17 残留する苦味。
「あぁ、まぁ。とりあえず分かった。次からはもう外に出るなよ」
三井のありがたい言葉を耳に入れて、入鹿は職員室を後にする。
気分は憂鬱。正面に教頭を構え、その両脇に禿げ頭と担任の三井。ガミガミガミガミ雷を落とされ、挙句の果てに反省文を提出しなさい云々。
原稿用紙を二十枚ほど渡された。そんなに書けるわけがない。
何とか解放され、置き勉していた教科書を回収しに教室へと足を運んだ入鹿は溜め込んだストレスをため息と共に吐き出した。
「あら、榎本くん。休日出勤ご苦労様」
そんな彼に話しかける人影がひとつ。声の方へ視線をやると、教室前方のドアのところに後藤の姿を発見した。今日も今日とて白衣を纏い、眼鏡を輝かせている。
「なんですか、嫌味ですか?」
「あら、自業自得じゃないのかしら?」
どうやら彼女も入鹿のしでかしたことを知っているようだ。
「まぁ、そうなんですけどねぇ」
後藤の言うことはなにも間違っていないので、大人しく首肯する。
すると彼女は「ちょっと来なさい」と言って顎をしゃくった。
「いや、僕、これからちょっと用事が」
時計を見ると十一時三十二分。結良との待ち合わせにはまだ余裕はあるが、一度家に帰って着替えたいと思っていた。それを考慮すると少し怪しい時刻になる。
「すぐ済むわ」
しかし、後藤の有無を言わせない態度に、入鹿は大人しく付いていくしかなかった。
連れてこられたのは保健室。丸椅子に座るように促され着席すると、後藤は珈琲を淹れてくれた。そうしてテーブルをはさんで正面に着席。
後藤は珈琲で唇を濡らしてから口を開く。
「ちゃんと、反省しているの?」
「そりゃあもちろん。海よりも深く反省してますよ」
淡々と語る口調からはそんな様子は微塵も伺えない。
「ほんとうに?」
「はい、心の底から反省してます」
珈琲を口に含む。後藤は一泊置いてから話題を変えた。
「――どうして、夜に散歩をしていたの? 自殺願望でもあったのかしら?」
「先生方や警察の方にもお話ししましたが、本当にただの散歩ですよ。つまりは気分です」
入鹿はカップの取っ手に手をかけて、もう一度口に含み、嚥下。「これ美味しいですね」と語る様子は、とてもではないが反省しているようには見えなかった。
だからこそ、後藤は怒った。
「いい加減にしなさい!!」
「……っ!」
大声に驚き、思わず肩を揺らす。
「キミ、本当に分かってるの!? 今頃死んでいたのかもしれないのよ!?」
「分かって――」
「ないわよ!!」
入鹿の言葉を遮って、後藤は感情を露にする。彼女は立ち上がり入鹿の胸ぐらを掴むと、無理やり視線を合わせた。釣り目がちな彼女の双眸は憤怒に揺れている。
「いい? 今回は運が良かっただけ。あと一歩間違えればキミは死んでいた。それをちゃんと理解しなさいッ!!」
声を荒げる後藤。それを見て、入鹿は無意識に言葉を紡いでいた。
「――なんで? どうしてそこまで……」
純粋な疑問。これを受けて、後藤は少し冷静になったのか手を離し、丸椅子に腰を落とす。入鹿も倣って座ると、とつとつと話し始めた。
「なんで。なんで、か……。まぁ、教師だから、っていうのはあるんだけど……ほら、覚えてる? 私に彼氏が居るって前に話したことあるの」
そういえば、先日保健室で目を覚まし、生徒指導室へ向かう道すがらにそんなことを言っていた気がする。その時分は独身の戯言と聞き流していたが。
「まぁ、なんていうの? 正確には居た、って過去形になるんだ」
「……」
「彼――岸田文博って言うんだけどね」
その名前に入鹿は聞き覚えがあった。しかし、思い出せない。頭を捻っていると後藤が答えを教えてくれた。
「連続殺人の三人目の被害者。それが岸田文博。私の彼氏……だった人よ」
儚げなその表情を見て居られず、入鹿は視線を逸らす。
「そう、だったんですか」
「ええ……。だからもう周りで誰かが死ぬのは嫌なの」
「……」
何と言葉を返していいのかわからず閉口していると、後藤は苦笑。
「もう危ないことはしないでね」
「……うす」
返事をすると珈琲の残りを飲み下す。沈殿した苦みが口に広がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます