20 明滅する街灯。

「よし、まぁ一応こんなものかな」


 微睡に揺蕩っていた意識を引き戻したのは結良の言葉だった。


「できたのか?」

「まあね。そっちは随分とリラックスしてたみたいだけど、何かわかりそう?」


 メモ用紙を切り取り差し出される。受け取って確認すると、二十項目ほど書き記されていた。


「何とも言えないな。――でも、相談する前よりはいくらかマシになったと思う」

「自信なさげ、頼りないなぁ」

「頼りあると思ってたのか?」


 挑発するように言い返すと、


「思ってた。嘘。思ってる。アンタは超絶頼りになるって、私思ってるから」


 まさかの絶賛の言葉に、むずがゆさを覚える。


「あっそ」

「うん、そう。だからさ、頑張ってね」


 結良からの激励を頂戴し、二人はカフェを出る。


 外は暗くなっていたので、家まで送ろうとしたが、結良は親の仕事場が近いらしく、一緒に帰ると言ってその場で別れることになった。


「それじゃあ入鹿、また今度」

「ああ、それまでには解決できるように努力するよ」

「あはは、期待してる。暴力振るわないなら、一度ぐらい遊んでみたいし、そん時は紹介してよ?」

「おう、楽しみに待っとけ」


 返事を聞くと結良は人好きのする笑みを浮かべて、身を翻し去っていく。

 背中が見えなくなるまで見届けると、入鹿も伽耶の家へと足を向けた。


 状況は何も好転していない。これと言って妙案を思いついたわけでもない。

 結良に書いてもらったストレスリストも、どれだけ役に立つか分からない。


 まだ先は見えない。


 暗い夜道だ。暗くて昏くて、犬殺しが歩く道。立ち並ぶ街灯は明滅すらしない。


 けれど、結良に会うまで道を覆っていた濃煙は晴れた。思考の渦は突破できた。

 入鹿は大きく深呼吸。冬の冷たい空気が肺を引き締める。


「よしっ」


 そこは未だ暗い道。犬殺しが通る、暗黒通り。


 けれど、ひとつの街灯が道を照らし始めていた。


  §


 凍えそうな気温の中、無事に伽耶の家のある団地に辿り着く。


 そこはとても静か。夜だからではない。人が居ないからだ。朽ち果てた石畳を歩き、街灯に照らされて一つの建物に近づく。


 ヒビが随所にうかがえる階段を上り、薄暗い廊下を進む。重い鉄扉の前に辿り着くと、右手を上げてインターホンをポチ。


 ピンポーンと小気味いい音が耳に届いてしばらく。扉の向こうからどたどたと音が近付いてきて、ガチャ。


「ただいま」


 現れたのは白いニットの服装に身を包んだ伽耶。

 白い眼帯が目立つその顔はほんのり朱に染まっていた。


「……おかえり」


 ぼそりと呟くと、彼女は半身を逸らして部屋に招き入れてくれる。


 当然のことだが部屋の中は、外とは違って暖かい。マフラーを取って手に担ぎ、靴を脱いで上がり框を跨ぐ。


 フローリングを踏みしめて奥へと進み、ソファーの隣に荷物を置いた。


 荷物と言ってもスマホと財布を入れていた肩掛けポーチだが、その中には今朝彼女から渡された『極薄0.01㎜ 十二個入り』が入っている。


「入鹿、ご飯は? 一応作っておいたけど……」


 伽耶の後ろ――ダイニングテーブルには彼女が作ったのだろう、オムライスが二つ準備されて置いてあった。その構図から、彼女はまだ夕餉を食べていないのだろう。


 入鹿もまた、カフェでパスタを口にしたとは言え、あれは軽食の部類に入るほどの量しかなかった。正直、現役男子高校生である入鹿にとって、それが晩御飯たりえたのかというと、首を横に振らざるを得ない。その為、伽耶に頼む。


「じゃあ、頂こうかな」

「分かった。あっためるからちょと待ってて」


 てててっ、と移動してレンジにオムライスを放り込む伽耶。その間に入鹿は飲み物の準備をする。湯を沸かし、急須でお茶を淹れる。


「もう、待っててって言ったのに」

「好きでやってることだからいいんだよ」

「……そっか」


 そう言うと、伽耶は身を寄せて来る。ピトッっと身体が触れ合う距離だ。しかし、それから何をするわけでもない。ただじっと横に立って、オムライスが温まるのを待っている。


 会話は無く、しかし、気まずさもまた存在しなかった。


 ちらりと、入鹿は伽耶の顔を垣間見る。

 その表情には照れもなく、恥ずかしさもなく、また喜びも確認できない。


 伽耶の表情は、ただただどこまでも――安心しているだけだった。

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