25 哀するキミへの鎮魂歌。—覚醒—
「うー、恥ずかしいぃ」
時刻が十二時前を指し示す頃、二人はベッドの中で横になる。
「どうしたの?」
「どうしたの? じゃないよ。あんな顔見られて……恥ずかしいの」
顔を真っ赤に染めて愚痴る伽耶。
あんな顔、というのは涙と鼻水塗れの顔のことだろう。
あの後すぐに洗面所に行き、顔を洗ってきた伽耶は、その時自身の状態に気が付いたのだろう。真っ赤な顔で戻ってきた。
因みにセックスをする流れでもなくなったので、それはまた今度ということで今日はもう寝るだけである。
「どんな状態でも伽耶ちゃんは可愛いよ」
「調子のいい事言って」
「本心だから仕方ない」
「……っ! ば、馬鹿!」
プイッとそっぽを向いてしまう。
そのまま背を向けて眠ろうとしていたので、後ろから抱きしめてみた。
「あっ、あぅ」
「嫌だった?」
「い、嫌じゃ、ない……」
「じゃあこっち向いてほしいな」
言うと、彼女はコクリと頷き身体をもぞもぞ回転させる。
視線が合う。気恥ずかしくなって、同時に逸らした。
でも布団の中では身体が密着しており、手は握り合い、足も絡め合う。
「私たち、その……付き合ってるんだよね?」
「うん」
「ほんとのほんと?」
「ほんとのほんと。僕は伽耶ちゃんの彼氏で、伽耶ちゃんは僕の彼女」
再三に渡り言葉にすると、伽耶の表情が明るくなる。
口元をニマニマさせて、密着度を上げようと身体を摺り寄せて来る。
もちろん、これ以上密着のしようがない為、ぎぅぎぅと身体を押し付けて来るだけなのだが。
「好きって言って」
面倒くさい彼女の様な行動に、内心で苦笑を浮かべる。
「好きだよ、伽耶ちゃん」
「わ、私も……すき」
そう言うと、彼女は入鹿の唇に自分のものを重ねる。ただ、それだけ。
舌を入れたりしない、軽いもの。
けれど伽耶は満足そうにくすくす笑う。
「入鹿、クリスマスの日って空いてる?」
「クリスマス――明後日か。うん、大丈夫だと思うよ」
嘘。大丈夫ではない。入鹿の予想では、それどころではなくなるはずだ。
けれど入鹿は、頷く。
「じゃあさ、デートしよ?」
「いいよ、今から楽しみだ」
ぽつりぽつりと他愛ない事を話し合い、しかし数分としないうちに伽耶はその瞼をゆっくり下ろし、直ぐに寝息を立て始める。
「おやすみ、伽耶ちゃん」
§
時計が指し示す時刻は深夜一時三分。
入鹿は伽耶の家のキッチンで、珈琲を淹れて一息ついていた。
「何とか、丸く収まった……か」
一口飲んでから、入鹿は移動する。
リビングにあるテレビ台。その右側下列の引き出しを開ける。
中に入っていた何かの資料を取り出し、底板の右奥に開いてる穴に指を突っ込み、持ち上げる。すると底板はカポッと外れて、その下には金庫が入っていた。
ダイアル式のそれを慣れた手つきで開錠すると、中からは透明なビンのような物が出てきた。
その中身は――ホルマリン漬けにされた人間の左目。
より正確に言うのなら、十年前に抉り取られた、伽耶の左目であった。
入鹿は記憶の海に、身を浸ける。
§
――十年前、ある家に、二人組の強盗が侵入した。
その家は、地元では有名な地主の家だった。
強盗は物を盗んだ。
しかし、現金がそのまま置いてあるようなことは、無かった。
高価そうな宝石類を鞄に詰め込むが、強盗は足りないと思った。
もっと金が必要だったからだ。
どうする、と仲間に尋ねた時だった。
玄関の戸が開いて、一人の少女が現れた。
少女は、その家の長女だった。
強盗は決めた。
誘拐しよう。
だが、警察に知らせられては面倒だ。
強盗は、少女をレイプした。
レイプして、写真を撮り、それを置いて家を後にした。
家主は家に帰ってきて驚愕した。
娘が居らず、そんな彼女のあられもない姿が納められた写真が机の上にある。
その横には『誘拐した、警察に知らせれば娘を殺し写真もばらまく』との手紙。
家主は警察に通報しなかった。
有名な地主だったからだ。
つまりその娘である長女もまた、品行方正で愛らしく、優しいと、地元では有名だったのだ。
写真が出回れば、娘の人生が終わる。
そう思った家主は、身代金の要求に応じた。
