榎本くんの過ぎていく青春
10 乖離する現実。
浜宮伽耶は犬殺しである。
その『原因』を入鹿は知っているが、『理由』は依然として不明なままであった。
彼女と出会って約三ヶ月。最初はことあるごとに殴る蹴るの暴行を受けたものだが、最近ではその数も週に十回程度とかなり少なくなった。
それは間違いなく、ある程度の『信頼』を彼女から得ているからだ。
だと言うのに『理由』――つまり、なにが『トリガー』となっているのかが、まったくわからなかった。
このままでは、彼女を止めることは出来ない。それはダメだ。許されざることだ。伽耶の暴力を止めさせ、犬殺しも止めさせる。
入鹿はそれをしなければならない。
しかし思いとは裏腹に先の見えない状況は、心に憂鬱な気持ちを募らせる。
「はぁ……」
「今日はえらくお疲れのご様子で。遅刻魔さん」
ため息を聞いた結良が、椅子をひっくり返して話しかけてくる。
「基本いつも疲れてるよ」
「うっわ、忙しーアピール? うっざぁ」
「そっちから聞いてきたんじゃないのかよ?」
「そこまでは聞いてないっつうの」
辛辣な態度の彼女に「そうかい」と返すと欠伸をひとつ。
「何、眠いわけ?」
「あぁ、睡眠時間的には問題ないだろうが……何だろうな」
精神的な疲れであることは間違いないが、それを彼女に言っても仕方がない。
叶瀬結良は完全なる部外者なのだから。
「ふーん。……あっ、じゃあこれ上げる」
そう言って彼女が取り出したのはガム。それがどうしたのかと注視すると『爽やかミント』の文字を発見。瞬時にすべてを理解すると、腕を枕にして眠りに着くことにした。
遠慮したい。全身全霊でその味は遠慮したい。
「無視すんじゃないっ」
入鹿の頭にチョップが振り下ろされる。
痛くも痒くもないため完全無視を決め込む。しかしそれは二度三度と繰り返されて――。
「やめんか」
ペシッとはじく。
さすがに鬱陶しい。
「無視するからよ。……ほれ、ほれほーれ」
「食わんぞ。ミントは悪だ。僕は悪が嫌いだ」
「うるっさいわね。いいから黙って食べてればいいのよ」
包みを剥くと中身を入鹿の口に押し込む結良。
さすがに一度口に入れたものを吐き出すような行儀の悪い真似は出来ないので、渋々と舌の上で転がした後、意を決して咀嚼。
スッ――と鼻を抜ける独特の味に眉間にしわを寄せ、表情を顰めた。
「あああぁぁ――……。まじミント無理だ。お前はこれを美味いと思うのか?」
「美味しいっていうか、風味っていうか。兎に角そのスッ――ってなるのが良いのよ」
「分からん世界だ」
「慣れれば分かるって。珈琲と一緒だよ」
確かに小学生の時分、入鹿は珈琲を苦い泥水と思っていたのに対し、現在は自ら進んで購入し、その苦みの虜になっている。
そう考えると結良の言葉も、一理あるのかもしれない。入鹿はさらにもうひと噛み。
「……っ!! 辛ぁっ!」
「ぷっ、変な顔!」
入鹿の顔を指さしで笑う結良。
ポケットからスマホを取り出してカシャカシャと連続撮影。
「やめんか盗撮魔」
不満を口にするも、結良は受け入れない。
結局一頻り笑い転げてから彼女はスマホを収める。
そんな能天気な姿を見て、彼女なら犬殺しをするほど悩んだりすることもないんだろうな、などと考えてから、そもそも大多数の人間はそんな事はしないことに気付く。
「あっ、そうだ。入鹿さ、今日の放課後私に付き合ってよ」
「どっか行くのか?」
「まぁ……そうだね。アンタ最近は浜宮とばっかりつるんでるからさ」
今月に入ってからは毎日伽耶と帰宅を共にし、昨日の様に泊まることも多い。
頻度的には二日に一度。結良とは中学からの腐れ縁であるため、あまり無碍にはしたくないというのが、入鹿の本音であった。
本日の放課後ぐらいなら問題ない。入鹿は暫し瞑目し——ふと、スマホが震える。
一つ断りを入れてから確認すると、それは今どき珍しいメールで、内容に目を通してから申し訳なさそうに結良に告げた。
「……悪い。今日は少し用事がある」
「…………うん。そっかぁー」
その言葉と表情に、ずきりと胸が痛んだ。
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