35 アフタータイム。下
結良の背中を見送った所で、自身も珈琲を飲み干して病室に戻ろうか。そう考えた時だった。
空いた席に誰かが座る。その人物は湯気の立つ珈琲を入鹿の前に置いて話しかけてきた。
「二杯目はいかが?」
「ぽんぽんちゃぷちゃぷになっちゃいますよ」
「でもお好きなんでしょう?」
「イエス」
珈琲を受け取る。その色は艶やかな黒色で、砂糖もミルクも何も入っていないブラック。先ほどは甘めのものを飲んでいたので口直しにちょうどいい。
口に含み舌先で転がすと程よい苦みが心地よかった。
「それで、何かお話でもあるんですか、薊さん」
「わぁ、名前覚えててくれたんだ! うっれしいなぁ!」
「何分失礼な警察官でしたので、印象深く海馬に刻まれております」
「ロマンチックってやつだね」
「どこがだよ」
相も変わらず面倒くさいなぁ、と思いながらも話題を元に戻す。
「それで、どうしたんですか? もしかしてまだ僕が連続殺人事件の犯人だと思ってるんですか?」
「それは――」
と、丁度その時、カフェの外。病院の待合室に設けられたテレビの音が耳に入る。
『連続殺人の容疑で逮捕された浜宮信孝容疑者ですが――、地元では有名な地主で――。』
あの日。あの夜が明けた朝。信孝は逮捕された。信孝だけが逮捕された。
後藤は信孝の親戚の家に預けられることになり、朝迎えに来た車に無理やり押し込まれていた。向かう先は遠くの山間部に位置する過疎地域らしく、十年前の事件に絶対に関わっていないため、安心して預けられると言っていた。
捜索願は出されるだろうが、正直あまり意味はないだろう、と倉坂が言っていたのを『それでいいのか警察官』と思いつつ聞いたのを覚えている。
そうして、本来九件続くはずだった連続殺人は、八件で終わりを迎え、町は平和と夜を取り戻した。
複雑な思いが胸中に渦巻く。これで本当に良かったのか。後藤清美はあらゆる意味で不安材料でしかない。当初の予定通り、殺しておくべきではなかったのか。
しかし、そこまで考えてからすべては後の祭りであることを悟り、不安な気持ちを珈琲と共に飲み込む。
再度薊に向き直ると彼女はテレビには目を向けず、ずっと入鹿を見つめていた。
「と、まぁ。そう言うことで。私の勘は見事に外れてしまったので、それを謝罪したい想いで本日は尋ねさせていただきましたってわけなんだよねぇ」
「それはどうも。証拠もないのに疑われて、超絶傷付いたんですから」
茶化すように言うと、薊は笑った。
「あははっ、そっか。じゃあ、塩を塗りたくろっか!」
刹那、入鹿の顔から表情が消える。
感情の読み取れない目で、薊を睨みつけていた。
「…………どういうことでしょうか?」
「いやぁ、ほんと。他に犯人が居るのに疑って申し訳なかったなぁーって思ったんだよ。思ったんだけど……やぁーっぱりキミには何かあると思ってさー」
「何か、とは?」
「犯罪チックな何か。いや……より正確には連続殺人に関与した、何か。かな?」
倉坂の手配で、入鹿の存在は事件から抹消されているはずだ。
それが浜宮信孝に伽耶を頼まれたことに対する見返り、なのだから。
「……証拠は?」
「お察し、って感じ」
入鹿の双眸が狭まる。
だが、薊は気にした様子もなく、周りに聞かれない程度に声量を押さえて指を立てた。
「まず、犯人は浜宮信孝で間違いない。彼の供述はすべて状況と合致しているし、彼が口にした場所を探せば犯行に使われ捨てられたであろうレインコートやらナイフやらが見つかったし、指紋もばっちり残ってた。これはどう考えても犯人という証拠」
薊は珈琲で唇を濡らし、続ける。
「加えて、その動機はお金のトラブル。八人の被害者の内、七人は市議会議員やら教育委員会会長やらの権力者で、同じように一定の顔の広さを持ち、地主で多額の資産を保有する浜宮が彼らと知り合い、殺したいと思っていたとしても何もおかしくはない」
「はぁ」
「そして、唯一の例外である三人目の被害者、岸田文博は彼の娘……つまりはキミの彼女さんに昔暴行を加えた、ということが最近になって判明した。だから彼に対する動機も文句はない。すべての状況が、すべての情報が、彼を犯人だと言っている」
それらはニュースで聞いていたものと同じだ。
「はぁ、そうですか。……それで、僕はいつ出て来るんですか?」
「ここから。……まぁ、正直な話、殆ど憶測だし、仮に正しかったとすれば私の命は明日までかもしれないから当たってないことを望むんだけど……」
薊は深呼吸を一つ入れて、意を決する。
「四ヶ月前の九月――」
その前置きに、入鹿の心臓が強く締め付けられた。
