよろしくね」
貴久子は万札をカウンターに置くと、軽い足取りで出て行く。俺は嫁を追いかけた。彼女は、まっすぐに非常口へ向かう。
扉はあいていて、外の踊り場が見えた。その、さらに奥。つまり空中に、黒い縄ばしごがぶら下がっている。
貴久子は手すりに登り、梯子につかまった。すると、梯子が巻き上げられて貴久子と一緒に天へ昇っていく。
「たーまやー……」
「暁久、それは違う」
ついてきていたひだるがつっこんだ。
この状況をなんと表現したらいいのかわからない凡人を残して、貴久子は行ってしまった。
「年を追うごとにわからなくなるな、あいつ」
俺が力なくつぶやくと、ひだるがあいまいに笑った。
「……まあ、これで全部元通りだ」
己にそう言い聞かせて、俺は背筋を伸ばした。明日からは、いつもと同じ生活が戻ってくる。家事と、剣道と──時々、ひだる神。
「戻るか。支払いをせにゃ」
「食い逃げ、良くない」
俺が差し出した手を、ひだるがしっかりつかんだ。
木曜日のひだる神~おじいちゃんとJKあやかし食べ歩き祭~ 刀綱一實 @sitina77
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