4 叶瀬結良との平和的討論。下

 どう言うつもりだ、と視線を向けると自分でやったにも関わらず存外に恥ずかしかったのか、彼女はほんのり頬を朱に染めながら、いたずら好きの子供のような笑みを浮かべた。


「アンタが話題を逸らさないようによ。どうせ今日も浜宮が来るんでしょ?」


 ここ一ヶ月、入鹿と伽耶は二人で帰っている。

 教室と昇降口の位置関係上、伽耶が迎えに来る事が殆どで、必然的に結良もその事を知っていた。


「つまり、早くしないと見られちゃうよー、と?」

「そゆこと」

「おいおい、命を粗末にするんじゃねぇやい」

「ふっ、覚悟の上よ」


 軽く言い合ってはいるが、互いに内心は冷や冷やであった。

 見つかれば文字通り命は無いと考えて間違いないだろう。


 伽耶は入鹿に対してつっけんどんな態度をとっているが、しかし、傍から見ていれば前者が後者に対して好意を抱いているのは明白だ。


 何せ、伽耶は入鹿以外の人とは徹底的に言葉を交わそうとすらしないのだから。


 それを入鹿はもちろん、結良も気付いている。

 だからこそ、そんな拗れに拗れた恋心を持つ伽耶が、今教室に入ってきたら……。


 それ即ち二つの死体の完成を意味する。

 必然、二人の間には緊張が走り、繋がれた手が汗で濡れた。


「私はアンタの……し、親友だからね。ぼこぼこにされているのは見てらんないの」

「なんだよ、いきなりそんなこと言われたら照れるだろ」


 棒読みで返すと、握る手に力が込められた。


「悪い悪い、冗談だ。もう、涙がちょちょぎれるかと思うくらい感動した」

「ならもうちょっと感情込めるのが普通だと思うんですけど?」

「すまんな」


 素直に謝ると彼女はまた、ため息。


「はぁ……もう、いいわよ」


 仕方ないなぁ、という表情から一変。結良は真剣な表情を見せる。


「それでどうしてアンタは浜宮といっしょにいるわけ? 本当に好きなの?」

「好きだよ」


 即答。その答えしかないと言わんばかりの返答と、躊躇のなさに結良の方が赤面する。

 と、同時にどこか複雑な表情を見せた。


「あれだけ暴力振るわれてるのに?」

「あれだけ暴力振るわれてるのに」


 思考するまでもない、初めから決まりきっている。


「これで、分かってくれたか?」


 しかし結良の表情は晴れないまま。

 訪れるのは入鹿と対称的な長い沈黙と思考。


「…………ん、いや。無理かな」

「なんで?」

「だって、入鹿に暴力を振るうから。何度も言ってるけど、私は入鹿に浜宮を諦めて欲しいって、ずっと思ってるよ」


 どこか切実さすら感じる言葉を受けて、入鹿はそっと手を離す。

 結良との恋人繋ぎは呆気ないほどに簡単に解けた。


「……っ!」

「悪い。時間だ」


 諦念の表情を浮かべる結良から目を逸らし――彼女のすぐ後ろまで近付いてきていた一人の男性に向ける。


「話は終わったかぁ?」

「うぇっ!? えぇ!?」


 低くどすの利いた声に結良はびっくり仰天とばかりに身を震わせた。

 彼はこのクラスの担任である三井。HRの時間になった為、教室にやって来たのだろう。

 三井は額に青筋を浮かべて吠えた。


「そろそろHR始めたいんだがなぁ……って言うかさぁ、教室でイチャつくな! ラブコメるな! 現役独身男性教師への当て付けかぁ!? なぁ、そうなんだろ!? 陰で俺を嗤ってんだろぉ!? くそっ……くそっ! 俺だってな、後藤先生とあんなことやこんなこと……ぐぅぅッ! リア充爆発しろォ!!」


 凡そ教師らしからぬ三井の台詞に、一瞬教室は静寂に包まれる。

 クラス中の視線を一身に集めた彼は、


「うし、それじゃあホームルーム始めんぞー」


 何事もなかったように教卓へ戻っていった。

 その背を目で追った結良は今日一番のため息を吐く。


「はぁ……そういう事ね」


 チラリと視線を寄越してから、彼女は頬を不満げに膨らませ身体を前へ向けた。


 そうして始まったHRにて、三井の口から語られるのは三日後に迫った冬休みに関する注意事項など。宿題はちゃんとやれよ云々の常套句である。


「最後に、分かってると思うが寄り道なんかせずに帰れよー。最近物騒なんだから。この間も七人目が出た。間違っても夜は外に出るなよー」


 間延びした声は、注意喚起を促すものとは思えない。


 しかしそれも仕方がない事。わざわざ言わなくても、外に出る人はいないのだから。


 「うぃーっす」と適当な返事が教室中から聞こえて、場は解散の運びとなった。


 伽耶が一年三組の教室に姿を見せたのは、それからすぐのこと。

 周囲の目を一切気にせず教室に足を踏み入れると、彼女は一直線に入鹿の方へ。


「入鹿、帰るわよ」

「そうだね。……それじゃあ結良。また明日な」


 先ほどの話を掘り返されるのも面倒だ。

 結良に挨拶を済ませると、鞄を手にして早々に立ち去る。


「あ、あぁ……うん」


 彼女の声は、入鹿には届かなかった。

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