だが、彼女は気付くこともなく、入鹿の心を土足で踏み荒らし始める。
「連続殺人が始まる前、一人の女子中学生が自殺した。夏休みが終わって新学期が始まるその時期は、一番自殺が増える時期なんだけど……彼女もそんな一人として事件は片付けられた。――知ってるよね?」
「はい」
知っている。知っているに決まっている。
彼女を、××を。××××を忘れることなんて、入鹿には出来ない。
何故なら彼女は……。
「彼女は、キミの妹さんの親友であり、さっきの少女、叶瀬結良さんの妹――」
「
久し振りにその名を口にした気がする。
どこか懐かしくてくすぐったくて、自然と口元がほころんでしまいそうになるのを、必死に抑えた。
「……えぇ、知っています。何度か家にも遊びに来ましたし、結良と遊ぶ時も、たまにですが一緒に遊びました。で、それが何か連続殺人に関係あるんですか?」
入鹿はカップを手にして珈琲を啜る。
「実は彼女、いじめを受けていた、という話があったんだけど、聞いたことない?」
「……確か観月がそんなことを言っていた気がします」
ただの自殺。思春期の暴走。そうやって片付けられた結衣の死。葬られた真実。口を閉ざす学校関係者。
それらが嫌になり、観月は転校を選択した。
「いじめはあった」
薊は強い言葉で言い切った。
「キミの妹さん以外にも、それを知っている人が居たのよ」
わざわざ中学生に聞いて回ったわ、と薊は疲れた表情を見せた。
「では、どうして表沙汰にならないんですか?」
入鹿は尋ねる。その表情はどこか悲しげであり、空々しい。
薊は黒々とした瞳を猜疑に狭めながらも、答える。
「それはどこかで揉み消されたから。いじめが発覚して糾弾されるのを嫌がった学校か、教育委員会か、息子がそのいじめの犯人だった市議会議員か。どれかは分からないけれど、どこかの誰か、または全員に揉み消された」
「最低ですね」
「そうだねぇ」
彼女はため息を吐くように呟き、入鹿の顔を覗き見た。
「なんですか?」
「焦らないね」
「……」
そっぽを向いて、カフェの外を見る。入院患者であったり、診察待ちであったり、はたまたそんな彼ら彼女らのお見舞いであったり。
院内は人々が入り乱れている。
その中に、見覚えのある茶髪が見えた気がした。
けれど、それを誰か判別する前に茶髪の持ち主は人混みに飲まれて消えてしまう。
再度薊に向き直る。
「それで、結局何が言いたいんですか?」
「今回殺されたのは、岸田文博以外全員そういった権力者だった。だから、キミが復讐のために殺し、浜宮信孝にその罪をなすりつけた」
そこまで言い終わり、薊は重い息を吐き出す。
「と、私は考えてみたわけなんだけど……」
「知り合いとは言っても妹の親友で、親友の妹って関係ですよ?」
「でも男と女だよね?」
即答する薊を入鹿は睥睨する。
「……証拠は?」
「さっきも言ったけど、無いんだよねぇー」
やれやれと手を上げる薊。それはこっちのセリフだと言いたいのを我慢して、入鹿は残りの珈琲を飲み干した。
「それでは僕はこれで失礼します。腕もまだ痛いですし」
「痴話喧嘩らしいわね。さっきみたいに他の女の子と会ってるの見られたからじゃない? いつか刺されるよ」
「悪運だけは強いようなので、大丈夫でしょう」
事実として、切断された指は縫合され、数ヶ月リハビリすればまた使えるようになると言われた。これは綺麗に切断されていたが故だ。ついていたのかいないのか。
荷物をまとめて席を立つ。すると背中に、声を投げかけられた。
「じゃあそんな悪運の強いキミ――榎本くんに、一つだけ聞いてもいいかしら?」
「はい、何ですか?」
首だけで振り返る。
「例えば。例えばの話なんだけど、さっきの仮説がもし真実だとしたら、どうしていじめの主犯格ではなくその両親、又は揉み消した大人が殺されたと思う?」
当事者でなく、第三者を狙った。その理由。
「そんなの知るわけないじゃないですか」
「別に正解を求めてるわけじゃないよ。意見の一つとして、キミならどう考えるかってこと」
真剣な目を向けられ、仕方が無いと頭を掻く。
「僕だったら……」
入鹿は瞑目し、思考する。が、すぐに無意味なものと分かると、適当に切り上げた。
「やっぱり分かりませんよ。想像もできません。だって、僕はそんな犯罪者ではありませんから」
「…………そっか」
「えぇ。では、今度こそこれで」
「そうだね、ありがとう」
「こちらこそ、ご馳走様でした」
そうして入鹿はカフェを後にした。
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