3 叶瀬結良との平和的討論。上

 六限目の途中で教室に戻った入鹿は、教師に一言告げてから窓際中列の自席に着く。


 話が通っていたのか、何かを言われることはなかった。

 因みに先に教室へ向かった伽耶の姿はここ、一年三組にはない。


 それは単純に彼女のクラスが一年二組、つまりはお隣さんだからである。


 流暢な日本語英語を耳にしながら教科書を取り出していると、前の席に座る金髪の少女が身体を横に向け、半身だけで入鹿に振り返った。


「遅れたのって、浜宮関連?」


 こそこそと耳打ちする少女の容姿は非常に整っている。


 短めの金髪に、釣り目がちの眼。口元に浮かべる笑みは、いたずら好きの子供のような印象を彼女に抱かせる。


 しかし、セットされた髪や、薄く施された化粧。耳に空いたピアスや、首から下がるネックレスなどから、彼女がれっきとしたお洒落人な大人であることが窺えた。


 叶瀬かなせ結良ゆら。入鹿の数少ない友人である。


「まーな」

「今度は何されたわけ? 顔面をグーパン? それとも前みたいに鳩尾に膝蹴り?」

「残念、階段からドン、ゴロゴロドッカーンよ。打ち身一つない最強の身体は両親に感謝しかないな」


 事が事だけに、茶化す。


「…………へぇ」


 意図的な間を感じたが、入鹿はスルー。


「でも入鹿もよくやるよねぇ」

「何がだ?」

「いやいや、この流れでそのすっとぼけは無いでしょ」


 彼女は浮かべていた笑みを一瞬消し去り「浜宮のことだよ」とトーンを一つ落とした。


「どういうことだか、さっぱり分からないな」

「だってあの子、どう考えても異常だよね?」


 遠慮のない結良の言葉を否定はしない。


「何か気に入らないことがあったらすぐ暴力振るうし、情緒不安定だし」

「そこも魅力なんだよ」


 あっけからんと言って述べると、結良は「変態」と罵倒した。


「まぁ、そう言うアンタも十分おかしいからね? この前さ、偶然アンタが殴られてるのを見たのよ。何か馬鹿やらかしたのかなーって思って。それで次の日聞いたらアンタなんて言った?」

「何だっけ、そろそろ英語の授業に集中しない? だっけ」


 流暢な日本語英語で説明を続けるお爺ちゃん先生に視線をやる。関係代名詞が云々。


 結良は、先生を見ることも無くため息を吐く。


「あの人耳遠いから大丈夫だよ。ってそうじゃなくて、アンタはこう言ったの。伽耶ちゃんは悪くない、ってさ」


 そんなこともあったのだろうか。

 伽耶による暴力は日常茶飯事である為、どれか分からない。

 そもそも、暴力の原因を一々覚えていてはきりがない。


「あれ滅茶苦茶キモかった」


 遠慮のない言葉が突き刺さる。


「何か言い方に棘があるんじゃない? もっとこう、好きな人の為に全力で尽くす入鹿格好良い! 好き! みたいなのはないのかよ」

「ないしキモい。てか話を逸らそうとするな。とにかくアンタはそんな意味わかんない理由で殴られてたくせにずっと謝って、『キミは悪くない』の繰り返し。本当に、あれは気持ち悪かった」


 心底しみじみと頷きながら彼女は語る。涙が零れ落ちそうだ。


「だから言い方に棘が――」

「茶化さないで」


 真面目なトーンに、それまで入鹿が浮かべていた笑みが消える。


「入鹿さ、何でそこまでして浜宮と――」


 今度は言葉を選ぶようにして話し始めた結良だったが――おほんっ、と咳払いが一つ。声の方を向くと、そこには日本語英語のお爺ちゃん先生。


「ヘイ、ミスカナセ、アンド、ミスターエノモト。アーユーオーケー?」


 それはとてもではないが外国では通じなさそうな英語。


 普段の授業もそうだが、無理に英語でしゃべる必要性を感じない辺り、日本の英語教育は末期であることを静かに悟る。


 二人は、一度互いに顔を見合わせてから声を揃えて答えた。


「「ソ、ソーリー」」


 勿論、日本語英語だった。


 以降は特に問題もなく、六限は恙なく終了。

 お爺ちゃん先生は教室を出て行き、後は帰りのHRを終えるのみだ。


 置き勉主義を掲げる入鹿は宿題の出ている教科の本だけ鞄に突っ込み、担任が来るのを待つ。


「で」

「で?」


 結良が全身を後ろに向けて尋ねてくるが、先程の話題を再開するつもりは無い。

 すっとぼけた表情を作ると、彼女は拳を握った。


「殴れば思い出すかな?」

「暴力反対だ」

「はぁ? アンタ殴られるのが好きじゃないの?」

「そんなわけない。暴力、駄目、絶対」

「浜宮に殴られるんだったら?」

「それは仕方ない。伽耶ちゃんは悪くない」

「キモいッ!」

「うおっ、あぶね」


 力などほとんど込められていないハリボテパンチを右手でキャッチ。


「平和的に話し合おう」


 捕まえた拳を机に下ろしてから離そうとして、逆に腕を掴まれる。


 柔らかくふにふにとした女の子らしい手。太っている訳では無いのに女子の身体が柔らかく感じるのは永遠の謎だ。


「……これは?」


 がっしりホールドされた右手に視線をやる。


「話し合おうって言ったのそっちでしょ?」

「微妙に質問の答えになっていない気がするんだが」


 すると結良は深くため息を吐き、掴んでいた手をモゾモゾと動かして――気付くと入鹿の右手と彼女の右手は恋人繋ぎで絡まり合っていた。

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