9 僕と彼女のありふれた青春。

 翌朝、入鹿は全身に訪れた痛みによって目を覚ます。


「…………寒っ」


 思わず身を抱きしめ、周囲を見渡すと、自身が凍えている原因はすぐに判明した。


 入鹿が寝ていたのは床の上。冷たいフローリングが体温を奪う。ようするにベッドの上から落下したのだ。体の痛みはその際にできたものだろう。


 しかし、入鹿はそれほど寝相が悪いわけではないので、そうなってくると必然的に犯人は一人に絞られる。


 特に強く打ち付けた腰を擦りながら立ち上がり、ベッドの上で寝こけている伽耶に目を向けた。ぐーすかぴーすかと気持ちよさそうだ。


「凄い寝相だな……」


 入鹿の領域に侵入し、そこで大の字になって眠る伽耶を発見し、ため息を吐く。


 本当はもう少し眠っていたいと思ったが、窓へ目をやると外は明るくなっていた。


 次いでデジタル時計を見やると、時刻は午前九時十四分。当然のことながら遅刻の時間である。


「まぁ、いっか」


 寝室を後にして顔を洗うと、昨日軽く濯いだだけの衣類を確認。


 ところどころ返り血がシミとなり跡になっていた。仕方がないと、そのすべてをゴミ袋へ。入鹿のコートもだ。


 もっと丁寧に洗ってもいいが、そもそも返り血の付着した衣類など着たいと思わない。加えて、着ていてもメリットが何も無い。むしろデメリットだらけだ。


 幸いにして金はある。入鹿のものでも伽耶のものでもない多額の金が。それで新しい服を買えばいい。


 服に関してある程度の算段を付けると、今度は金属バットを手に取り丁寧に洗う。


 柄の部分に巻かれている布は血が染み込んでいるのでナイフで切断し、ゴミ袋へ。代わりの物を巻き付けて、終わり。傘立てに差し込む。


 昨日の片づけを一通り終えると、簡単な朝食を作りにキッチンへ。すると、そこでオブラート紙を見つけ、慌てて回収した。これもまたゴミ袋へポイっ。


「睡眠薬盛ったのバレたら殺されそうだしな」


 呟いてから朝食の準備。

 トーストとベーコンエッグ、それと珈琲とココア。

 すべてダイニングテーブルに並べると伽耶を起こしに行く。


「伽耶ちゃん」

「……んむぅ」

「おーい」

「んぁあ……」

「起きろー」

「……あぇ? いぅか?」


 呂律が回っていない。


「おはよ、伽耶ちゃん。ご飯作ったから顔洗っておいで」


 上体を起こしながら瞼を擦る伽耶は「うん、分かった」と返事をして、かと思えば何かに気付いたのか、もの凄い勢いで入鹿を見つめて来る。


「え、なに? どうしたの?」

「あ、ああ……」


 餌を求める金魚のように口をパクパクと動かしながら顔を真っ赤にする伽耶。

 次の瞬間――。


「わー! わぁー! 私のばかー!! うぅー!」

「えっと」

「しゃ、しゃべるなー!」


 突然頭を抱えて発狂した。


「か、伽耶ちゃん?」

「大体なんで私寝ちゃったの? ……じゃない! そうじゃない!」

「おーい」


 なにやら思考の渦に飲み込まれている伽耶の肩を軽く揺すろうとして肩に触れると、彼女は全身をビクつかせてから、慌てて布団を頭から被った。


「違う! 違うから!」

「ほう?」

「昨日のは気の迷いだから! 勘違いしちゃだめだから!」

「なるほど」

「分かった?」

「分かった」


 布団から顔だけをひょっこり出して睨みを利かしてくるので、取り敢えず神妙な顔で入鹿は頷いておく。


「じゃ、じゃあもう掘り返さないで」

「りょうかい」


 一度も掘り返したつもりは無いけれど。そんな思いを抱きつつも迷わず首肯。


 伽耶の言うことには基本的にイエスしか返さない。というより返せない。

 まだ挽肉には成りたくない年頃だ。


「それじゃあご飯にしよ」

「……分かった」


 伽耶はもそもそと布団から這い出てくると、そのまま洗面所へ。顔を洗ってからテーブルに着くと二人そろって手を合わせる。


「「いただきます」」


 そうして入鹿のありふれた青春が今日も始まった。

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