19 吐露する感情。
食事を終えて一息つく。当初は張りつめていた空気も幾分か落ち着いた。
「さっきは悪かった。すこし感情的になった」
「いや、こっちこそ。――それで? 相談内容は何?」
空気を換えるようにトーンを上げて尋ねて来る結良に心の中で感謝を述べつつ、説明を始める。
「伽耶ちゃんのことなんだけど……端的に言えば、暴力を止めさせたい」
「あれ? ドMなアンタは喜んでたんじゃないの? ほら、いつも言ってたじゃない『伽耶ちゃんに殴られて幸せだー』って」
「喜んでないし、ドMでもない。それに僕がいつも言っていたのは『伽耶ちゃんは悪くない』だ」
いつだって彼女は悪くない。彼女は被害者で、可哀想な存在なのだから。
「何が違うわけ?」
「言葉通りの意味だ。伽耶ちゃんは悪くない。だから僕は彼女の暴力を許す。そこに性癖云々は含まれない。おーけー?」
「ふーん。まぁ、おーけー。で、その悪くないだとか、許すだとかの理由っていうのを、今日は聞かせてもらえるのかな?」
「悪いが、それは出来ない」
即答する。相談しに来ておいてその態度はどうなのかと言われかねないが、こればかりは話すわけにはいかないのだ
悪くない理由、許す理由――すなわち、彼女が『頭のねじ』を落とした出来事。
これを第三者に語ることは憚られる。
結良はジトっとした目で入鹿を睥睨し、本日何度目かのため息を吐き出した。
「分かったわよ。とにかく、アンタは暴力を止めさせたい、でもどうすればいいか分からないから助けてください結良様ってことで合ってる?」
「いろいろ突っ込みたいけど、合ってるよ結良様」
「でも何で私に相談するの? ラブラブのアンタですらできないんだったら、赤の他人の私に何ができるとも思えないんだけど」
彼女の言葉に乗ってみるが無視された。普通に傷付く。
「それは結良が伽耶ちゃんと同じ女子だからだ。女子同士、何か分かるかもしれないと思ったのと――あとは単純に誰かに相談したかっただけだ。正直、一人で考えるには難しい案件でな」
行き詰った状況では一人で考えようと良案は浮かばない。浮かぶならそもそも行き詰らないからだ。
実際、入鹿は思考の渦に囚われていた。警察と接し、その後、伽耶と過ごすことで胸の内で急速に肥大化していった焦り。それが適切な判断を奪い、思考を終わりのない渦にいざなっている。
だからこそ、入鹿は結良に相談した。ある言葉を、思い出したから。
――入鹿さんはアレですね。すぐに考え込んで視野が狭まってしまう傾向があります。考えるのは悪い事ではありませんが、自分を俯瞰してみると、何か答えが得られるかもしれませんよ。
××の言葉を思い出す。
だから、俯瞰する。俯瞰して、相談することを決めたのだ。
「情けない話だがな」
自嘲。
「いいんじゃない、情けなくても。てか、別に入鹿を格好良いとか思ったことないし」
「そりゃ結良の前では格好つけてないからな」
「おっ、今の言い方は格好良かったよ」
「そりゃ格好つけたからな」
告げると同時、どちらともなく噴き出し、二人して静かに笑った。
そこに先ほどまでの険悪な空気もぎこちなさも存在しない。
「もう……馬鹿じゃないの?」
「今更気付いたのか? 高一の冬だぞ?」
「開き直んな、この馬鹿」
「へいへい」
ひとしきり笑い終えると、彼女は厭らしい笑みを浮かべながら話題の軌道修正を行った。
「とにかく、相談の理由は分かった。それで参考までにアンタは今までどんなことをしてたの?」
「今まで……か。伽耶ちゃんを最優先にして、機嫌を損ねないように注意した」
「それってどっちも同じじゃない? 結局はその場しのぎの行動をとってるだけ」
「まぁ、そうだな……」
それは入鹿も分かっていた。
これまで行ってきたのは事件を回避する行動。
例えるのなら、泥棒の前から宝石を隠すようなものだ。これによって窃盗という事件は回避することが出来るが、泥棒の何故盗むのかという根源的な問題は解決しない。
今回の場合は、泥棒が伽耶で、宝石を隠すのが入鹿、窃盗が暴力ないしは犬殺しというわけだ。
「根本の解決の方はどうなのよ」
それをしないことにはどうにもならない。そんなことは入鹿にも分かっている。
しかしながら、それが出来ないからこそ、こうして手をこまねく羽目になっている。
「根本の解決は難しい。正直僕にはどうしようもない」
