16 懊悩する夜。
伽耶が寝静まったのを確認して、入鹿はリビングである人物に電話を掛けていた。
何度かのコールの後に相手が出る。
『もしもし、入鹿? どうしたの?』
「実は相談があるんだ」
電話の相手は叶瀬結良。
竹馬の友と言える程ではないが、長い付き合いがあり、そして入鹿が絶対の信頼を置く友人である。思考の渦に飲まれた入鹿は、自身を俯瞰して結良に相談することに決めた。
それは心境の変化だった。昨日までは部外者である彼女は巻き込まないと、そう決めていたというのに、今は自分から巻き込もうとしている。
伽耶の犬殺しを何としてでも阻止したい。昨日までは何処か薄かった思いが、肥大化していた。『終わり』が近付いていたからだ。
『相談? ――ってかその前に、何で今日休んだのよ!』
「え、あ、いや」
まさか会話をぶった切られると思っておらず、動揺する。
しかしこちらは相談させていただく側であるため、気分を損ねないように彼女に話を合わせることにした。
『二学期の終わりだよ? 普通はお疲れ様ー! って感じで盛り上げたいじゃん?』
「そ、そうなのか?」
『そうだよ! なのにアンタは休みって……久し振りにカラオケでもって思ってたのにさぁ』
「それは……悪かったな。でもこれから冬休みだしさ、遊ぼうと思えばいつでも遊べるだろ」
もちろん、優先順位は伽耶が上になってしまうが。
『へー! じゃあ明日遊ぼうよ!』
「明日、明日かぁ……昼からなら、遊べるかな。多分、おそらく、きっと」
『自信なさすぎじゃない? 何々、どした?』
「あー、実はさぁ――」
伽耶には話せないが、結良なら何も問題はないと判断。夜の散歩を楽しんでいたら警察にパクられた一件を説明し、本日の欠席理由から明日の休日出勤についてもお伝えした。
すると電話の向こうで楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
『うわー、馬鹿だ! 馬鹿が居る!』
「自覚してるからあまり笑わないでくれ」
『あははははっ』
「……」
無慈悲な嘲笑に涙がほろり。そんなに笑わなくてもいいじゃんとは入鹿の寸感。
『あれ、拗ねた? もしかして拗ねちゃったの? ぷぷっ』
「当方を煽るのはおやめください」
『アンタが馬鹿なことしてるのが悪いんでしょ』
返す言葉もない正論。ぐうの音も出ない。
「おっしゃる通りです」
『よし、分かったら明日遊ぶから!』
「ちょっとまて、どういう飛躍の仕方をすればそうなるんだ!?」
『いいから。それに何か相談事があったんでしょ? そん時に聞いてあげるからさ』
結良は一気にまくしたてると、一方的に通話を切ってしまった。
その後、メッセージアプリに時間と待ち合わせ場所が送られてきた。
『午後一時半に東口改札前広場』――『了解』
昔から一度言い出せば聞かないのが叶瀬結良という少女だ。
入鹿は溜息を吐いて、スマホをしまい、伽耶を起こさないように注意しながらベッドに入って眠った。
§
翌朝、制服を身に纏い外出しようとすると、伽耶が寝室から顔を出した。
「学校昨日までだよ? 耄碌したの?」
「何故に毒舌……いや、昨日休んだことで学校から呼び出されてるんだ。今日はそのまま家に帰るつもり。一応テーブルの上にメモ置いといたから、後で読んどいて」
端的に伝えると靴を履き、玄関の取っ手に手を掛ける――寸前。
「ま、待って」
不安げな声。振り返ると、伽耶は体の前で手をもじもじ擦り合わせ、意を決したように口を開く。
「だめ、帰ってきて」
「え?」
「帰ってきて」
「それは……つまり、用事が済んだらここに帰ってきて、と?」
聞き返すと彼女はコクリと頷く。
入鹿は戸惑った。昨日の恋人繋ぎもそうだが、最近伽耶が積極的だ。
最近――より正確に言うならば、睡眠薬を使って眠らせたあの犬殺しの夜から。
そもそもあの夜自体おかしかった。それまでも犬殺しをした後に甘えられることはあっても精々手を繋いだり抱擁したりが関の山。あそこまで直接的に肉体関係を求められることは、今まであり得なかったのだ。
そしてその日以降、妙に積極的な伽耶。
彼女の中で何か変化があったのだろうか。
しかし入鹿にそれを知ることは出来ない。伽耶のテレパシーでも受信できる機械があればいいのだが、残念ながら今の科学技術では不可能だ。
「いや、でも二日連続はうちの親が……」
そのため当たり障りのない言葉ではぐらかす。
と言っても、これは本当の気持ちでもある。両親に『クラスの女子と半同棲状態』であることが露呈した場合、面倒なことになるのは明白。できれば避けたい事柄だ。
渋っていると、伽耶は一度寝室に引っ込み……次に顔を真っ赤にして戻って来る。
彼女は先ほどと対照で、何かを隠すように手を後ろに回していた。
「どうしたの?」
「えっ!? あ、や、その。……から。」
うつむいてぼそぼそと小声で何事かを呟く伽耶。しかしその声量ではさすがの入鹿も聞き取ることが叶わない。
「ごめん、もう一度いい?」
彼女は入鹿の言葉を受けて下を向く――かと思うと、意を決したのか顔をバッと上げた。
不安気にゆらゆら揺れる右目で入鹿を睨み、見たことがないほどに顔を火照らせて、伽耶は叫んだ。
「今日、するから!」
同時に何かを投げつけたかと思うと、ぴゅーっ、バタンッ! 寝室に逃げ込んでしまう。
さすがに状況についていけない。
困惑の表情を浮かべつつ、投げつけられて玄関にポトリと落ちていた箱を拾おうとして――入鹿の思考は停止した。
手にした箱には『極薄0.01㎜ 十二個入り』の表記。
「……」
絶句、という表現がこれほど似合う状況もないだろう。
伽耶が投げつけてきた物。それはコンドームだった。
コンドーム――避妊具。つまり、エロいことをするための道具。
観月あたりに見せたら狂喜乱舞の様相を見せてくれること請け負いだろう。
「…………え?」
やがて長い沈黙の末、なんとか絞り出したのはそんな言葉。
――本当に、どんな心境の変化なんだ?
入鹿はコンドームを鞄に入れて、未だに混乱する頭を抱えながら学校へ向かった。
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