23 哀するキミへの鎮魂歌。―告白―

 互いに一度落ち着くために、二人はダイニングテーブルを挟んで向かい合う。

 両者の前にはココアが置かれており、白い湯気が立ち昇っていた。


 入鹿は口の中に残っている唾液の匂いを消すために、ココアを一口啜る。

 温もりが全身を駆け抜けて、じんわり身体を暖める。


 それに倣うように、伽耶も一口二口とカップを口に運び、液体を身体に取り込んだ。


「……」

「……」


 互いに、相手の出方を窺うように覗き込み、視線がかち合う。気まずくなって逸らし、両者ともココアを口に運んだ。しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。


 入鹿は意を決し、口を開く。


「伽耶ちゃん」

「……っ。な、何?」


 動揺。入鹿は爆弾を前にした処理班の気持ちで、慎重に言葉を選び、紡いでいく。


「さっき、僕が言ったことなんだけどさ。できれば言葉にして教えてほしい」

「……それって、あれだよね。……好きなのか、ってやつ」

「うん」


 先ほどの反応から、地雷なのは分かっている。しかし、これは一種のけじめだ。


 真剣な面持ちで見つめると、伽耶は視線を彷徨わせ、かと思うと大きく息を吸い込み、吐き出す。それを何度か繰り返した後、硬く噤んでいた唇を緩める。


「好きかどうか、って言うのは……よくわかんない」

「分からない?」

「うん。入鹿と一緒に居るのは、その、良いって思う。楽しいとか、そう言うのも、いまいちわかんないけど、嫌ではないことは、確か」


 伽耶は一度ココアで唇を湿らせて、続ける。


「一緒に帰るのも、一緒にご飯食べるのも、一緒にテレビを見るのも、一緒に買い物に行くのも、遊びに行くのも、喋るのも、触れ合うのも――キス、するのも。私は、嫌じゃない。入鹿と一緒に居ると、よくわかんないことになる。でも、それは不快じゃなくて、むしろもっとよくわかんなくなればいいって思う。ぐちゃぐちゃになればぐちゃぐちゃになる程、すごい、気持ちよくなって、特に手を握ってる時とか、ソファーで肩が当たってる時とか、一緒にベッドで寝てる時とか、抱きしめてくれた時とか。頭がおかしくなりそうで、体が震えて仕方がない。ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃって、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃって。意味わかんない位気持ちよくて、ずっと、ずっとこのままでいいって、このままが良いって思う」


 顔を上げる。その表情は――。


「これが、好きってこと? そうなの? 私、わかんないからさ、わかんない。何もわかんないの。……だからさ、入鹿ぁ」


 そう語る、伽耶の表情には――。


「私と、せっくすしよ」


 何処までも何処までも、うすら寒い笑みが浮かんでいた。


「私、わかんないんだ。わかんない。でも入鹿とせっくすしたい。ぐちゃぐちゃだから、もっとぐちゃぐちゃになりたいから、せっくすがしたいの。入鹿、入鹿、いるかぁ……」


 何度も名前を呼ばれる。


「いいじゃん、しよ? それとも嫌なの? 入鹿は私のこと好きなんでしょ? いいよ、好きにしていいよ。好きにしてよ。一緒に居てよ。何してもいいから、何でもするから。お願いだから。一生のお願いだから――、私とせっくすしよ?」


 言って、彼女は机の上に置かれた入鹿の手に自分のものを重ね、彼女が望む交尾のように、指を絡ませる。少しでも密着したいと言わんばかりに、握って来る。


 入鹿はそれに視線を向け、逡巡してから握り返した。


「……分かった」

「……っ! じゃ、じゃあ今すぐベッドに――」

「でもその前に」


 立ち上がって手を引こうとする伽耶を引き留める。


「ひとつ、はっきりしとかないといけないことがあるんだ」

「はっきりしとかないと、いけないこと?」


 伽耶のおうむ返しに頷くと、一度手を離して姿勢を正す。


「伽耶ちゃん、好きです。僕と付き合ってください」


 目を見て、真摯に告げる。

 時が止まった、ように感じた。カチカチと、時計の秒針が妙に耳に残る。


 伽耶はしばらく呆然とすると、徐に笑った。


「……え、別に、いいじゃん」


 入鹿は目を細める。


「いや、ダメだよ。こういうことははっきりさせとかないと」

「なんで? こだわる必要なくない?」


 伽耶の言葉に違和感を覚える。


 だって、彼女の態度はどう考えても、付き合いたくない、という風にしか見えないのだから。


 セックスしようと誘ってくるし、彼女の言葉を聞いている限り、ほぼほぼ間違いなく好意を抱いてくれているのは確かなはずだ。


 だと言うのに、彼女は首を縦に振ろうとしない。

 ひたすらにはぐらかそうとしている。


 それがどうしてなのか、入鹿には分からない。分かるはずがない。


 彼我の関係は、所詮三ヶ月ばかりを共に過ごした赤の他人でしかないのだから。


 身内の考えていることですら分からない時もあると言うのに、どうして伽耶の思考が読めようか。


 だから、諦める。これ以上追及することは、彼女のストレスにつながるかもしれないから。


 いつも通り。いつも通り「そうだね、ごめん」と謝罪して、彼女の意思に背くことなくただ流されていれば……いれば……?


 その先に、何があるのだろう。


 ……答えは、何もない。


 何も得られないし、何も知ることが出来ない。

 ただ今までの破滅的な日常が今後も淡々と続き、終わりが来るまで終わらない。


 だから、


「こだわる必要はあるでしょ」


 入鹿は踏み込んだ。そんな終わりは論外だから。


「僕だって責任を持ちたい」


 世の中には恋仲ではない状態で行為に及び、またそれを娯楽の一種として享受する人種がいる。

 そのことを入鹿は理解しているつもりだし、咎めるつもりもない。


 好きにすればいい。仲の良い女友達とセフレの関係を築こうが、二股を掛けようが、浮気しようが、不倫しようが、何処で誰が誰と何をしていようと、そんなことを咎める権利は入鹿にはないのだから。それらすべては、結局人それぞれの問題なのだから。


 だから、他人がどう思おうと、どう行動しようと、何も思わない。


 ただ、これが入鹿の考えだと言うだけだ。


 仮にそういう行為に及ぶときは、きちんと筋を通したいと、そう考えているだけなのだ。


 入鹿は何度でも告げる。


「伽耶ちゃん、好きだ。僕と付き合ってください」


 されど、伽耶は首を動かさない。

 ジッと石像のように固まり、俯いている。


「……いいじゃん」


 ふと、口を開いた彼女はぼそぼそと語り始める。


「いいじゃん。好きにしていいって言ってるじゃん」

「……」

「何してもいいんだよ? めちゃめちゃに犯してくれていい。何ならゴムを使ったりしなくてもいい。――無理に恋人になろうとしなくて、いい」


 吐き出すように、嗚咽を漏らすように、伽耶は絞り出した。

 また、違和感。けれど今度は、先ほどとは異なる種類の違和感だった。


『無理に恋人になろうとしなくて、いい』


 それは、彼女らしくない言葉。

 遠慮、の言葉に聞こえた。


「……伽耶ちゃんは、僕と付き合うのが嫌なの?」


 だから尋ねる。

 真正面から、一切歪曲させることなく、正々堂々と。


 言葉は濁さない。恣意も思惑も介在しない、ひたすらに純朴な問いだけを投げかける。


 伽耶は大きく息を飲み、視線をさ迷わせ、二度三度深呼吸してから、噤んでいた口を開いた。


「嫌」


 呟き、


「…………な、わけない」


 締めくくった。

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