彼女の言う根本の解決とは、すなわち『伽耶が十年前に落としたねじを探すこと』。そんなもの、もう風化して錆びついて、海の底に沈んでいる。
専門家――つまりは精神科医に見せればどうにかなるのかもしれないが、それは同時に伽耶の罪を、過去を他者に露呈してしまうことになる。それは駄目だ。
「……てことは、相談したい部分は根本の解決ではない、と」
「あぁ、今回知恵を貸してもらいたい部分は、ストレスの原因が何なのか、という所だ」
「ストレスの原因?」
小首を傾げる結良に首肯。
「僕は伽耶ちゃんが暴力を振るうのは何かしらのストレスが原因だと考えてきた。だからこそ、今まで伽耶ちゃんのストレスを溜めないように従事してきたんだけど……でも、それはあくまでも僕目線のことだ。僕からすればストレスにならなくても、伽耶ちゃんにとってはストレスになっていたかもしれない出来事。それがあるかもしれない」
「て言われても、そんなの私にも……あぁ、なるほど。だから同じ女子ってことね」
「そう言うことだ」
何をストレスと感じるか。それは人によって変わる。男女となれば尚更だ。
「でも浜宮と話したことなんて昔一度あるくらいで、本当にわかんないよ?」
「へぇ、意外だ。話したことすらないと思ってた」
「う、うん。まぁ、何というかその……」
彼女は気まずそうに視線を逸らすと、僅かに照れた様子で言葉を放った。
「入鹿が殴られてるって知って、ちょーっとね」
理由が自身であったことに驚く。
「それは心配かけたな。大丈夫だったのか?」
「大丈夫じゃなかったら今頃土の下だよ。五月蠅いって殴られそうになったから逃げた」
「そうか。ならよかった」
何もよくないが、怪我がなかったことは安堵すべきことだ。
「まぁ、とにかくそんな感じで、力になるのは難しい気がするんだよねぇ。一応私的にストレスが溜まると思うことを教えとこうか?」
「そうだな、お願いできるか?」
言うと彼女は持ってきていた鞄からペンとメモ帳を取り出して、書き込んでいく。
早くも十個を超えるあたり、女子の繊細さが窺えた。
視線を逸らして書き終わるのを待っていると、静寂を埋めるように結良が口を開く。
「ちなみに、本人に聞いたりはしてないの?」
「いや、それはしてないな」
「何で?」
結良は書く手を止めて顔を上げる。
「何でって、分かるだろ?」
「まぁ、そりゃあ分かるけどさ。つまり聞いた結果どうなるか分からないってことなんでしょ? ちょっとぐらい我慢しなさいよ」
結良は伽耶の危うさを、犬殺しのことを知らない。話していないから当然のことだ。
つまり彼女は、どうせ数発殴られるだけでしょ、とそう言いたいのだ。
「そう、なんだがなぁ」
返す言葉が見つからず、あやふやな相槌を打つにとどまった入鹿を見て、結良は何でもないように言った。
「まぁ、入鹿がダメだって思うならそうなんだろうね」
「え?」
結良を見ると、彼女は器用にペンをくるくるさせながら続けた。
「だって入鹿はさ、ちゃんと考える人だから。ちゃんと考えて、そのうえでダメだって結論に達してる。もちろんその考えが間違っていることもあるかもしれないけど、今の状況でそれが本当に間違っているのか、なんてことは私には分からないし、きっと誰にも分からない。――だから、私は一つの結論を出した入鹿を信じる」
一瞬――結良が××に見えた。
けれど、瞬きすればその影は消えてしまう。
「入鹿?」
気が付くと、入鹿は立ち上がり結良に向かって手を伸ばしていた。
「わ、悪い」
慌ててひっこめると、着席。
「いや、別に嫌だったわけじゃないからいいけど……女の子にいきなりそんなことしちゃダメだよ?」
「わ、分かってるって」
「ほんとかなぁ?」
ニヤニヤ笑う結良から顔を逸らして、何とはなしに店内に目を向け、考えを一度完全に停止させる。常に何かを思考し続けてきた脳を、幾ばく振りにか休息させる。
頭の中が真っ白、とはこのことを言うのだろう。
耳触りの良いジャズが眠気を誘う。体がリラックスしているのが分かる。
同時に――『渦』を抜けたことを、理解した。だが、まだ足りない。いま考えることを再開すれば、また渦に溺れる。
俯瞰には至らない、思考の放棄。焦燥と不安が腹底から這い上がって来るのを必死に気付かないふりをして、いまはこの停止を両手で迎え入れた。
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