その金額五千万。
土地を担保に銀行から借りる。
不審がられたが、家主には銀行にコネクションがあった。
無理を通して借り受けた。
誘拐されて三日目の出来事だ。
指定した場所に赴き、金の入ったカバンを置いてきた。
しかし、娘は帰ってこなかった。
金を受け渡した次の日。追加で払えと連絡がきた。
金額は先と同様五千万。
多少苦労しつつも、準備し、受け渡す。
そして七日後。少女は解放された。
全身青あざと何かの噛み傷で痛めつけられ、左目をくりぬかれた状態で、裸のまま公園に放置されているのをパトロール中だった新人の男性警官が発見したのだ。
ことはすべて、警察の一部と家主の間でのみ内々で処理され、写真も何も、外に出回ることは無かった。
だが、当然障害は発生した。
帰ってきた少女は、頭のねじをぽろりとどこかに落としてきてしまったのだ。
少女は日常的に発狂するようになった。
頭を押さえ、震え、奇声を上げて暴れまわる。
そして、犬を殺す。
何故なのかは分からない。
ただ、犬を殺すと、少女は安心したように笑った。
家主は少女を精神科へ連れて行けなかった。
彼らを信じることが出来ない、理由があったからだ。
精神科があったのは当時開発途中の北区。
家主は、北区に多く土地を持っていた自身から違法に資産を奪おうとした人間の犯行だと、考えていたのだ。
だから、誰にも相談しなかった。相談できなかった。
安易な相談は、情報の漏洩を招く。
娘のレイプ写真が出回る様など、死んでも見たくはなかった。
だから家主は娘の世話をし続けた。
犬を与え、殺させ、他所の犬を殺した時は、事件が明るみに出ないよう事情を知る一部の警察に隠蔽を依頼した。
そうしている間に、家主の妻が狂った。
娘の奇行に当てられたのだ。
あっけない。飛び降り自殺だった。
そうして、その家族は壊れた。
跡形もなく砕け散り、破片を取りこぼしながら今尚、崩壊を続けているのである。
§
――意識が現実に戻る。
胸糞悪い話だと、内心で毒づく。
なぜこうもクズのような人間が生まれるのか。死ねばいいのに。
他人に害をなす人間は総じて必要のない存在。
十年前の事件に限らず、人を殺すような者はその典型と言えよう。
クズ人間が生きているせいで、不幸になる人が生まれる。
それはあまりにも不条理で、不合理で、だからこそ、入鹿はもうひとつの一件も決着をつけるべきだと思った。
伽耶の左目を金庫に戻すと、スマホを手にしてとある番号を打ち込み、電話を掛ける。
一分と経たずに要件を告げて電話を切ると、残りの珈琲をすべて飲み干した。
苦味が口内に広がって――キィ――と、寝室のドアが開く音を耳にする。
一瞬驚いて視線を向けると、寝間着に身を包んだ伽耶の姿。
「あれ、伽耶ちゃん。トイ……レ?」
「……」
様子がおかしい。
「伽耶ちゃん?」
「……」
反応がない。
途端に、否応なしに入鹿の背筋を冷や汗が流れる。
「伽耶ちゃん?」
やめてくれ。そう叫びたい気分だった。
「伽耶ちゃんってば」
呼びかけるも、伽耶は無言。そろそろと玄関に向かって歩を進めていく。
何故だ。どうしてなんだ。
入鹿は目をそむけたくなる現実に、胸中で愚痴る。
「伽耶ちゃん……何が、何が嫌なんだ? 何がダメだった?」
「……」
「ねぇ……」
呼びかけるも、答えてくれない。
先ほど愛を囁いた声は、彼女に届かない。
「……ほんと、クズは全員死ねばいいのに」
伽耶をこうした原因に苛立ちを隠しきれない。
伽耶ちゃん、伽耶ちゃん、伽耶ちゃん。
入鹿は息を吸い込み天井を仰ぐ。
目を閉じると、先ほどの笑顔が――、
くすぐったそうに照れる表情が――、
ベッドの中で楽しそうに言葉を交わした伽耶の姿が――、
——鮮明に思い浮かぶ。
甘い記憶から出るように目を開くと、そこに居るのは能面のような表情の浜宮伽耶。
その瞳は暗く、失意の中、道しるべもなく夜道を歩く迷子のよう。
嗚呼、世界は何処まで彼女に残酷なんだ。
――犬殺しが、目を覚ました。
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