榎本くんのありふれたい青春

21 —過去1—

『九月十六日』


 ――『あの子を、助けてあげてくれないかな?』

 その言葉を脳裏に浮かべながら、入鹿は教室から外を見ていた。


 九月も中頃だと言うのに、しぶとい蝉が窓の外で合唱している。

 地球温暖化は深刻化しているらしく、今日も今日とて真夏日だ。


 夏休みの期間をもう少し長くした方がいいのではないか? などと考えながら、汗を拭う。


 ペットポトルのキャップを開けて、スポーツ飲料水を喉に流し込むと、冷たい液体が身体中を駆け巡り、体が不足していた塩分を吸収した。


「うめぇ」

「いい飲みっぷりじゃん。CMに出れるんじゃないの?」

「あれは売れっ子の女優しか出れないんだよ」

「確かに。実際に飲んでるのは殆ど男子なのにね」

「男子だから、女優を使うんだろ」

「うわー、男ってバカ」

「少なくとも、むさ苦しい野郎が汗だくでスポーツ飲料飲んでるCMとか何処にも需要ないしな。むしろ不味く見えて仕方ないだろう」

「そう言われると、そうねぇ」


 顎に手を当てうんうん、と頷く結良。


 その様子はいつも通り。『あれ』からまだ半月ばかりが経過しただけだが、彼女はいつも通りの様相を見せていた。いつまでもくよくよしていられない、ということだろう。


 入鹿もその考えには全面同意なので、あえて触れるようなことはしない。


「ところで今日はどっか行く? 駅前にかき氷屋さんできたらしいけど」

「どっか行くかと尋ねておきながらもう行先は決まってるんですか、そうですか」

「なに? こんな暑いんだし食べたいかなーって思って親切心で教えてあげたんじゃん!」

「つってもなぁ……かき氷とか家で食えばよくね?」

「うわー、出ました。これだからインドア派は」

「何だよ。だってテレビとかで見たけどさ、ただの氷に千円近く出してんだぞ? それに対して家だったらタダだぞタダ」

「そ、そりゃあ、もうちょっと安ければいいかなーとは思うけどさ、でも宇治金時とか氷以上にいっぱい乗ってるじゃん? それの値段でしょ」

「そう、なのかぁ?」

「あとは友達との思い出料金」


 それも家ならタダなんだけどなぁ、とは思いつつも口には出さず、入鹿は「そっか」と返すだけに留まった。


「で、どうすんの? 行く? かき氷。それともタピオカってのに挑戦してみる?」


 スマホで店を検索しているのだろうか。こちらを見ずに話しかけて来る結良に、入鹿は待ったをかけた。


「あー、そのだな。誘いは嬉しいんだが、実は今日ちょっと用事があってだな」

「えー、まぁ、しゃーないか。観月ちゃん?」

「いや」


 否定すると、結良はスマホから視線を上げる。

 その目は入鹿を射殺さんばかりに鋭く、怖気が全身を駆け抜けた。


「……あれ、入鹿って他に友達とかいたっけ?」


 口元に笑みを湛え、明るい声音で告げられるが、そこには感情が乗っていない。

 否――感情を見せないようにしている。


「失礼な奴だな。友達くらい――って言いたいが、実際今はお前以外に居ないな」


 告げると、空気が弛緩する。

 結良はほぅとため息を吐いてから「そっか、やっぱりね」とカラカラ笑った。


「なにがやっぱりだ」

「だって結局事実なんでしょ? それで何の用事なわけ?」

「……言わなきゃダメか?」

「言えないようなことなのー? ……はっ! まさか悪事に手を染めたりしてないでしょうね! ひと夏の思い出、盗んだバイクで走りだしたりしてないでしょうね!」

「安心しろ、してないし、するつもりもないから。……ただ別に言えないことでもないんだけど、言い辛い事ではあるんだよ」

「ふーん、で?」

「で?」

「うん。で?」

「いや、いやいやそこは引き下がるところじゃないか?」

「言えないことじゃないんでしょ?」

「ぐっ、うぅ……はぁ。分かったよ、白状するよ」


 根負けした入鹿は両手を上げて降参体制。

 観念して、放課後に何をするのかを、結良に伝える。


「ちょっと、浜宮さんと仲良くなろうと思ってさ」


 刹那、結良から表情が消え、軽蔑の色だけがその瞳に揺らいでいた。

 その顔は、一生忘れないだろう。



  §



「あっつ」


 校門で彼女を待つ。飲み物片手に、あの夜の少女を――。


 太陽がじりじりと照り付ける。肌が焼け焦げている錯覚を覚える。

 夏は糞だ。特に昼は地獄だ。


 逆に冬の夜とか、最高に違いない。


 そんなことを思いながら、憂鬱な気分を飲み物と一緒に嚥下する。喉が渇いて仕方がない。


 結良以外の女子と話すのなんて殆どなかったので、単純に緊張しているのと、その相手が犬殺しであり、これから行うのは仲良くなるための軟派まがいの行為だからだ。


 先ほどトイレで制汗スプレーを振り、汗を拭って、髪をワックスで整えたが、その様はまごうことなく狩りに赴くチャラ男の如し。


 と言っても、すべて汗で流れてしまったのではないかと考える程度には、汗だくだ。


 そうこうして――少女は現れる。


 肩口まで伸びた栗色の髪、黒々とした右目、眼帯で覆われた左目、どこか不安定な足取りと、官能的な肉体に、整った容姿。地方都市にすら満たない田舎の高校で、頭一つ抜ける美少女にして、有名な変人。浜宮伽耶。


 彼女はこの暑苦しい日差しの下だと言うのに、長袖にベストを着ている。おかげで前髪が額にぺったり張り付いており、それが鬱陶しいのかかき分けてヘアピンで留めていた。


「こんにちは、浜宮さん」


 声を掛けると、彼女は入鹿と三メートルほど距離を開けて立ち止まる。

 前髪が無いことで鋭い目つきが露となり、警戒されていることがよく分かる。


「……誰ですか」


 距離を置いた口調。敬語。


 一歩二歩と彼女は後退る。もちろん入鹿は何もしていない。声を掛ける際ですら、一歩も動いていない。だと言うのに、時間が過ぎれば過ぎるほど、彼女は距離を開ける。


「僕は一年三組の榎本入鹿って言います」

「……」


 返事はない。しかしそれは想定内。


 いま彼女が自身に抱いているのは警戒心。このまま話したとしても、ただの軟派者として記憶には残らない。


 伽耶がその容姿ゆえに人気ということは、風の噂で耳にしたことがあった。ゆえに、このままでは引き下がれない。引き下がればその他大勢と同じになる。


 なので入鹿は、


「一目惚れです、僕と付き合ってください」


 とりあえず告白することにした。

 答えは当然の如く、右ストレート。これが入鹿と伽耶のファーストコンタクトであった。

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