『夜間非行』

 残酷描写注意

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 ――じくじくじくじく


 心を黒いヘドロが飲み込んでいく。


 ――じゅくじゅくじゅくじゅく


 大丈夫、大丈夫のはずだ。こんなものは異常ではない。人間誰しもが抱く感情で、制御できない何てことはあるはずないのだ。


 ――ぐずぐずぐずぐず


 誰かの泣き声。キャンキャン泣いて、びゃーびゃー泣いて、えんえん泣いて。

 子供の泣き声。聞いているだけで心の臓を茨で雁字搦めにされたように痛く、苦しい。


 そして何より、五月蠅い。今すぐその口に熱した鉄棒を押し込み、鼻に鉛を流し込んで、プレス機で摺り潰してしまいたい。五月蠅い。破裂して漏れ出た腹綿はどれほど美しいだろう。全身に塗りたくり快楽の海に溺れたい。五月蠅い。ナイフで喉を掻っ捌きたい、腕を肩ごと切り離したい、腹を開き、臓物をすべて掻き出したい。五月蠅い。わんわん泣いている。五月蠅い五月蠅い五月蠅い五月蠅い。


 兎にも角にも五月蠅くって仕方がない。

 泣くな、啼くな、哭くな、鳴くな。黙れ黙れ黙れ黙れ。

 金属バットで頭蓋を砕くと脳漿が飛び散り、首を殴るとあらぬ方向を向いて滑稽だ。


 それでも何度も何度も何度も何度も――何度も何度も何度も何度も何度も何度も殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打――――ッッ!!


 すると頭がすっぽ抜けて脊椎がぴろぴろしている。真っ赤な血肉がびくびくしてる。


 今度は腹を殴る。すっぽ抜けた首からべちょっと何かが出てきた。何だろう。胃? 肺? それとも夜に口にしたものだろうか。兎に角汚い。汚い汚い汚い。


 ムカつく。ムカつくから殴る。五月蠅い、五月蠅いのは嫌い。嫌い嫌い嫌い。


 もう一度、何度も何度も殴ってみる。するとそれはあっという間に肉塊になった。紅色の絨毯に骨肉をぶちまけ、糞尿と血の混じり合った悪臭が鼻に着く。


 飛んで行った頭をバットで転がす。気持ち悪い顔。大嫌いな生き物。

 五月蠅くて五月蠅くて仕方なかったけれど、気付けば世界は静かになっていた。


 閑散としていた、静寂に愛されていた。愛愛愛。愛は良い。愛。うん、自分も最近愛を知った。愛することは素晴らしき事。だからこの静寂を自分も愛する。


 頭が冷えてくる。十二月の冷気が高揚した気分を鎮めてくれる。生暖かくて気持ちよかった返り血が、今度は体温を奪っていく。腹が立ったので頭を殴った。こいつの原型を、もう誰も目に映すことは無いだろう。


「はぁっ、はぁっ――!」


 気持ちいい。気持ちがいい。先ほどまでの言いようのない感情がすべて清算されているのを感じる。自分が正常で、真っ当で、普通の人間だという実感が湧いてくる。


「……っはぁ、はぁ」


 べっとりと喉に絡みつく様な悪臭が、冬の寒風と共に肺を汚す。しかし同時に、全身くまなく熱が抜けていくのを感じた。怒りは霧散し、気付けば嫌悪感だけでバットを握りしめている。返り血塗れの金属棒。飛散した骨肉でグリップがじゃりじゃりする。


 気色の悪さに思わず取り落とした。

 カランカランと空虚な音が静寂に水を差す。


「はぁっ、はぁっ……は、はははっ!」


 次第に肉塊へ向けていた嫌悪感は自身に向けられ、今更ながらの罪悪感が、仕方がないなと顔を出す。ごめんなさい、ごめんなさい。本当はこんなことをするつもりじゃなかったのです。嘘です。五月蠅かったから、気持ち悪かったから、殺しました。こんなことするつもりでした。もっとその骸を摺り潰したく思っています。死ね死ね死ね。ごめんなさい。


 罪悪感が涙を流し、晴れやかな気持ちが口角を上げさせる。楽しかった、気持ちがよかった、清々しい思いだった。もう一度、もう一度、もう一度だけ。


 自分の悩みを聞いてください。この雁字搦めを解いてください。言いようのない感情を晴らしてください。嘘です。嘘嘘嘘なんです。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。悪いのは自分です。許してください許してください。


「……許して」


 ポツリと漏れた言葉は白い息となって闇夜に溶ける――その前に、誰かによって回収される。


「大丈夫、伽耶ちゃんは悪くない」


 背中越しに返り血に濡れるのも気にせず抱きしめられる。

 心が安心する、罪悪感が増加する。自己嫌悪が加速する。


 愛、愛だ。愛する、愛して、愛は。違う。違う。えーっと、えーっと。

 あっ、そうそう。愛してる。愛してる人が、抱きしめてくれている。

 ――え? 愛している? 自分が? そうなのだろうか? 分からない。愛、愛愛?


 愛とは何だ。彼氏、彼女、恋人、セフレ、友達、妹、弟、姉、兄、母、父、子供、叔父、叔母、近親、他人。どれが愛だ? 何が愛だ? 分からない。分からない分からない分からない。分からない


 考えれば考えるほど分からない。言いようのない感情がまた再起する。でも抱きしめられていると分かると、自然と自然と、とても自然に消えていく。自然。


「大丈夫。大丈夫だからね。――伽耶ちゃん」

「…………ありがとう、入鹿」


 彼の名前を呼んで、私は酷く死にたくなった。

 自己嫌悪は加速する――。

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