14 懐疑する正午。

 次に入鹿がシャバの空気を吸うことができたのは、同日の昼過ぎのことであった。


 まさかの二学期最終日に欠席。校長先生のありがた迷惑なお言葉を頂戴しないで済んだことは非常に喜ばしい事ではあるが、これから二週間以上学校の彼や彼女らと顔を合わせないと考えると、些か物悲しい思いが先行する。


 友人と呼べる人間など、伽耶と結良ぐらいなものであるのだが。


「はい、それじゃあお疲れ様」


 入口まで見送りに来てくれた薊に、入鹿は非難の視線を向けた。


「何か、言うことがあるんじゃないですか?」

「んん~? あったかなぁ?」


 すっとぼけたように顎に手を当て首をひねる。


 その芝居がかった所作は、しかしながら容姿の整った彼女がやると様になっているので腹が立つ。


「ありましたよ。ほら、思い出してください」

「うーん」


 言うつもりがそもそもないのだろう。


 いつまでも寒空の下、とぼけたふりを続ける薊に付き合っているのも億劫であるため、入鹿は単刀直入に告げた。


「僕、容疑者じゃありませんでしたよね?」


 容疑者――現在この町で発生している連続殺人事件の犯人候補。入鹿は朝早くに訪ねてきた薊からそう聞かされたから学校も休んで任意の事情聴取に応じたのだ。


 だと言うのに、いざ来て話を詳しく聞いてみれば、事情聴取は事情聴取でも、昨晩と同じくどうしてあの場に居たのか、どうしてあの時間に外に出ていたのか、と尋ねられたぐらいで、残りは誰かあの場で見ていないか、怪しい人物や、怪しい物音は聞かなかったか等。


 目撃情報を収集するために、名目上容疑者として事情聴取されたようなものだった。


「えー、容疑者じゃーん」


 間延びした声。これ以上彼女に何を言っても意味がないだろうことは容易に想像が出来た。


「はぁ……。はいはい、わかりましたよ」


 面倒くささと寒さからこれ以上相手にするのも不毛だと判断。


 お気に入りのコートは昨日伽耶の家でポイしてきたため、現在纏っているのは制服だけである。ゆえに早く帰りたい欲は必至。


 入鹿は手に息を吐きかけながら、別れの挨拶を口にしようとして、


「みんなは違うって思ってるだろうけど、私は結構怪しいと思ってるからね」


 それより早く薊が言葉を発した。


 聞き捨てならない内容なだけに、入鹿は準備していたセリフを取り下げ、脳内で新しいセリフを用意。推敲するとEnterを押す。


「どういうことですか?」


 背中越しに振り返ると、平時と変わらない笑みを湛えた薊がじっと入鹿を見ていた。


「どういうことも何も、そのままの意味だよ」

「それは……何か証拠というか、そう言うのがあると?」


 警察自体は疑っていないと彼女自身が言っているため、出まかせである可能性が非常に高い。しかしながら、彼我の関係はそんな高度なジョークを言い合える程、深い物ではないはずだ。


 出会ったのだって昨晩の八時。過ごした時間は事情聴取を含めても、数時間もない。コミュニケーション能力が高かったり、空気を読む能力に長けていたりする人間ならばそれも可能かもしれないが、少なくとも入鹿は違う。俗に言われる非リアであったり、陰キャであった。


 だからこそ、少しばかり気になる。


「物的証拠は何もないよ、犯行時刻だって平日の昼間に事件が起こったこともあるんだから。そういう意味で犯人像は腐れニート。学生のキミでは絶対にありえない」


 薊の言葉は敵地に足を踏み入れるかのように、一つ一つ選び取られているように感じた。


「それじゃあ、どうして僕を怪しいって思うんですか?」

「それだよそれ」


 入鹿を指さし淡々と告げる。


 警察官が市民に対して指をさすのはいかがなものかと思ったが、それ以上に彼女の言葉の意味が理解できず、首をかしげた。


「それ、とは?」

「何ていうか――キミって焦らないよね」

「……はぁ、そうですかね?」

「うん、そう。今もだけど、昨日だって焦ってなかったよね。普通、いきなり警察に話しかけられたら焦るはず。やましいことを何もしていないっていうならあれだけど、キミは外出を制限されている夜に外に居た。いくら散歩だからって、少しは焦るんじゃないかな?」

「まぁ、焦らない人だっていますよ」


 即答するが、薊は止まらない。


「それでもって朝。いきなり警察が来て、キミの妹さんはとっても驚いてたし焦ってた。それが普通の反応。でも、キミは違った」

「妹が――観月が慌ててくれたおかげで、逆にこっちが落ち着けたんですよ」


 知り合いが慌てれば慌てるほど、冷静になり、状況を俯瞰できるようになるなんてことはよくあること。


 だから特におかしなところはない。そう語るも、薊は無視。


「で、極めつけは私が『容疑者だ』と言った時。キミ、驚いてはいたけど焦っては無かったよね? 緊張も不安も何もなかったように思うんだけど?」

「そんなことないですよ、勘違いじゃないですか? 人の感情なんて測りようがないんですから。それに僕は元々感情が顔に出るタイプではありませんからね」


 適当を言って述べる入鹿をやはり怪しげな目で見つめる薊。だが、証拠がないのは事実であり、どうしようもないことだ。


「……」

「終わりですか? というか、どうして焦ってない人が犯人何ですか? 普通逆ですよね?」


 それは先ほど薊自身が口にしたことだ。後ろめたいことがある人が焦る。つまり、犯人こそが焦り、無実の人間は焦らない。


 そんな入鹿の理論を、薊は真っ向から叩き落した。


「こんな事件起こすくらいだしね。常識の埒外に居ると思ったんだ。つまり『後ろめたい事』があるのに『焦らない』とか、そう言う感じかなぁーって」


 それはまさしく入鹿のことであった。


 入鹿には後ろめたいことがある。散歩の一件ではなく、別に存在する。


 しかし、それで焦りを見せないのは、偏に彼女の追求する事柄が、入鹿の後ろめたい事――つまりは伽耶の犬殺しを見過ごしていることを指し示しているわけではないからだ。


 こと『連続殺人』において、入鹿が焦るようなことは何もない。


「なるほど、発想の転換ってやつですか? ですが残念ながら、僕は本当に後ろめたいことがないだけです」

「犯人は大体そういうんだよ」

「犯人じゃなくても、大体の人がこう言うと思いますけどね」


 薊と見つめ合う。暫く無言で立ち尽くし、薊がいきなり噴き出した。


「まぁ、言われてみればそうかも」


 昔からあることだ。犯人の家には漫画があり、これに影響されたと思われる。そんな報道を一度や二度は耳にした。


 そしてその度に思う。漫画を持っていない人なんて、今のご時世いるのかと。それと同じことだ。


「分かってもらえましたか?」

「うん、ごめんね。試すような真似しちゃって」


 最初はあれだけ渋っていた謝罪をすんなり行う薊。


「もう勘弁してくださいよ。それではこれで」


 にこやかに手を振って来る薊に背を向けて、入鹿は警察署を後にした。

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