第7話 憑かれてしまった

(だ、誰だ……?)


 少女の顔立ちは非常に整っている。切れ長の目に真っ黒な髪なのも、価値観が古い俺にとっては好ましかった。そして若いのに妙な落ち着きがあり、紺のセーラー服がよく似合っている。


(──しかし、怖いな)


 美しいが、若者特有の明るさや未完成な部分が少しもない。そして何より、この少女は


(関わらない方がいい)


 俺の頭は、あっという間に決断を下した。できるだけ少女と目を合わせないようにしながら、早足で歩き出す。


 ぱたり、ぱたり。


 聞き慣れない音がした。俺とは明らかに違うリズムの足音が、うしろをついてきている。


(さっきの女だな)


 振り返らない。だが、俺は確信していた。


 歩みを速めた。普段運動をしていない者なら、若くても息切れするに違いない。


 しかし、その読みは外れた。ついてくる足音は、常に一定のペースを保っている。


 ぱたりぱたり。


 ぱたりぱたり。


 俺が止まれば向こうも止まり、歩き出せば何事もなかったかのようについてくる。奇妙な追いかけっこは、道場の前まで続いた。ここまで来れば、稽古へ向かう若者たちもそぞろ歩いている。


(ちょうどいい、あいつらに相手してもらおう)


 男子専用の道場なので、女子は嫌でも目立つ。まして相手は美しいときていれば、反応しないわけがない。


「あ、師範」

「おはようございます」

「よろしくお願いしまーす」

「おう……」


 弟子の集団とすれ違った。俺はすかさず、自分の後方を指さす。しかし若者たちは、怪訝な顔をしただけでそのまま行ってしまった。


(連れだと思われたのか……?)


 恐怖の表情が足りなかったのだろうか。俺が悩んでいると、ちょうど前から『ピンピンコロリの会』の面子であり、道場の主でもある平井勇ひらい いさむがやってきた。すかさず、彼に向かって憂いに満ちた視線を飛ばす。


「暁久? 大便でも漏らしたか?」


 殴った。


「いってえな、道の真ん中でそんな顔してる方が悪いわ」

「この状況を見れば、なんで困ってるかくらい分かるだろ」

「はあ?」


 俺が必死に訴えても、勇は首をかしげる。


「変な女がいるだろうが」

「いいや」


 彼の表情に、嘘はない。俺は、だんだん追い詰められてきた。


「セーラー服の、怪しい女だ」

「だから。どこを見たって、むさい男しかいねえって。女性がいたら、俺だって髪くらい整えるわ」


 全く信じてもらえない。腹立たしいことに、後ろの少女がこの状況を楽しみ始めた。


「今、足蹴られたっ」

「……救急車」


 まずい。実にまずい。というかさっきから女子に脇腹をくすぐられて腹が痛い。


(誰か、誰かなんとかしてくれ──)


 心の中で叫ぶ。するとそれに呼応するように、野太い声がした。


「やや?」


 坊主が道の向こう側に立っていた。高身長な上に笠をかぶっているので余計にでかく見える。要するに何もかもが大きい。


「そこの方。厄介なものに憑かれていますな」


 坊主はまっすぐ俺のところへやってきた。


「見えるんですか、この女が」

「もちろん。強力なひだる神ゆえ」


 その名を聞いて、俺の背中に冷たいものが走った。


(これとあの煙が同じだと……?)


 黒い煙が美少女になっていたので気付かなかった。素人の中途半端な祈祷は、なんの効果もなかったらしい。


玉利博正たまり ひろまさをご存じですか」


 知った名前を出されて、俺はうなずいた。


「彼に頼まれて、様子を見に来たのです」

「おお、なんという友情」


 感謝の気持ちを抱え、俺は笑みを浮かべたまま頭を下げる。


「しかし、これではどうにもならん……」

「はい?」


 俺は思わず聞き返していた。こんなに頼りになりそうな男が、弱音など吐くはずがない。


「私が来る前に、何か祈祷めいたことをされませんでしたか」

「祈祷ってほどのものじゃないですが……」


 俺は昨日したことを、ありのままに語った。


「そうですか」


 僧は丸太のような腕を組み、深いため息をついた。


「生兵法は大怪我のもと、と言いまして。下手に妖に情けをかけると、これ幸いと取り憑かれてしまうことの方が多いのですよ。向こうからすればご馳走が来たようなものだから」


 志は素晴らしいが、やっていることは心霊スポットにわざわざ行く輩と同じようなもの。そう説明されて、俺は呆然とした。


「これを剥がすとなると、相当な準備が必要となります。拙僧は一度出直してきましょう」


 泣きたくなった。彼がいない間、一体どうすればいいのか。


「拙僧が戻るまで、できるだけ奴を刺激しないように。怒らせないように。万が一祟られると命に関わります」

「……祟られてしまった場合、どうすれば?」

「さらば」

「ちょっとぉ-!?」


 僧は脱兎のごとく、朝の人混みの中に消えてしまった。残された俺は、誰もいない空間に向かって、空しく手を伸ばす。


 そんな様子を見て、少女が不気味に口元をつり上げた。



 ☆☆☆



「怒らせない、ねえ……」


 家に帰ってみたが、とりあえずやることが思いつかない。ひだる神は人間の姿から、また黒いどろどろに戻って庭に陣取っている。


 唯一の救いは、妖怪が家の中に上がってこないことである。仏壇と神棚があるのがいいのだろうか。俺はできるだけひだる神を見ないようにして、夕食の支度にとりかかった。


(確か、豚肉の残りがあったな)


 それを野菜の切れ端と炒めれば、一品できる。あとは米とビールがあれば、老体には十分だ。


(いや、待てよ)


 ひだる神にやらなくていいのだろうか。俺だけ食べて恨まれたりしないだろうか。


(でも、昨日やったばっかりだし。そんな毎日はいらないかな)


 俺は思い直し、作業を開始する。しかし、急に視線を感じた。不穏な気配のする方へ顔を向けると、小窓に黒い煙がへばりついている。


(見てる。見てる)


 ご丁寧に瞳まで作って炒め物を凝視している。


「……今日、人の姿でついてきたな。俺を観察するためか」


 無言でひだる神がうなずく。


「あれが生前の姿か」


 またうなずき。しかし目線は、常に料理に固定されていた。


「……後でもってってやるよ」


 根負けした俺が力なくつぶやくと、目玉が消えた。


(まずい。これは、心臓に悪いぞ)


 とんでもないものに憑かれてしまった。自分の健康もそうだし、金銭的にも圧迫される。


(何か……何か、策を見つけないと)


 俺は鍋に調味料を振り入れながら、頭を悩ませ始めた。


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